第326話 封じられた箱、古代の息吹
十分な休息を取ったおかげで、レオンの身体はすっかり軽くなっていた。朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、肺の奥まで澄んだ感覚が行き渡る。
(……完全に戻ったな)
いや、それだけではない。剣を握った時の感触、身体を動かした際の反応──どれも以前より僅かに鋭くなっている気がした。
(むしろ、前より強くなれた気がする)
気のせいかもしれない。だが、あの死線を越えた実感が、確かに彼の内側を支えていた。
(やはり、あの戦いは無駄じゃなかったんだな)
その回復ぶりは、仲間たちにもすぐに伝わった。家の中に漂っていた重苦しさは消え、久しぶりに穏やかな笑い声が戻る。
「本当によかったぁ……」
イルは胸の前で手をぎゅっと握りしめ、ほっとしたように息を吐く。ここ数日、彼女がどれほど心配していたかは言うまでもない。
「心配かけたな」
レオンが少し照れたように言うと、イルはぶんぶんと首を振った。
「ううん! 元気になってくれたなら、それでいいの!」
そのやり取りを見て、レティシアとレンリも自然と微笑む。
「それじゃ、明日は〈アークノート〉に行きましょうか」
レティシアが切り出した。
「例の木箱のこともあるしね」
「いよいよね。中身、何が入ってるのか楽しみだわ」
レンリの声は弾んでいる。イルも身を乗り出した。
「古代の宝物かな? それとも魔道具?」
「いずれにせよ、古代の物だろう? 確かに楽しみではあるな」
レオンも頷いた。
翌日。レオンは大きな布を広げ、慎重に木箱を包み込む。さらに縄でしっかりと固定し、それを背負子にくくりつけた。
「……よし」
同じように、布に包んだままのリッチの杖も背負子に固定する。
「あまり人目につかないようにしたいからな」
「その判断は正解ね」
レンリが周囲を見回しながら言う。
「じゃあ、行きましょうか」
四人は連れ立って街へ向かった。
「おお、リッチを倒したっていう噂の!」
「さすがだな!」
道中、冒険者とすれ違う度に声をかけられる。
「……なんだか妙な気分ね」
「実際は、成り行きだったんだがな」
レンリが苦笑し、レオンも肩をすくめ、二人で顔を見合わせて笑った。
◆
街のはずれ、魔道具店〈アークノート〉が見えてくる。店内は相変わらず、所狭しと並ぶ奇妙な道具や古そうな器具でいっぱいだった。
「あら、いらっしゃい。久しぶりね」
穏やかな笑みを浮かべて迎えたのは、店主のシルヴィア・ノクトだ。
「今日は、いろいろ相談したいことがあって」
レティシアが丁寧に頭を下げる。
「へぇ、何かしら? あなたたちのことだから、また面白そうな話だといいんだけれど」
「実は先日、〈沈んだ神殿〉に行ってきたんだ」
「聞いてるわよ。リッチがいたとか……それを倒したんでしょう?」
「もう伝わっているのか?」
レオンが少し驚くと、シルヴィアはクスクス笑う。
「そりゃあ、そうよ。ここに来る冒険者たち、みんな噂してるんだもの」
「まあ、実際はかなり苦戦したんだ。正直、危なかったくらいだ」
レオンは苦笑交じりに言う。
「それで、手に入れたものがあってね。見てもらいたいの」
レティシアが話を引き継ぎ、レオンの背負子から布に包まれた杖を下ろして、そっとカウンターに置いた。
「これ。リッチが使っていた杖なの。ギルドには保管を断られちゃって」
「なるほどねぇ……」
シルヴィアは興味深そうに目を細めると、軽く手をかざした。
次の瞬間、店の入り口に掛けられていた看板がくるりと裏返り、「閉店」の文字が浮かび上がる。
「じゃあ、落ち着いて見ましょうか」
店内の空気が、わずかに引き締まった。
シルヴィアは布の結び目に指をかけ、ゆっくりとほどいていく。その所作は慎重そのもので、まるで眠れる獣を起こさぬように扱っているかのようだった。
布が外され、杖が露わになる。
黒ずんだ木肌の先端には、鈍く光を吸い込むような黒い宝玉が埋め込まれていた。はっきりと見えるほどではないが、周囲の空気がわずかに重く、冷たい。黒い瘴気が、微かに漂っているような錯覚すら覚える。
「……確かに、リッチが使っていたものね」
シルヴィアは低く呟き、慎重に杖を手に取った。魔力の流れを探るように、指先を滑らせる。
「材質は……」
一瞬、彼女の表情が興味深そうに変わる。
「へぇ。エルダートレントを使っているのね」
「エルダートレント?」
レンリが思わず声を上げる。
「トレントの上位種よね? かなり面倒な相手だって聞いたけれど……」
「……そうね」
シルヴィアは頷いた。
「非常に強靭で、しかも魔力伝導率が高い。昔から、杖の材料として好まれてきたのよ。もっとも、普通の魔術師が相手取れる存在じゃないけれど」
彼女は視線を宝玉へと移す。
「この宝玉は……闇の宝玉ね。闇魔法の力を増幅させるためのもの、か」
わずかに目を細め、淡々と続ける。
「アンデッドには、実にふさわしい一品だわ」
ひと通りの鑑定を終えたシルヴィアは、静かに杖をカウンターへと置いた。硬質な音が、店内に小さく響く。
「ギルドが渋るのも、無理はないかしらね」
彼女は肩をすくめる。
「こんな代物、表に出せるものじゃないでしょうし」
「やっぱり、そうなのね」
レティシアは苦笑しながら言った。
「処分をお願いできる?」
「ええ」
シルヴィアは即座に頷いた。
「そうねぇ……この宝玉は、破壊するか、完全に封印してしまいましょう。放置するのは危険すぎるわ」
そして、杖本体にもう一度だけ視線を落とす。
「杖自体は、素材がいいものだから、きちんと浄化処理をすれば、再利用できそうね」
「ま、杖についてはこちらで責任をもって引き受けるわ。安心なさいな」
シルヴィアの落ち着いた声音に、四人はそろって肩の力を抜いた。店内に漂っていた緊張が、少しだけ和らぐ。
少なくとも、この危険な遺物が、再び災いをもたらすことはなさそうだった。
「ありがとう」
レティシアが頭を下げると、シルヴィアは軽く手を振って応じた。
「実は……杖だけじゃないの」
レティシアは周囲を一瞬確認し、声を潜める。
「神殿に隠し部屋があったの。そこで、手に入れたものがあってね?」
その瞬間、シルヴィアの瞳が鋭く輝いた。
「……持ち帰ったのね?」
問いかけに、レティシアは無言で頷き、レオンへと視線を向ける。
促されるまま、レオンは背負子を下ろし、布に包まれた木箱を慎重にカウンターへ置いた。
「これよ」
「お待ちなさい」
シルヴィアは再び手をかざし、さっと振ると店内のカーテンが閉まっていく。
入口に鍵はかけられているが、さらに用心を重ねて、といったところだろうか。
それを見て、レティシアが布をほどいていく。
姿を現したのは、装飾の少ない古びた木箱だった。しかし、その周囲には、微かではあるが確かに魔力の気配が漂っている。
シルヴィアは身を乗り出し、箱の周囲をゆっくりと観察する。角度を変え、距離を取り、指先で空気の流れすら探るように。
「……これは……」
低く呟き、頷いた。
「〈施錠〉の魔法がかけられているわね……」
「やっぱりね」
レンリが納得したように頷く。
「しかも……」
シルヴィアは続けて言葉を重ねる。
「〈保存〉の魔法まで施されているわ。木箱や中身の劣化を防ぐためのものね」
一拍置いて、断言する。
「間違いないわ。古代魔法が使われている」
「……そんな魔法、聞いたことないわ」
レンリが戸惑い気味に言う。
「そりゃそうよ」
シルヴィアはさらりと答えた。
「古代魔法は、失われた魔法だもの」
あまりにもあっさりした口調に、四人は一瞬言葉を失う。
「それで……開くのか?」
沈黙を破るように、レオンが尋ねた。
「普通のやり方じゃ無理ね」
シルヴィアは木箱から少し距離を取り、空中に指を伸ばす。
「きちんとした手順で、対応する魔法を使わないと……」
彼女の指先が宙をなぞるたび、淡く光る線が描かれていく。複雑に絡み合うその軌跡は、魔法陣を形作っているようだった。
「こう……ね」
小さく息を吸い、告げる。
「〈開錠〉」
その瞬間、木箱からふっと力が抜けるような感覚が伝わった。漂っていた魔力が、霧が晴れるように静かに解けていく。
「……開いたわ」
張り詰めていたシルヴィアの表情に、再び穏やかな笑みが戻る。
四人は思わず息を呑み、ゆっくりと木箱へ視線を向けた。
その中に眠るものが、ただの遺物ではないことだけは、誰の目にも明らかだった。




