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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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321/339

第321話 帰還、そして火の前で

 まだ日は高い位置にあるものの、湿原を吹き抜ける風は容赦なく冷たい。

 〈沈んだ神殿〉の調査を終えた一行は、ぬかるむ湿地を抜け、比較的安全と言われる草原を横目にしながら、ようやくアスラン・ヘイブンの街へと辿り着いた。

 城壁の影が遠くに見え始めたその時、レオンが小さく息を吐く。


「……ようやく帰ってこれたな」


 その声には、安堵と疲労が入り混じっていた。

 帰路もまた、湿原の魔物たちは彼らを見逃してはくれなかった。その結果、レオンの背に担がれた背負子には、いつの間にか沼竜の素材が増えている。


「見て、これ」


 背負子を覗き込みながら、レティシアが目を輝かせる。


「鞣して革加工すれば、なかなかいい物になりそうよ」

「水にも強そうだし、丈夫そうだものね」


  レンリも頷きながら、その皮を品定めするように眺める。

 確かに、沼竜の皮は加工さえしっかりすれば、上質な革製品になりそうだ。

 レオンは肩をすくめた。


「……商会に持っていきましょう」


 レンリはもう、商材としての価値を計算しているらしい。


(商魂逞しいなぁ……そのうち結局、“沼竜狩り”の依頼が正式に出されるんじゃないか?)


 内心でそう思い、レオンはひっそりと警戒を強める。

 やがて門をくぐり、街の中へ。

 石畳の感触が足裏に伝わった瞬間、張り詰めていた緊張が少しだけ解けた気がした。


「今回は疲れたな……」


 レオンは大きな欠伸を噛み殺しながら言う。


「早く、ゆっくり寝たいもんだ」

「ギルドへの報告は、明日以降でもいいんじゃない?」


 レンリが提案する。


「今日はこのまま帰って、休まない?」

「そうだね。さすがにみんな疲れてるし」


 レティシアも同意し、二人に視線を向けた。


「レオンも、イルも、それでいい?」

「ああ、賛成だ。俺も限界だしな」


 レオンは即答する。


「……あたしは、お腹が空いた……」


 イルがしょんぼりと呟き、腹部を押さえる。

 その様子に、レティシアが思わず微笑む。


「じゃあ、すぐに食事の準備をしなくちゃね。イルも手伝ってくれる?」

「うん!」


 途端に表情を明るくし、イルは元気よく頷いた。

 こうして一行は、ようやく日常へと戻る第一歩を踏み出す。

 戦いの疲労を抱えながらも、温かい食事と休息が待つ場所へ──アスラン・ヘイブンの街路を、ゆっくりと進んでいった。



 食事を終えると、レオンはほとんど言葉も交わさず、自室へと引き上げていった。

 足取りは重く、背中からも疲労が滲み出ている。やはり、まだ本調子ではないのだろう。

 その背を見送りながら、レティシアはリビングに戻り、暖炉の前に膝をついた。

 薪を一本、また一本とくべると、火は静かに勢いを増し、赤橙の光が室内を柔らかく照らす。


(……今回は、完全に私のミスだった……)


 炎を見つめながら、レティシアは胸の内でそう呟いた。


 〈沈んだ神殿〉。

 大広間に足を踏み入れた瞬間の、あの嫌な感覚が脳裏に蘇る。

 アンデッドが出現した理由について、レンリの推測を聞いた時点で、彼女自身も薄々感じてはいたのだ。

 何かが封じられていた場所であり、それが解放されたのではないか──その結果として、アンデッドが湧いたのではないか、と。


 だからこそ、本来ならもっと慎重であるべきだった。

 だが、実際に大広間へ入った途端、背後の扉が閉じられた。

 逃げ道を断たれたという事実に、心が一瞬、強く揺れた。


(冷静さを欠いた……)


 その動揺の隙を突くように現れた、アンデッドの群れ。

 そして、その中心にいた存在──リッチ。


「……まさか、あそこまでの個体がいるなんて……」


 小さく呟き、レティシアは唇を噛む。

 リッチという存在自体は知識として理解していた。だが、実際に対峙することを想定した準備は、決して十分ではなかった。


 闇魔法。

 圧倒的な魔力と、不気味なまでに洗練された術式。

 戦闘中、終始押され気味だったことを、彼女自身が一番よく分かっている。


(私が、もっと的確に対応できていれば……)


 リッチの魔法の不意打ちを受け、レンリは動きを止められ、押し寄せた魔物によって傷を負った。

 レオンもまた、目に見える外傷こそ、ほとんどなかったものの、リッチによって体力を大きく削られ、苦戦を強いられた。


 それでも、最終的には勝利した。

 だがそれは、レオンが無理を重ねた結果に他ならない。


(レオンに、あそこまでさせてしまった……)


 暖炉の火が、ぱちりと小さく弾ける。

 さらに思えば、あのリッチは復活してから、まだそれほど時間が経っていなかったのだろう。

 もし、もう少し時間が経っていたら──

 力を蓄え、エルダーリッチにまで成長していた可能性すらある。

 そうなれば、徘徊するアンデッドの数も比べものにならないほど増えていただろう。

 湿原だけでなく、その外──街道や、人の生活圏にまで被害が及ぶ事態も、決して荒唐無稽ではない。


(……最悪の状況は、未然に防ぐことが出来た、か)


 そう思う一方で、それは偶然に近い結果だったという事実が、胸を重く締めつける。


「次は……絶対に、同じ失敗はしない」


 誰に聞かせるでもなく、レティシアは静かに誓った。

 揺らめく炎の中で、その瞳には、後悔と同時に、より強い決意の光が宿っていた。

 それでも──今回の探索が、ただ苦い記憶だけを残したわけではなかった。


(……そう、収穫がなかったわけじゃない)


 レティシアの脳裏に浮かんだのは、イルの姿だ。

 これまでのイルの火魔法は、威力こそあるものの、どこか荒く、制御に難があった。

 だが彼女は地道に練習を重ね、魔力の流し方や出力の調整を覚え、火を“振るう”のではなく“操る”段階へと踏み出していた。

 そしてそれは、机上の成果に留まらなかった。

 実戦の中で、イルは確かに結果を出してみせたのだ。


(ちゃんと……戦力として、成長している)


 その事実に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。

 教える立場として、そして仲間として、それは素直に嬉しいことだった。


(今後は、もっと連携を強化して……積極的に動けるように、訓練していく頃合いかもしれないわね)


 イルが単独で魔法を放つだけでなく、前衛や支援と噛み合った動きができるようになれば、戦闘の幅は大きく広がる。

 レオンやレンリとの連携を前提にした訓練──それを本格的に考える段階に来ているのかもしれない。


 だが、思考は自然と、さらに先へと進んでいく。


(……戦力を、増やした方がいいのかもしれない)


 そう思わずにはいられなかった。

 今回のような強敵と対峙する可能性を考えれば、人数も役割も、余裕があるに越したことはない。


 しかし──それは、簡単に決められる問題ではなかった。

 自分たちは、ただの依頼をこなす冒険者ではない。

 ある目的を持ち、そのために動いている。

 その目的に、新たに加わる誰かが共感してくれるとは限らないし、場合によっては強い反発を招く可能性すらある。


(……探索時の戦力、と割り切った形なら)


 一瞬、そんな打算的な考えも浮かぶ。

 目的には深く踏み込ませず、必要な場面だけ協力してもらう──。

 だが、レティシアはすぐにその考えを打ち消した。


(無理ね……そんな不義理なこと出来るわけがない)


 信頼を前提としない関係は、いずれ必ず歪みを生む。


「……慎重に、考えないと」


 暖炉の火を見つめながら、レティシアは静かに息を吐く。

 仲間の成長を喜びつつも、未来への責任を噛みしめるように──

 その表情は、指導者として、そして一人の仲間として、確かな覚悟を帯びていた。


 それにしても──やることが多い。

 暖炉の火が落ち着き、室内に静けさが戻る中で、レティシアは改めて今後のことを思い巡らせた。

 まず、今回の一件については、ギルドへの正式な報告が必要になる。

 〈沈んだ神殿〉で何が起き、どのような脅威が存在していたのか。

 アンデッド、そしてリッチの存在は、決して軽く扱っていい情報ではない。

 それから、シルヴィアの店にも足を運ばなければならない。

 今回の事で相談したいこともある。

 隠し部屋にあった木箱や、リッチの使っていた杖について、あの店主の目にどう映るのかも気になるところだ。

 レンリと話していた件──商会への持ち込みも、早めに動いた方がいいだろう。

 沼竜の皮はよい加工品として喜ばれるだろう。


(他にも……やりたいことは、まだある)


 頭の中で、やるべきことが次々と並んでいく。

 だが、焦って動くわけにはいかない。

 レオンの疲れが取れるまでは、無理はさせられないが、引き続き依頼も受けていかなければならないだろう。


(……明日以降ね)


 一人で決められることではない。

 仲間と話し合い、優先順位をつけ、無理のない形で進めていく必要がある。


 レティシアは小さく息を吐き、椅子の背に身を預けた。

 忙しさの中にある確かな現実と、それでも前に進まなければならないという覚悟。

 その両方を胸に抱えながら、彼女は静かに、明日を思い描いていた。


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