第307話 焚き火の夜、湿地にて
「ふぅ……こう数が多いと、さすがにキツイわね」
この日何度目かになる戦闘を終え、一行はようやく足を止めた。レンリは短剣を収めながら、周囲に視線を走らせる。しばらく待ち、異変がないことを確かめてから、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「本当にね。さすがに連戦は勘弁してもらいたいわ」
レティシアも同意するように息を吐き、額の汗をぬぐう。疲労の色は隠しきれないが、それでも立ち居振る舞いに乱れはない。
「イル、大丈夫?」
「大丈夫だよ!」
元気よく返事をするイルの声には、まだ余裕が感じられた。多少の疲れはあるものの、戦意も集中力も衰えてはいないようだ。
「レオンは……聞くまでもないか」
「おい」
短いやり取りに、場の空気がわずかに和む。
ふと気付けば、空は次第に朱に染まり始めていた。辺りに落ちる影も長くなり、夕暮れが近いことを告げている。
「そろそろ野営の準備をしないとね。暗くなってからじゃ、場所探しも大変だし」
レティシアの言葉に、皆がほっとしたような表情を浮かべた。
「あっちに、ちょっとした岸壁がある。風も防げそうだ」
レオンがそう言って先頭に立つ。
その背中を追い、一行は次の戦いではなく、束の間の休息を求めて歩き出した。
「この辺にするか」
岸壁に穿たれた穴──正確には、風雨に削られてできた浅い窪みだ。奥行きはさほどないが、背後を取られる心配がないだけでも、野営地としては十分に合格点だった。
レオンは背負っていた荷を下ろすと、無駄のない動きで野営の準備に取りかかる。地面を軽く均し、荷物の配置を決めるその手際には、幾度も夜を越えてきた経験が滲んでいた。
一方、イルとレンリは周囲に散らばる枯れ枝を拾い集めている。湿り気の少ないものを選び、折れやすさを確かめながら束ねていく。
レティシアは近くから平たい石を集め、窪みの中央に簡単なかまどを組み上げていった。火が安定し、熱が逃げにくいよう、配置も考えられている。
やがて、薪を抱えたイルとレンリが戻ってきた。
「ありがとう。そこに置いてくれる?」
「うん。火はつける?」
「そうね……じゃあ、お願いね」
イルは頷き、薪をかまどの中に組み込む。小さく息を整え、指先に意識を集中させると、淡い光とともに火が灯った。
パチパチ、と乾いた音を立てながら炎は次第に勢いを増し、冷え始めた空気をやわらかく押し返していく。
辺りはすっかり闇に包まれ、気温も目に見えて下がってきていた。まだ本格的な冬には遠いとはいえ、じっとしていれば肌寒さが身に染みる。
焚き火の赤い光が、窪みの内側と岩肌を揺らめく影で照らしていた。
レンリは静かに目を閉じ、周囲に意識を巡らせる。森の奥、湿地の向こう──はっきりとした敵意はないが、魔物の気配は点在している。
レオンもまた剣を片手に、焚き火から少し離れた位置に立ち、暗闇の向こうへと注意を向けていた。休息中とはいえ、油断はない。
一方で、レティシアはかまどの前に腰を下ろし、手早く簡単な食事の準備を進めている。イルもその隣で道具を渡したり、鍋を支えたりと甲斐甲斐しく手伝っていた。
焚き火の音と、時折交わされる小さな会話だけが、静かな夜に溶けていく。
「そんなに多くはないけど……そこかしこに気配があるわね」
低く告げるレンリの言葉に、レオンは短く頷いた。そのまま顎に手を当て、何かを考える素振りを見せる。
やがて決断したように一歩前へ出ると、闇の中へと視線を向けたまま、しばし動かなくなる。
数拍の間を置いて、何事もなかったかのように戻ってきた。
「……どうしたの?」
レンリが尋ねると、レオンは小さく肩をすくめた。
「ちょっとな。少し威圧を飛ばしてきた」
「ああ……なるほどね」
レオンは【原初の力】を用い、この一帯に強めの威圧を放っていた。近づけば、確実に殺される──そう本能に刻み込む程度の、過不足のない圧だ。
これで、しばらくは余計なちょっかいをかけてくる魔物もいないだろう。
「二人とも、食事にしましょう」
イルと並んで準備をしていたレティシアが、焚き火の向こうにいるレオンとレンリへ声をかけた。
「おっ、できたか」
レオンはそう言って剣を鞘に収め、火のそばへ歩み寄る。レンリも警戒を解き、後に続いた。
とはいえ、並ぶのは簡素なものばかりだ。黒パンに干し肉、それから乾燥野菜を戻した薄いスープ。だが、焚き火の前で口にするそれらは、不思議と温かく感じられる。
「あと……これも焼いてみたけれど?」
レティシアがそう言って差し出したのは、一塊の肉だった。やや長めで、表面には鱗のような皮が張り付いている。しかし焼いたことでその皮は浮き、指で触れればほろりと簡単に剥がれそうだ。
「どれどれ……」
レオンは受け取ると、ナイフで手際よく皮をこそぎ落とす。
「皮を取って、もう少し焼いた方がよさそうだな」
そう言って肉を串に刺し、再び焚き火へとかざした。
「……本当に食べるの?」
レンリが半信半疑といった様子で尋ねる。
「実験だよ、実験。蛙よりはいいだろ?」
軽く返しながら、レオンは炎の具合を見て串を回す。
その肉の正体は、昼間に戦った〈沼竜〉の尾だった。不意を突いて斬り飛ばしたものの、〈沼竜〉は驚いたのか、それ以上の反撃もなく湿原の奥へと逃げていったのだ。
「あれだけの大きさだ。他にも食えそうな部位があったのにな」
真面目な顔で残念そうに呟くレオンを見ていると、彼にとっては凶悪な魔物でさえ、状況次第ではただの食材に過ぎないのかもしれなかった。
「あたしも、ちょっと食べてみたい」
肉を焼いているレオンを見つめながら、イルが期待を込めた声で呟いた。
「イル、レオンが食べて大丈夫そうだったら、食べてもいいよ」
レティシアは面白がるような表情でそう言う。
「恒例の毒見役ね」
レンリも笑いながら黒パンを齧った。
「まあ、旨いかどうかはわからんが……毒はないと思うぞ?」
レオンはそう前置きしてから、焼き加減を確かめる。
「よし。このくらいでいいだろう」
十分に火が通ったと判断すると、ナイフで肉を切り分けた。軽く塩を振り、一切れを口に運ぶ。そのまま無言で咀嚼する。
「……どう?」
間を置いて、イルが尋ねる。
「そうだな……毒はない。安心していい」
一拍置いて、続けた。
「味は淡白だ。不味いとは言わんが、旨いかと言われると、そこまででもないな」
その言葉を聞いて、イルは恐る恐る肉に手を伸ばす。レオンと同じように一切れを口に入れ、噛みしめた。
「……ちょっとパサパサしてるね。不味くはないけど、何かに似てる気がする……」
「筋肉質だな。脂がほとんどない」
レオンも顎に手を当てて考える。
「……そうか、蛇肉に近いんだ。まあ、小骨がない分、こっちの方が食べやすいが」
「蛇肉かぁ……私は遠慮しておこうかな」
その一言で、レンリは露骨に食欲を失った様子を見せる。
「味付けと調理法次第では、美味しく食べられるかもしれないね」
レティシアはそう言いながらも、表情はどこか浮かない。彼女も積極的に手を伸ばす気にはなれないようだ。
「美味しくなくて、よかったじゃない」
「どういうこと?」
イルが尋ねる。
「本当に美味しかったら、食材として調達依頼が出される羽目になるもの」
あれほど凶暴な〈沼竜〉を相手にし、討伐して持ち帰る──そんな仕事は、誰も進んで引き受けたくはない。
焚き火の前で交わされるその結論は、妙に現実的で、どこか可笑しかった。
「……いや」
そこで、レオンがぽつりと呟く。
「他の部位だったら、旨いかもしれないぞ?」
その一言に、三人の視線が一斉に彼へ向けられた。
「まだ言うの?」
「未練がましいわね」
「次は本体ごと狩る気?」
立て続けに向けられる冷ややかな反応にも、レオンはどこか真面目な顔のままだった。




