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100人の電車  作者: どどんこ


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10/20

9

藤田悠斗の中に震えている「君」、それは、自己嫌悪と恐怖に縛られた、傷つきやすい魂そのものだった。その「君」は、窓ガラスに映る、憎悪する自分の顔に囚われていた。


電車の揺れは続く。光と闇が、窓の外でめくるめく入れ替わる。左には息を呑むような夜景の海、右には沈黙の山の闇。車内の乗客たちは、それぞれの視線で、この対照的な世界を切り取っている。


その中で、一つの小さな生命を慈しむような温かい空気を纏っている人物がいた。座席に座り、規則正しい寝息を立てている幼い子供を腕に抱く、林由美(はやし・ゆみ)だ。彼女の顔には、疲れの色が濃く浮かんでいるが、眠る我が子を見つめる目には、深い愛情が宿っている。


優太の寝息が、疲れた体に染み渡る。ふにゃふにゃと口を動かす小さな顔を見つめながら、今日一日のあれこれを思い出す。仕事での些細なミス、保育園の先生との短い会話、夕食の準備のこと…。どれもこれも、優太の寝顔を見れば、どうでもよくなるような、それでいて、この子のために全てを頑張れているのだと再確認させてくれるような、そんな出来事だ。


窓の外を流れる夜景。あんな風に、優太の未来も明るく輝いてほしい。たくさんの選択肢があって、この子の才能が、可能性が、どこまでも広がっていくような、そんな未来。でも、そのためには、どれだけの苦労が待っているのだろう。あんな高いビルのてっぺんまで登るような、険しい道のりかもしれない。


右側の、真っ暗な山を見る。それは、これからこの子がぶつかるかもしれない、困難や壁のようだ。乗り越えられるだろうか。一人で立ち向かえるだろうか。母親として、自分は何をしてあげられるだろう。この小さな手を、どこまで引いてあげられるだろう。どこまで、この子の盾になってあげられるだろう。


電車の揺れが、優太をさらに深い眠りへと誘う。この子が、今、心穏やかに眠っている。それだけで、どんな疲れも吹き飛ぶ。どんな不安も乗り越えられる気がする。この腕の中にある、確かな温もり。それが、自分の現実であり、自分の全てだ。


林由美の中に燃える「君」、それは、我が子への限りない愛情であり、その子の未来を案じ、守り抜こうとする、母の強い意志そのものだった。その「君」は、腕の中の小さな寝息に合わせて、静かに、しかし力強く鼓動していた。


林由美の中に燃える「君」、それは、我が子への限りない愛情であり、その子の未来を案じ、守り抜こうとする、母の強い意志そのものだった。その「君」は、腕の中の小さな寝息に合わせて、静かに、しかし力強く鼓動していた。


腕の中の温もりに、林由美は静かに目を閉じた。電車はまだ進む。夜の車内には、それぞれの鼓動が満ちている。


その中で、世界を別の角度から切り取ろうとしている人物がいた。窓側の席に座る、松本健太(まつもと・けんた)だ。学生だろうか、膝の上に開いたスケッチブックと、握られた鉛筆が、彼の目的を示している。その視線は、左右に流れる景色に釘付けになっている。


描けない。頭の中に断片があるのに、線にならない。形にならない。目の前の景色は、情報で溢れている。左の夜景、無数の光。あれをどう捉える?光一つ一つに意味があるのか?それとも、ただの点の集まりとして、そのパターンを描くべきか?輝きをどう表現する?紙の上に、あの生の光をどう定着させる?


右の山。闇の塊。シンプルに見えるが、その輪郭、影の落ち方、ディテールは無限だ。どこを描けば、あの存在感を捉えられる?黒い鉛筆で、あの深い闇をどう出す?線を重ねる?潰す?


この景色は、俺の今の状況みたいだ。掴めそうで掴めない。手に入れそうで手に入らない。才能がないんじゃないか、という恐怖が、鉛筆を持つ指先を冷たくする。スケッチブックの白いページが、何も描けない俺を嘲笑しているように見える。


電車は揺れる。ペン先がブレる。思っている通りに描けない苛立ち。あの画家なら、この景色を見て、瞬時に何かを掴むだろう。簡単な線で、本質を捉えるだろう。俺には、それができない。見ている。感じている。でも、外に出せない。


窓ガラスに、ぼうっと自分の顔が映る。焦燥と、少しの絶望。これが、今の俺のリアリティか。これを描けと言うのか?描けるわけがない。


松本健太の中に燃える「君」、それは、理想と現実のギャップにもがき、表現への渇望と、才能への不安の間で引き裂かれる、創造の炎そのものだった。その「君」は、白いスケッチブックの上で、くすぶり続けている。


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