25 葬儀
翌々日。弥次郎の死去の知らせが届いた。
夜間に強盗に入られて、刀傷を受けて死んだ――とのことだが、恐らく真実は別のところにある。
知らせの手紙は豊原家からではなく、平馬の実家である山畠家から届いたのだった。
豊原家はそれどころではないようだ。シズは夫の死に様を目の当たりにし、ついに心を壊したそう。亡骸の側に座り込み、壊れた人形みたいに目を見開いて放心しているとか。
そしてもう一人、平馬も正気を失った。
そこかしこに化け物が見えると騒ぎ、怯えて、暴れ出す始末。豊原家では手に負えないので、仕方なく実家の山畠家が引き取り、今は奥に閉じ込めてあるとのこと。
平馬の父と兄たちは、「これはもう駄目だ」と見限って、豊原家には離縁を申し入れたらしい。
――と、そんな話を、山畠家の軒先で聞いたのだった。
今、志乃は紫紺と連れ立って、山畠家に立ち寄っているところだ。豊原家に向かう途中、ちょうど町場の大通りで平馬の兄と出くわし、家の前まで移動した次第だ。
屋敷の奥からは時折、意味不明な叫び声が漏れてくる。平馬の声だろうけれど、もはや人の声には聞こえない。まるで獣の絶叫だ。
平馬の兄は眉をひそめて言う。
「ずっとこの調子だ。狐でも憑いたのかねぇ」
実際のところは、平馬は狐よりももっと衝撃的なモノ――鬼神と対峙したのだ。それによって、彼は霊力が異常に高まり、霊視に目覚めてしまったとみえる。志乃と同じように。
そうなれば、もう今まで通りには暮らせない。常に魑魅魍魎の気配を感じながら生きていくことになる。平馬はその状態に耐えきれなかったみたいだ。この数日で、早々と壊れてしまった。気の毒だが、自業自得でもある。
「酷くなるようなら、僧院にでも入れようかと思う。元々、飲んべぇの腑抜けだったから、性根を鍛え直すには良い機会かもな。ところで、これから二人は豊原家へ?」
「はい。弥次郎さんのお葬式に」
今日、二人が身にまとっているのは黒い喪服だ。これから豊原家へ弔問に赴く。
弔う――というのは口実で、「呪いの帰結を見届けに行く」と言った方が正しいかもしれないけれど。
「引き留めて悪かったね。それじゃあ」
「失礼いたします」
平馬の兄にお辞儀をして、軒先を離れた。
そうして町場の通りを抜けて、さらに隣村まで歩いていく。
天狗の人力車で移動してもよかったのだが、天気も良いので、二人でゆっくりと歩いていくことを選んだ。
村々を繋ぐ田畑の道は、秋から冬に向かおうとしている。木々の葉は深く色づき、そろそろ落ち始める頃合いだ。
秋も、冬も、春も、夏も。この道を、父と一緒に何度も歩いた。
最後には、亡骸と一緒に歩き通した。
そんな道を、今は夫と共に歩んでいる。
今、胸に込み上げているこの気持ちは、どう表現したらいいだろう。穏やかでありながらも、寂しさがあり、それでいて澄み切っていて、晴朗な気分でもあり――。
なんとも言えない心地を感じながら、秋の道を二人で歩いていった。
そうしてたどり着いた豊原家の門をくぐり抜けた。
相変わらず、屋敷はくすんだ空気に包まれている。まとわりつくような重い雰囲気の中を進み、仏間へと向かう。
襖は開かれていて、中から線香の匂いがした。
座敷に膝をつき、紫紺と志乃は形式的な挨拶を述べた。
「この度はご愁傷さまです」
「お悔やみ申し上げます」
お辞儀をしてから、部屋の中へと目を向ける。
敷かれた布団に弥次郎が横たえられていた。
綺麗な装束に着替え、顔には真っ新な面布がかけられて、枕飾りもちゃんと用意されている。
その光景は、志乃の目には酷く贅沢に見えた。
(お父さんの時には、何一つ用意してくれなかったのに)
至れり尽くせりの死出の旅ですね……と、言ってやりたくもなったが、故人に皮肉を吐いても仕方がない。
故人ではなく、生きている人の方へと視線を移した。
弥次郎の布団の傍らにはシズがいる。崩れた正座でへたり込み、ぼうっと中空を見ているだけだ。会話はできそうもない。
その向かい側には、青白い顔をしたトキ子が座っている。平馬と同じように霊力に目覚めてしまったのか、しきりに視線をさまよわせて、ビクビクと怯えていた。
けれど、彼女は平馬ほどおかしくはなれなかったみたいだ。正気を保っている様が、逆に哀れに思えた。
トキ子は苦虫を嚙み潰したような顔をして、志乃の方を見た。
「……志乃……お姉ちゃん……」
全身を震わせながら、彼女は深く頭を垂れた。縋るように、許しを乞うように、媚びるように。
「来てくれてありがとう……。わたし……この先、どうしていいのか……もう、わかりません……。助けてください……」
「……」
志乃は言葉を返さなかった。
トキ子はしばらく頭を垂れていたが、やがて恐る恐る、顔を上げた。目に溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
「お願いします……もう志乃ちゃんに頼るしかないんです……。山畠家からは離縁の相談を受けていて……頼れないの。お母さんもこんな状態だし……」
「そう。それじゃあ、豊原家の主人は今、あなたということね」
「え……」
呆然とするトキ子を見据えて、志乃は淡々と言葉を続けた。
「一家の柱として、背筋を伸ばしてください。人頼みではなく、やるべきことを、あなたがすべておやりなさい。埋葬は明日の予定なの?」
「ま……まだ……何も……。だって、こんな急で……わたし、どうしたらいいのか……」
「段取りがついていないなら、早く名主のお家に相談なさい。今日、この後すぐに」
「どう相談したらいいかわからないわ……お金だってかかるだろうし……。そうだ……、竜胆家に預け入れるのは――」
トキ子は紫紺に涙目を向けたが、彼の返答は早かった。
「お断りします」
ただ一言。温度のない声に、トキ子は押し黙った。志乃は最後に言い添える。
「葬儀が落ち着いたら、もう一度、義三さんに仲人を頼んで婿を取ったらいいわ。その後は二人でどうにかやっていってちょうだい。わたしの口出しはここまでにします」
そう言って会話を切り上げ、志乃は紫紺に目配せをした。「もう話は終わりました」という合図を送ったのだ。
紫紺は静かに頷き、弥次郎の枕飾りの前に移動した。線香をあげて仏具を鳴らし、合唱する。手を合わせ終えたら、自分たちはもう帰るだけ。豊原家の面倒を見る気はない。
焼香の番を待つ間、志乃は弥次郎の亡骸を見つめていた。
弥次郎と誠一郎の因縁は、ここに終着した。
自分は最後まで見届けたのだ――。
お鈴の音の余韻を聞いていると、そんな、気持ちの区切りがついた気がした。
けれど、一方で。トキ子は未だ踏ん切りがつかないみたいだった。
顔をくしゃくしゃにして、志乃に縋りついてきた。
「そんな……わたし一人じゃどうにもならないわよ……。元は志乃ちゃんがこの家の主人でしょう……? 落ち着くまでは、志乃ちゃんが手伝ってくれたって――……」
「主人、ね……。その身分をわたしから奪って、豊原家の頂点の座についたのが、あなた方です」
「……っ……。全部……全部返すから……っ」
「いりません。わたしは竜胆志乃です。豊原の名は、もうわたしのものではないから、家督も何もいらないわ。すべてはあなたのものです、豊原トキ子さん」
豊原トキ子、と家名を強調して呼んだ。これからあなたは、この家のすべてを背負っていくのだと、突きつけてやった。
ようやくトキ子の胸に響いたのか、縋りつく手は解けて、畳の上に落ちた。
それでもなお、何か言おうと口を動かしてはいたが、何も言葉が出てこない様子で、ただただ唇を開け閉めしている。
いつまでも割り切れないでいる彼女を置き去りにして、志乃は焼香を済ませると、紫紺と並んで仏間を後にした。
「……わたしは冷たい女ですね」
廊下を歩きながらため息をつくと、紫紺は淡々と答えた。
「それを言うなら、私の方こそ。弥次郎様の亡骸を拒んだのですから。鬼神の贄にして、あなたの父母と同じ所へは行かせたくなかった。神の御許にだけは」
そう語る紫紺の顔は、いつもの無表情ではあるが、目の奥には憎しみがちらついて見える。
思いがけず、彼の中にまた新しい感情を見つけてしまった。決して良い感情とは言えないけれど……負の感情だって、人が人らしくあるためには必要なものだ。
都合の良い受け取り方だが、志乃はそう解釈して、言葉を返すことはしなかった。
玄関を出たところで、志乃は振り返って屋敷を眺めた。
「一応、焼香はしましたけれど……拝む意味なんて、なかったかもしれませんね」
「そうですね。あの男はどうせ成仏できない。下手な呪法に手を出したから、悪霊の類にたかられている」
志乃は先ほどの、仏間に眠る弥次郎の姿を思い返す。
口にこそ出さなかったが……弥次郎の亡骸には、数えきれないほどの黒い手が群がっていて、全身を掻き毟られていたのだった。
……いいや。「先ほど」というのは嘘。そのおぞましい状況は、実は今この瞬間も、志乃の目に見えている。
屋敷の玄関から、弥次郎が這いずって出てくるのが見える。言わずもがな、霊体のはずだが……志乃にはもう、はっきりと認識できた。
群がる悪霊たちの黒い手に引っ張られながら、必死の形相で救いを求めている。『悪かった……! 助けてくれ……! 俺が見えているんだろう!? どうか、どうか助けてくれぇ……!』と、こちらに手を伸ばしている。
弥次郎に一瞥をくれると、紫紺は志乃の肩を抱いた。
「長居しない方がいい。行きましょう」
「はい」
見悶える弥次郎から視線を外して、志乃は歩きだした。
弥次郎への恨み。父を救えなかった後悔。零落していく生家を見据える、複雑な想い――。
きっとこれらは、生涯、この心にまとわりついてくるに違いない。綺麗さっぱり捨て去ることなど、自分にはできないだろうと思う。
(――ならば、いっそのこと、すべて抱えていこう)
志乃は密かに、そう決めた。
過去も、後悔も、負の感情も。抱えて、抱えて、重くて仕方なくても、それでものしのしと一歩を踏みしめて、歩いていってやろう――。
腹をくくった志乃を見て、紫紺が問いかける。
「どうしました? 拳を握りしめて」
「なんでもありませんよ」
微笑み返すと、志乃の拳は大きな手のひらに包み込まれた。
秋晴れの下。夫婦で手を重ね、歩幅をそろえて。
幾度も通った田畑の道を踏みしめて、家へと帰った。




