第1話 気弱なヒロインに転生したけど、
――私は、気弱な女の子が嫌いだった。
誤解を恐れずに言うならな。
正確に言えば、気弱な女の子が嫌いなのではない。
気弱な女の子が、周囲の人間に振り回されて、何も言えずに損をする展開が苦手だった。
だから、乙女ゲーム『花冠の恋物語』をプレイしたときも、主人公のリュシエンヌには少しばかり苛立っていた。
攻略対象の王太子に話しかけられれば、顔を赤くして俯く。
婚約者の公爵令嬢に嫌味を言われれば、何も言い返せずに涙を浮かべる。
困っている人を助けようとして、余計な面倒に巻き込まれる。
そして最後には、王太子の婚約者である公爵令嬢に「あなたが殿下を誘惑した」と断罪される。
いや、もう少し自分の意思を持とうよ。
そう思いながら、私はゲームを進めていた。
もっとも、攻略対象たちの顔は良かった。
王太子のアレクシスは、金髪碧眼の美形。
騎士団長の息子レオンハルトは、無口で誠実な青年。
魔法研究者のフィルベルトは、少し変わり者だけれど頭が良い。
隣国の王子ノアは、柔らかい笑顔が印象的な人物。
乙女ゲームとしては、なかなか魅力的な面々だった。
ただし、私は彼らに夢中になるほど若くもなかった。
ゲームを楽しむのは好きだが、現実の恋愛にまで理想を持ち込むつもりはない。
そう考えていた。
――そのはずだった。
*
目が覚めたとき、私は知らない部屋にいた。
天蓋付きの寝台。
白いカーテン。
窓際に置かれた花瓶。
そして、見覚えのない小さな手。
「……え?」
声が幼い。
身体を起こすと、長い淡金色の髪が肩から流れ落ちた。
慌てて鏡を探す。
部屋の隅に置かれた姿見を覗き込んだ瞬間、私は固まった。
そこにいたのは、青い瞳をした少女だった。
大きな瞳に、柔らかな頬。
可愛らしい顔立ち。
どこかで見たことがある。
いや、見たことがあるどころではない。
「……リュシエンヌ?」
乙女ゲーム『花冠の恋物語』の主人公。
リュシエンヌ・エルヴェール。
私は、彼女に転生していた。
頭の中に、前世の記憶が次々と蘇る。
仕事帰りにゲームを買ったこと。
休日に一気にプレイしたこと。
気弱な主人公に少し苛立ちながらも、攻略対象たちの好感度を上げていったこと。
そして、ゲームの終盤。
主人公が王太子の婚約者に断罪される場面。
「……待って」
私は鏡の前で呟いた。
「私、リュシエンヌなの?」
鏡の中の少女が、同じように口を開いた。
間違いない。
私は、乙女ゲームの主人公に転生してしまったらしい。
しかも、よりにもよってリュシエンヌ。
ゲームの主人公は、平民出身ながら魔法の才能を見出され、王立魔法学園に入学する。
そこで攻略対象たちと出会い、恋をする。
けれど、彼女には問題があった。
気が弱い。
人に強く言われると逆らえない。
自分の意見を伝えるのが苦手。
困っている人を見ると、つい助けてしまう。
その結果、周囲の人間に誤解される。
特に問題なのが、王太子の婚約者であるセレフィーナ・ヴァルクレール公爵令嬢だった。
彼女はゲームでは悪役令嬢として登場する。
リュシエンヌをいじめ、王太子との仲を引き裂こうとする。
そして、最後には主人公を断罪する。
けれど、私はセレフィーナが嫌いではなかった。
むしろ、彼女の言っていることは正しいと思っていた。
『あなたは、王太子殿下に婚約者がいることを理解しているの?』
『殿下に近づくのであれば、相応の覚悟をなさい』
『あなたの態度は、周囲に誤解を与えますわ』
ゲームでは、悪役令嬢の嫌味として描かれていた。
しかし、今になって考えてみれば。
リュシエンヌは、王太子に何度も相談を持ちかけていた。
困ったことがあれば殿下を頼り、殿下に助けられ、殿下に笑いかける。
その一方で、婚約者であるセレフィーナには何も説明しない。
それで誤解されないほうがおかしい。
「……いや、そりゃ怒るでしょ」
私は思わず口にした。
王太子に婚約者がいるのなら、距離を考えるべきだ。
それなのに、主人公は周囲に流されて、何度も同じことを繰り返す。
そして、最後には断罪される。
もちろん、セレフィーナにも問題はある。
ただ、ゲームの中で彼女が主人公を責める理由は、完全に的外れというわけではなかった。
「……つまり」
私は鏡の中の自分を見つめた。
「このままだと、私が断罪されるってこと?」
それは困る。
私は恋愛がしたくて、この世界に来たわけではない。
王子様と結婚したいわけでもない。
ただ、平穏に暮らしたい。
誰かに嫌われるのも、怒鳴られるのも、面倒ごとに巻き込まれるのも嫌だ。
ましてや断罪なんて、絶対に避けたい。
「……よし」
私は拳を握った。
まず、王太子には近づかない。
セレフィーナにも余計なことを言わない。
攻略対象たちとも必要以上に関わらない。
そして、誤解されるような行動をしない。
簡単だ。
ゲームの主人公は気弱だった。
けれど、私は違う。
嫌なことは嫌だと言う。
おかしいことは、おかしいと指摘する。
自分の意思を持って行動する。
それだけで、きっと大丈夫。
そう思っていた。
その日の午後。
部屋を訪れた母から、思いもよらない話を聞かされた。
「リュシエンヌ。あなた、王立魔法学園への入学が決まったわよ」
私は固まった。
王立魔法学園。
ゲームの舞台。
そして、セレフィーナと王太子がいる場所。
「……お母様」
「どうしたの?」
「入学を辞退できませんか?」
母は不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「……人間関係が面倒そうなので」
母は、ますます不思議そうな顔をした。
「まだ入学もしていないのに?」
「はい」
「あなた、昔から少し変わったところがあるわね」
それはそうだろう。
中身は前世の記憶を持った大人なのだから。
しかし、入学を辞退することはできなかった。
王立魔法学園は、貴族の子女にとって重要な教育機関だ。
魔法の才能を認められたリュシエンヌが入学しないとなれば、家族にも迷惑がかかる。
私は諦めた。
「……わかりました。行きます」
「まあ、よかったわ」
母は嬉しそうに微笑んだ。
私は笑えなかった。
これから、あの乙女ゲームの世界で生きていくのだ。
ならば、やることは一つ。
断罪を回避する。
そして、平穏な学園生活を送る。
私は、そう決めた。
――このときはまだ。
自分の性格が変わっていることが、周囲にどれほど奇妙に映るのかを知らなかった。




