第百七十一話 魔女ヴァギア
全てのプレイヤーはゲームを基本とし、作中のシステムと共に召喚される。
それが今回の遊戯における基本的な遵守事項であった。
だが魔女ヴァギアは例外的な存在だ。
彼女の元となったゲームは『ドキドキ☆サキュバスワールド』という名前のアドベンチャー。
主に成人男性を対象としたアダルト系のノベルゲームだ。
有名ではあったが、熱烈なファンが付くというものではない。作品のシナリオやアダルト表現について一定の評価はついていたが、誰かの人生を大きく変えるほどのものでもなかった。
ほとんどのプレイヤーは一度遊べば満足し、そうでない熱心なプレイヤーもグッズを少量揃えるか、数年ほどのめり込んだ後に離れていく。
商業的には収益を上げているし、他のタイトルすら覚えられないような作品に比べれば十分すぎるほどの評価を得ている作品だ。
だが、そのゲームには人を狂気に陥らせる程の誘引力はなく、神々の興味を引くほどの幸運も持ち合わせていなかった。
ヴァギアは、そんな世界中に散らばる比較的恵まれた作品の中に登場する、ただのキャラクターの一人だった。
はじめから彼女に意志が存在していたかと問われれば、否と言わざるを得ない。
所詮はゲームのキャラクター。大量に制作され、大量に消費されていつしか忘れ去られる哀れな有象無象の一つに過ぎない。
だからそれは、ほんの微かな、さざなみの様な変化でしかなかった。
「私のマスターはどうしていつも私を捨てていくのかしら? でもまぁ、仕方のないことよね? 所詮ゲームだもの……」
ヴァギアは失意にはあったが己のあり方を受け入れてはいた。
深く思考するほどの意識を持ち合わせていなかったということもあるが、それは彼女の性格から来るものも大きかったのだろう。
だから、彼女を掻き立てる本質は全く別のものだった。
「もっと生きたかった……」
「私も愛する人と結婚して、子どもが欲しかった」
「素敵な恋人と結ばれたい」
世界に蔓延る報われぬ女性の情念。生まれることの叶わなかった子どもの無念。
嫉妬、色情、渇望、諦念。
その様な負の感情が、アダルトゲームという特殊な環境で生まれた念と融合し、僅かに存在していたヴァギアの自我を核として一種の生霊の様な存在と化していたのだ。
存在としては弱く、せいぜいが独身の男性の夢に現れる程度。
良くてネットロアの一種になれば幸いで、本来ならば一時的に噂として流行り、消えていく程度の哀れな存在でしか無い。
「男の人にエッチな夢を見せるお化け……ねぇ。私にしては頑張ったほうじゃないかしら? なんか本末転倒な気もするけど、こんなやり方しか知らないし。私の中にいる娘たちが少しでも成仏してくれるのなら御の字じゃない?」
この段階に至っても、まだヴァギアは己のあり方を受け入れていた。むしろそうするしか方法が無かった。それほどまで彼女たちは弱い存在であったがゆえに。
それでもいいと思っていた。誰からも求められていない存在だったのだから、このままいずれ消え去っても良いと思っていたのだ。
だが、そんな彼女に目をつけた存在が居た。
『《《拡大の神》》《《拡大の神》》《《拡大の神》》』
「えっ!? な、なに! 誰なの!!」
突如、霞めいていた彼女の意識がはっきりと浮上し、同時にその仮初の脳裏に強烈なまでのメッセージが放たれた。
言葉ではない。直接概念を叩き込むような、強烈なメッセージだ。
それも彼女の存在そのものが吹き飛んでしまいそうなほど強力な……。
ヴァギアたちの魂が消え去っていないのは、それを許可されていないからにすぎない。
「?_? ?_? ?_?」
その存在は《《拡大の神》》と名乗り、ヴァギアに提案をしてきた。
あるゲームに参加しないか? と。実際に言葉を発したわけではない。
だが情報が入ってきた。意味はわからないが、意図することはよく分かった。
「一体なぜ? そんなものに参加したからと言って、何か意味があるのかしら?」
不信というよりも、困惑が勝った。神が嘘をついていないことはよく分かる。わざわざ自分程度の存在に嘘をつく意味もないだろうし、何よりそう情報を叩き込まれた。
だからヴァギアの胸中を占めるのは"なぜ?"でしかない。
一体何が目的? どうして私に? とそういう基本的な疑問から来る困惑だ。
「(*゜▽゜)ノ (*゜▽゜)ノ (*゜▽゜)ノ」
問いには明確な答えがなかった。否――"拡大"する為にと伝わってきた。
答えが無いと判断したのはヴァギアにはその深淵なる在り方が理解できなかったにすぎない。
だが幸いなことにヴァギアにも理解できることが一つだけあった。
神は――《《拡大の神》》は報酬を約束したのだ。
であればそれは事実なのだろう。無論制限は存在しない。神の前に制限などという言葉は不要であるから。
すなわち何でも叶えてもらえるのだ、どんなに無謀で、どんなに分不相応な願いでも……。
「分かった。その提案を受け入れる。私の、私たちの願いは一つよ……」
だからヴァギアは、提案を受け入れることにした。
判然としない状況の中、それでもマシな未来を夢見て突然差し伸べられた手を受け取ることにしたのだ。
もしかしたらそれは彼女自身の願いではなかったのかも知れない。だが、だとしても彼女がここで選択したことには意味がある。
いずれ貞淑の魔女ヴァギアを名乗る彼女は……夢を見たのだ。
「全ての魂に救済が欲しい。貴方なら、それが可能なのよね?」
「(*`・ω・)ゞ (*`・ω・)ゞ (*`・ω・)ゞ」
契約はなされ、プレイヤーが生まれる。
魔女でありプレイヤーであるという歪な概念を有する新たな挑戦者が……。
やがてヴァギアは温かな光に包まれる。情報が奔流となり、"拡大"しなければならないという奇妙な使命感とともに彼女の血肉と魂を構築していく。
彼女と共にあった哀れな魂もまた、同様に血肉と魂を与えられ、虚ろだった存在を確固たるものにしていく。
「(≧▽≦)」
その様子を見て、神は満足であるとの反応を示した。
………
……
…
「さぁっ! イクわよん♪ これからエッチなお姉さんヴァギアの、世界を股にかけた壮大な冒険と拡大が始まるわ♪」
こうして、魔女ヴァギアの戦いは始まった。
否――それは果たして戦いと呼べるものだったのだろうか? 救われぬ魂が持つ、たった一つの夢のためと言えば聞こえは良い。
だが実際はあまりにも無軌道な拡大である。
エル=ナーを占領し、エルフたちを手中に収めたのも何か戦略的に重要な目的があったからではない。ただ、一緒に歩んでくれる誰かが欲しかったからだ。
彼女たちが種族として享楽を愛するのもそういう理由からだ。決して満たされぬ何かを本能的に渇望し続けているのだ。
ヴァギアは止まれない。彼女が望まなくても、数多くのサキュバスたちが持つ想いの集合が、そうせざるを得ない状況を作って来ていた。
「魔女ヴァギアとして宣言するわ! イラ=タクトを、そしてマイノグーラを倒さないことには私たちの未来はない!」
拓斗と戦端を開き、その打倒に心血を注いだのもまた、似たような理由からだった。
彼とヴァギアには、本質的に持つものと持たざるものの違いがあった。
拓斗とアトゥは、あまりにも眩しかった。
自分たちは孤独な戦いに臨んでいるのに、二人には心から信頼する相手がいる。
その事実が彼女たちの心にへばりつき、決して満たされぬ渇望を思い起こさせ、ある種の固執となって判断を鈍らせた。
「まったく……、一人で全部成し遂げないといけないってのも大変なものねっ! でも、皆の為に頑張らなきゃ! だってみんな私に助けを求めてくれているんだもの」
彼女は皆の為にただひたすら歩き続けた。
だが反対に、誰も彼女に声をかけてくれなかった。誰も助けてはくれなかった。
H氏は他の男と同様に自分の事など見ていなかったし、自分を裏切ることが分かっていた。
エルフやクオリアの住民も、能力や力で支配しているだけで、本当にヴァギアたちのことを慮っているわけではない。
仲間であるサキュバスたちでさえ、その享楽的な性質と己のうちに秘める欲求から逃れられず、ヴァギアが受ける重圧から目をそらし続けた。
そしてなにより、《《拡大の神》》はずいぶん前から彼女の呼びかけに答えることはなくなっていた。
「もうずいぶんと神様の声も聞いていないわ。繰り返しに飽きちゃったのかしらん? ちゃんと報酬は用意されてるんでしょうね?」
ヴァギアはずっと間違っていた。
《《拡大の神》》は拡大を望むだけの空虚な機能だ。実のところそこに意志は存在していない。
確かにある程度の意思疎通も出来るし、能力も行使する。
だがあくまでそれは"拡大する"という指向性の副産物であり、他の神々と同様に何か意図を持って会話や交渉を行っているのではない。
《《拡大の神》》に意志を感じると言うことは、水面に石を投げて現れた波紋に何か特別な意味を見いだしているに過ぎない。
「誰も私を助けてくれない。だからもうそういう期待は止めにしたの。今は一人でも十分に生きていける! 新時代を生きる女にならないとねっ♪」
だから、実のところ最初からヴァギアには誰もいなかった。
誰もいないからこそ、彼女だけは、自分自身で救済しなければならなかった。
こうして彼女の孤独な戦いは、終着点へと辿り着く。
もっと上手なやり方があったかもしれない。
だが、彼女を助け、あるいは叱咤し、導いてくれる者はどこにもいなかった。
結局のところ、彼女は正統大陸連盟などという御大層な題目を並べて多くの人々を使役したが、本当の意味で仲間と言える人物は、誰一人としていなかったのだ……。
◇ ◇ ◇
「ああ、来たのね。ここには……何もないわよ」
大陸北部の人里離れた場所にある洞窟。
おそらく最初にヴァギアが召喚されたであろう場所の最奥の壁に、彼女は力なく寄りかかっていた。
GM能力によって全ての能力を封印した後、本拠地とマスターを叩くためにあえて泳がせていたのだ。
本来であれば最悪の手である。相手に猶予と選択の余地を与えることが、どれほど自分たちを危険に晒すかなど説明せずとも分かる事。
何より相手はあの魔女ヴァギア。さんざん苦渋を飲まされた相手に対して取る手段ではない。
だがその悪手を強引に押し切れるだけの無法が、GMという存在であった。
ここで全てを終わらせる。
その覚悟を持って万難を排除したうえで、限界までダメージを与えた彼女をこうして泳がせていたのだ。
だが、拓斗とアトゥ、アイと優、そして繰腹がこの場所で見つけたのは、使われた様子のない真新しい一つの椅子と、今にも息絶えそうなヴァギアだけであった。
「マスターはどこだ? おかしいな。繰腹くんと同じパターンで何処かに隠れていると思ったんだけど。もう逃げたのか?」
「とりあえず、繰腹の無敵の能力で探してみたら? 少なくとも、ここでウダウダ言っているよりは確実よ」
「そうだね。繰腹くん、確認して」
アイの言葉に確かにそのとおりだと納得した拓斗は、アトゥに周囲の警戒を任せながら繰腹に告げた。
「あいよ、いよいよ終盤だな……っと」
=GM:Message===========
GM権限行使。
貞淑の魔女ヴァギアに関する全ての情報を開示します。
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パチンと指が鳴らされ、同時に繰腹が眉を顰めた。
その表情は問題が起きたと言うよりも、どこか苦渋に近いものだった。
どうにもマスターが逃げたとか、そういう話ではないらしい。
一体何があったのかと訝しむ拓斗は、率直に繰腹に問いかける。
「で、一体何があったのかい?」
「いや、……言えねぇ」
だが繰腹の答えは拒絶であった。
その態度にますます拓斗は困惑する。
今更裏切りなどの可能性は低い。だとすれば知った情報が不味かったとしか考えられない。
そう判断し終える前に、優とアイが口を挟む。
「おいおいケイジ。それはちょっと駄目だろ。報連相って知ってるか?」
「ご主人様の言うとおりよ。何を知ったかわからないけど、別に大したことじゃないだろうからさっさと吐きなさい」
「いいや、駄目だね」
再度の拒絶。ピリッとした空気が場を満たしていく。
通常であれば聖女の二人が仲裁に入るところではあったが、残念なことに今は他の戦場のフォローに回っている。
RPG勢の二人ほど苛立っているわけではないが、さりとてどうしたものかと拓斗は考え込む。
ここで仲間同士で争うのは一番避けたい事態だ。だが繰腹がこの様な状況ではなかなか元通りとはいかないだろう。
「すまねぇ。不誠実なのは分かってる。けどこれは俺の胸にしまうってことで納得してくれねぇか? こいつにマスターはいねぇ。そしてこれ以上取れる手はない。そこは確かだからよ」
繰腹が頭を下げた。虚栄心が強く、なかなか矯正が進まない彼にしては珍しく謙虚な態度だ。
この男がそこまでするとは……。
「名誉……か」
拓斗の言葉に繰腹は静かに頷いた。
「それ、守る必要ある?」
「まったく同意見。相手は敵だぜ? 情かけるとか状況わかってる?」
「分かってる。が、俺は言わねぇ」
RPG勢は不満の様子。繰腹も引かない。
だがここらへんで落としどころにしておく方が良いだろう。
拓斗は仲裁の言葉を述べようとするが、その前に死に体のヴァギアがゴボゴボと血反吐を吐きながら口を開いた。
「……ごほっ、い、いい男ね。貴方が、私のご主人様だったら、……よかったのに」
「わりぃな。もうその席は一杯であきがねぇ」
その言葉にヴァギアは少しだけ口角を上げて笑い、またゴホッと大きく咳き込み血を吐いた。
「ずっとずっと、イラ=タクトが羨ましかった。他の全員が羨ましかった。パートナーが居て、仲間が居て、一緒に助け合って、最後も一緒に死ぬ。私もそんな夢を見ていた」
最後の命を燃やし尽くすかのように、ヴァギアは語る。
それは誇りを守ってくれた繰腹に対する義理なのかどうかはわからない。もしかしたら自分の想いを残したいというある種の欲求なのかも知れない。
だが弱々しい彼女の声音からは、どの様な意図が込められているのかわからない。
「最後の最後までお互いを思い合って、絶対に諦めなくて、果てには奇跡まで起こして見せる……そんな相手が欲しかった。私も……全てを任せられるご主人様が欲しかった……頼れる仲間が、気兼ねなく冗談を言い合える友達が欲しかった……」
繰腹は苦渋に満ちた表情を浮かべている。優は険しい表情を浮かべ、アイですら思うところがあるのか沈黙を貫いている。
ヴァギアの独白からおおよその事情を察した拓斗は、まるで彼女の選択と行動が理解できないとでも言わんばかりに、やや呆然としながらもつぶやく。
「僕は……別に、全く話が通じない人間というわけではないと思うんだけど……」
「拓斗さま……」
主の動揺が伝わったのか、アトゥが側へ寄り添い気遣う。
その深い絆で結ばれた主従の姿がヴァギアの霞む視界にはっきりと映る。
憧れていてなお、手が届かなかったものがそこにはあった。
「ああ、羨ましいなぁ……」
貞淑の魔女ヴァギアの最後の言葉は、そんな寂しさに満ちたものだった……。
=World Message==========
貞淑の魔女ヴァギアの消滅が確認されました。
《《拡大の神》》は敗北となり本遊戯から退場となります。
残るプレイヤーの奮戦を、遊戯管理者《《盤上の神》》は心より応援しております。
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