第154話 約束は守ります
記録は、そこで途切れていた。
僕は画面を見つめた。
美咲さんが先に口を開いた。
「ちょっと待ってください。」
「はい?」
「この事件……前に私たち、見たことありませんでした?」
その言葉を聞いて思い出した。
綾乃さんが僕たちを見た。
「どの事件ですか?」
「巨済で、捕虜たちが収容所長を捕らえた事件があったんです。ドッド……という人でしたよね?」
「そうだったと思います。」
僕はもう一度資料を検索した。
しばらくすると、見覚えのある内容が画面に表示された。
フランシス・T・ドッド准将。
1952年5月7日。
巨済島捕虜収容所の第76収容区域で、捕虜たちに捕らえられた。
美咲さんが画面を見た。
「その事件に……佐伯さんが実際にいたんですね。」
「そうですね。」
「その准将はどうなったんですか?」
僕は続きの内容を確認した。
「5月10日に解放されました。その後、米軍は捕虜収容所の統制を再び確保するための措置を本格的に始めました。」
「ドッド准将の解放に、佐伯さんも関わっていたんじゃないでしょうか?」
「そこまでは記録がないので、わからないですね。」
綾乃さんが言った。
「アムゲさんも、何か動いたような気がします。」
「そうかもしれませんね。いろいろな方法が検討されているって言ってましたから。」
もちろん、正確な記録がない以上、すべて推測にすぎなかった。
綾乃さんが僕を見た。
「佐伯さん、本当に波瀾万丈な人生を送ってきたんですね。本当にすごいとしか言えません。」
「僕も、読めば読むほどそう思います。僕がまったく知らなかった祖父のことを、少しずつ知っていくような感じです。」
綾乃さんが言った。
「急いで、このあとの資料も整理しますね。一時間だけ待っていてください。」
僕と美咲さんは下の階へ降り、しばらくお茶とお菓子を口にすることにした。
「缶コーヒー飲みますよね?」
「はい。」
美咲さんが冷蔵庫から缶コーヒーを取り出してくれた。
一本ずつ飲みながら話を続けた。
「佐伯さんは、日本へ行くために、こんな危険なことまでしたんでしょうね。」
「そうでしょうね。そうじゃなければ、祖父がこんな危険なことをする理由はないですから。」
千代子さんに会うために、祖父は自分の命を懸けて、アムゲの指示を受け、特務機関の任務を引き受けていた。
美咲さんが缶コーヒーを一口飲んだ。
「実は私、朝鮮戦争についてはあまり興味がなかったんです。ほとんど知らなかったと言ってもいいくらいで。でも今回、本当にいろいろなことを知りました。」
「そういうこともあるでしょうね。韓国では重要な出来事として習いますけど、日本ではどうしても関心が薄いこともあるでしょうし。」
少し考え込んでいた美咲さんが言った。
「でも、どうしておばあちゃんと佐伯さんは、うまく連絡を取れなかったんでしょう?」
僕は美咲さんを見た。
「いくらあの時代にお互い連絡するのが難しかったとしても、こんなにおばあちゃんと連絡を取ろうとしていた佐伯さんなら、きっと何か方法を見つけたと思うんです。」
美咲さんが少し言葉を止めた。
「もちろん、軍隊に入ったあとは難しかったかもしれませんけど、朝鮮戦争が始まる前、日本へ行く準備をしていたころなら、何か方法はあったと思いますし。」
「そうですよね……。」
当時の状況が厳しかったとはいえ、まったく不可能だったわけではないはずだった。
「もしかして、そのころからもう、うまく連絡が取れていなかったんでしょうか?」
「そうかもしれませんね。」
僕は以前見た記録を思い出した。
「だから越智亞里さんに頼んだんでしょうか?」
越智亞里さんの記録を思い出した。
1950年の春。
佐伯さんに頼まれて、一通の手紙をある女性に届けたという記録だった。
「そうだったのかもしれませんね。」
そのとき、スマートフォンが鳴った。
綾乃さんからの連絡だった。
[このあとの資料、整理できました。上がってきてください。]
僕が席を立つと、美咲さんも立ち上がった。
「私も一緒に行きます。」
僕たちは再び二階へ上がった。
綾乃さんは、新しく整理した資料を画面に表示していた。
「ここまで整理しました。」
僕は席に座った。
ドッド准将の事件のあとの記録だった。
祖父はまた、普段どおり補給業務をしていた。
そしてしばらくして、アムゲに再び会ったという記録が出てきた。
内容を追っていくと、当時の状況が頭の中に浮かんだ。
◆◆◆
米軍の将官は無事に解放された。
だが、収容所の雰囲気は以前とは違っていた。
警備が強化され、あちこちで捕虜を移すという話が聞こえてきた。
私は再び、普段どおり補給業務をしていた。
そんなある日、アムゲが私を呼んだ。
「軍でしていた活動は、やめることにしました。」
意外な言葉だった。
「もしかして、今回、米軍の将官が拉致された事件が原因ですか?」
アムゲが少し笑った。
「違います。私を嫌っている人間はかなりいて、攻撃されることも多いですが、この程度のことで潰れたりはしません。」
その口調には、妙な自信があった。
「もちろん、今回の件の影響がまったくないわけではありませんが、大きな理由ではありません。」
「では、ほかに理由があるんですか?」
「これからは軍よりも、民間で私がやるべきことのほうが多いと判断しました。」
アムゲはそれ以上説明しなかった。
「巨済での仕事はここまでです。釜山補給廠へ戻ってください。」
一瞬、もう私は必要なくなったのだろうかと思った。
「では、私との約束はどうなるんですか?」
「心配しないでください。約束は守ります。」
「本当ですか?」
「はい。また連絡します。」
それで話は終わった。
私は再び釜山補給廠へ戻ることになった。
だが、時間が経ってもアムゲから連絡はなかった。
アムゲに利用されただけなのではないかという不安が湧いてきた。




