第1話 祖父の写真
倉庫は、今月中に取り壊される予定だった。
地元の面事務所から届いた通知には、老朽化した空き家の整備事業という言葉と、村へ入る道路の拡張という言葉が並んでいた。
長いあいだ人の住まなくなった家や倉庫をいくつか片づけ、その場所に、小型トラックが一台どうにか通れるほどの道を少し広げる。そういう内容だった。
韓国南部の古い村では、もう珍しい話ではなかった。
人のいなくなった家は、まず屋根から沈んでいく。
それから庭の草が道を呑み込み、最後には、家の持ち主の名前さえ近所の人たちの記憶の中で薄れていく。
祖父の倉庫も、そのひとつだった。
僕は錠前に手をかけたまま、しばらく扉の前に立っていた。
錆びた取っ手からは、鉄の匂いがした。
古い板戸は、雨に濡れては乾くことを何度も繰り返したせいか、指先にざらついた粉を残した。
この倉庫を最後に開けたのがいつだったのか、正確には思い出せなかった。
ただ、ひとつの場面だけは、不思議なほどはっきりと覚えている。
祖父が亡くなった日。
僕はまだ幼かった。
部屋の中には、薬の匂いと古い布団の匂いが混じっていた。
大人たちは低い声で何かをささやき、僕はその言葉をよく聞き取れないまま、敷居の近くに座っていた。
祖父は痩せた手で、宙を探っていた。
指先は何もつかめないまま、布団の上をゆっくり動いた。
僕は怖くなって、母の服の裾をつかんだ。
そのとき祖父が、ごく小さな声で言った。
「白い飯に、梅干しを……」
僕には、その言葉の意味がわからなかった。
韓国語ではない、ということだけはわかった。
祖父の口から、一度も聞いたことのない響きだった。
低く、見知らぬ音で、それなのに、なぜかずっと昔から祖父の中に沈んでいたような言葉だった。
大人たちも、一瞬言葉を止めた。
誰かが、韓国語で尋ねた。
「お父さん、何ですって?」
けれど祖父は、それ以上答えなかった。
その夜、祖父は亡くなった。
そして僕は、長いあいだその言葉を忘れて生きてきた。
正確に言えば、忘れたつもりでいた。
大人になり、働き始め、会社へ通い、休暇の日数を数え、給料日とカードの支払いのあいだで暮らすようになってからも、その言葉はときどき胸の奥に浮かんできた。
なぜ祖父は、最後の瞬間に、僕たちにはわからない言葉を口にしたのだろう。
のちに日本語を少し学ぶようになって、僕はようやくその意味を知った。
白いご飯の上にのせる、赤い梅干し。
それだけの言葉だった。
それなのに、意味を知ってからのほうが、かえって胸の奥に残った。
祖父は最後の瞬間に、キムチも、テンジャンチゲも、マッコリも求めなかった。
日本語で、日本の食べものを求めたのだ。
いったい、なぜ。
なぜ祖父は、あの言葉を日本語で言ったのだろう。
僕は錠前を開けた。
錆びた金具がきしみながら外れた。
扉を押すと、長く閉じこめられていた空気が一度に外へ押し出されてきた。
黴と乾いた土、古い紙の匂いが混ざっていた。
倉庫の中は暗かった。
僕はスマートフォンのライトをつけ、中へ入った。
いくつかの農具が壁に立てかけられていた。
柄のすり減った鍬、錆びた鎌、手押し車の車輪、割れた甕、ずいぶん昔に使っていたらしい臼。
それらはどれも、僕の知っている祖父の持ちものだった。
田を見回り、畑を耕し、村の年寄りたちとマッコリを飲み、口数は少ないけれど、孫にはときどき飴を握らせてくれた人。
僕が知っている祖父は、そういう人だった。
けれど倉庫の奥に、古い帆布をかぶせられた木箱がひとつあった。
それだけは違って見えた。
僕は埃を払った。
木箱の蓋は、長いあいだ開けられていなかったように固かった。
力を込めると、釘が抜けるような音がして、蓋が少し持ち上がった。
中からは、まず紙の匂いが立ち上った。
服でも農具でもなかった。
古い書類の束がいくつか、紐でくくられて入っていた。
紙は黄色く変色し、角は触れれば崩れてしまいそうなほど弱っていた。
僕は慎重に、一番上の書類を広げた。
漢字がびっしりと並んでいた。
すべてを読むことはできなかった。
けれど、いくつかの文字だけは目に入った。
釜山。
昭和二十年。
引揚。
連絡。
名簿。
その言葉たちが互いに結びついた瞬間、倉庫の中の空気が少し変わったような気がした。
僕は次の紙をめくった。
そこには、人の名前が何行も並んでいた。
ある名前には丸がつけられ、ある名前には黒い線が引かれていた。
脇には、年齢や住所らしい文字が小さく添えられていた。
その中のひとつが、僕の視線を引き止めた。
佐伯春雄。
さえき、はるお。
初めて見る名前だった。
その下には、別の書類が重なっていた。
今度は日本語ではなかった。
古い韓国語の書類だった。
そこには、ハングルで祖父の名前が記されていた。
キム・チュヌン。
そしてその隣に、小さな漢字で、金春雄と添えられていた。
祖父の名前。
家族関係の書類にも、法事のときに使っていた紙の位牌にも、村の年寄りたちの記憶の中にも、そう残っていた名前。
僕は二枚の紙を並べて置いた。
佐伯春雄。
金春雄。
日本語の書類にある名前にも、韓国語の書類にある祖父の名前にも、同じ漢字が残っていた。
春雄。
姓は変わっていた。
けれど、名前の骨だけは残っていた。
僕は息を止めるようにして、ふたつの名前を見つめた。
僕はふたたび書類を探った。
目の前にある書類は、どれも僕の知らない祖父につながっているように見えた。
けれど、どこから読めばいいのかさえわからなかった。
木箱の下のほうには、布に包まれたものも入っていた。
最初は、古い服だと思った。
けれど布をほどいた瞬間、僕は息を呑んだ。
くすんだカーキ色の、古い軍服だった。
ボタンは錆び、布地はところどころ虫に食われていた。
それでも形は、まだ残っていた。
正確にどこの軍服なのかはわからなかった。
ただ、僕の知っている韓国軍の軍服とは違っていた。
その軍服は、僕が教科書の写真でしか知らない戦争の色をしていた。
祖父が生きていたはずなのに、一度も語らなかった時間だった。
僕はゆっくりと、軍服を畳み直した。
そのとき、木箱の底のほうから薄い紙袋が滑り出した。
古い封筒だった。
口は糊づけされておらず、中には硬い紙が一枚入っていた。
僕はそれを取り出した。
白黒写真だった。
写真はかなり色褪せていた。
それでも、二人の姿ははっきりと見えた。
若い男と、若い女。
男は軍服ではなく、普段着を着ていた。
まだ顔に皺ひとつない、若いころの祖父のように見えた。
いや。
祖父だった。
僕には、その顔がわかった。
これまで僕が覚えていた老人の顔とはまるで違っていたけれど、目元だけは同じだった。
言葉を惜しみ、何かを最後まで胸の内に呑み込む人の目。
その隣には、着物を着た女が立っていた。
海風が吹いていたのか、女の髪の一部が頬のそばに流れていた。
彼女はカメラを見て、ほんの少しだけ口元を緩めていた。
けれど目元には、笑顔に追いつかない影が残っていた。
僕は写真の中の女を見つめた。
祖母ではなかった。
幼いころ、祭壇の横に置かれていた祖母の写真を見たことがある。
ぼんやりとした記憶だったが、それでもこの女ではないことだけはわかった。
顔も違った。
服装も違った。
何より、まとっている空気が違っていた。
この写真の中の祖父は、彼女の隣で少し別の人間になっていた。
僕の知っている無口な老人ではなく、まだ何かを信じている若い男のように見えた。
写真は風景写真ではなかった。
二人の顔と肩が中心に写っていた。
背景は、不自然なほど狭く、ぼやけていた。
場所がはっきりわからないように写されているように見えた。
それでも、そのぼやけた背景の端に、海だけは残っていた。
小さな島の黒い影。
石段のように見える線。
そして、古い灯りのようなものの淡い輪郭。
僕は写真を裏返した。
裏面には、薄い鉛筆の文字が残っていた。
いくつかの文字は滲んでいた。
けれど、読むには十分だった。
鞆の浦にて
千代子と
昭和十八年秋
僕は、しばらく何も言えなかった。
倉庫の外では、ショベルカーの音がしていた。
そう遠くない場所で、もう別の空き家がひとつ壊されているのだろう。
その音のあいだに、僕は遠い昔の祖父の声を、もう一度聞いた気がした。
「白い飯に、梅干しを……」
あの言葉は、ただの食べものの好みではなかった。
写真の裏の「鞆の浦」という文字を見て、初めてそう思った。
佐伯春雄。
金春雄。
二枚の紙に残ったその名前のあいだに、千代子という女の名と、ぼやけた海が挟まっていた。
僕はスマートフォンを取り出し、検索窓を開いた。
鞆の浦。
見慣れない日本語の地名が、画面の上に浮かんだ。
それを見ながら、僕は写真を胸の前で持ち直した。
佐伯春雄という名前も、金春雄という名前も、まだ僕の中でひとりの人生としてはつながらなかった。
けれど、写真の裏に残った「鞆の浦」という文字だけが、消えずに目に残っていた。
倉庫は、もうすぐ消える。
ここに残っていた埃も、匂いも、古い沈黙も、数日後にはショベルカーの下で散っていくだろう。
僕は写真を封筒に戻さないまま、倉庫の入口に立った。
韓国南部の田舎の風が、庭を通り過ぎていった。
外では、またショベルカーの音がした。




