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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第二十四章 記憶のデータ

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48 着信



そんな尚香の平穏な日々に、困った着信が鳴ったのは9月のある日。



LUSH+の大型全国ツアー、最終日の3日前だった。



「はい、広大さん?」

章の父の従弟からだ。

『尚香さん、ライブ最終日に政木社長から招待来たの知ってますよね?』

「……あ……、私はあれ以降関わってないし、連絡もないからそれなりにうまくいったのかなって…」


『洋子ちゃん、コンサートに連れて行ってあげられませんか?』

「………え………」

何を言っているのだと思ってしまう。


「え?……それは無理です。」

『仕事とか?』

「今週末は友人と用事が……」

『お願いです。その日のライブに付き合うだけでいいので……』

「どうして……」


『前に私か妻がどうにか仕事を空けて付き添うと言ってはあったんですが、慣れない人とは無理だって断られて、娘と行くか自分で人を見付けると言っていたんですが………』

ギリギリになって、行く人がいないと一言だけメッセージが入っていたのだ。

「…………」

そうだ、洋子の性格を知れば分かる、当たり前のことが盲点であった。


『それでもういいかなって仕事入れて、今週末は出張で京都にいるし、妻も仕事で………』

「!」

広大は既に京都入りしている。


『今、知り合いのおばさんに連絡したんですが、一人は行政のお祭りで駆り出されてるし、もう一人は疲れやすくなったらしくてさすがにライブは……』

あきれてしまう尚香。

夜の部で数時間拘束される大型コンサートに、良子ちゃんや巻ちゃんを巻き込めるわけがない。

「洋子さんが自分で道さんか誰かを頼るしかないじゃないですか?」

何を道に遠慮しているのか。行きたいなら自分でどうにかするしかない。あとは道しかいないだろう。


「政木社長に章君のお母さんだから、スタッフ一人お願いして案内してもらえばいいですよ。」

政木が何を考えて章の実母の招待を許可したのかは分からないが、多少は関心があるという事ではないのか。

『でもそれで前後入れて3時間近いライブに全部付き添わせるわけにもいかないし…』

「多分、途中で帰りますよ。タクシーは一人で乗れるみたいだし……」

スタジアムで出口が分からずにあたふたしないかは心配だが。



「あ……」

そこで思い出す。


広大は知っているだろうか。章の幼少期の環境で、『ダムディー』の曲を聴くことはできたのかと。章は自分でCDプレーヤーを使えたらしいので、どこかで聴けたのか。誰かが聴かせてあげたのか。それだけ確認しておきたかったが、ぐっと飲みこんだ。



少し話してから無理と尚香は言い切った。もうそんなものは、洋子さんの周りでどうにかするしかないではないか。




***




その週末、土曜日は仕事で日曜日は美香と夕食の約束だ。



少し遅い朝。尚香は炊いたご飯で仏壇に御仏供(おぼくさま)様を備えて、朝食をとってからボーとしていた。


そして、自分のスマホを見る。

そこには数件、洋子からの着信と、『電話ください』というメッセージが入っていた。理由が分かっているので、もうそのままにしている。


眉間にしわが寄る。もうこの番号を消すべきか。

消すべきなのだ。章と道は仕事上残してはある。けれど洋子はもう消していい存在。




けれど怖い。


自分がそうだったように、他の人たちがそうだったように、この着信が最後になってしまうこともあるかもしれない。


命に係わるSOSの可能性もある。

その時、自分が最後のセーフティーになる場合だってある。



尚香に当て付けの電話をして、自分の腕を切った取引先元社長の姉。


親元に返されて、数年後に自殺未遂をした昔の知り合い。


際沢の事件の頃、尚香にいろいろ話してくれた他の事件の被害者が、もうこの世にいなかったと知った時の得体の知れない苦しさ。



『聞いてくれてありがとう』と言ってくれたのにどうして?




美香が、


頭を家の机に何度もぶつけて、倒れていたことがある。




『死なないで……』


『死なないで!』


そっけなく電話を切った美香に異変を覚えて、生命の糸が切れてしまうような尻すぼみ感を感じて、慌ててアパートに駆け込んだあの日。

内出血がひどい、救急が遅かったら障害が残るが死んでいたと病院で聞いて生きた心地がしなかった。




どれも怖い。


そして、どれも自分を苦しめないでほしいと思う。自分には何もできないのに、自分の一言が、行動が何か間違ったのかと思って、もう誰にも関わりたくない。


自分の人生だと突っ切って行ったことが、自分以外の人には二股だったのだ。恨まれててもしょうがない。またあの場所に行って何になるのだ。





「尚香、」


「尚香!」

「っ!お父さん……」


「大丈夫か?ひどい苦しそうな顔をしてるぞ。どこか痛いのか?」

「………お父さん………。大丈夫、何でもない………」


ふと見上げると、お父さんがひどく心配した顔をしていた。よく見るともう、お昼を過ぎている。こんなに休んだのは久しぶりだ。


「大丈夫か?休んでいた方がいい。」

「あ、うん……。大丈夫。」



お父さんが小さな掛け布団をしてくれるので、少し横になって、座敷の向こう側の開いた引き戸から見える庭を見る。

こたつかお父さんのいる側でいつも自分の視界を塞いでいた大きなあの人がいないと、こんなにも幅狭い家なのだと思い起こされる。彼が居座れるくらいの幅のある家だと思っていたのに。


しばらくジーとしていたら、ふと気が付いた。


自分が掛けている大きなタオルが、ナオのLUSHタオルだったのだ。うわっと驚くと、お父さんも驚く。

「?どうした?」

「……お父さん。これ、借り物。返すつもりだったんだけど……」

「そうなのか?ティッシュを探していた時にいい物があったから。」

「新しいティッシュは向こうの押し入れだよ。」



お父さんは学校英語くらいは普通にできるが、パンキッシュに砕いてある『LUSH+』の文字は分からなかったのだろう。紙袋に入れてあったのに貰い物だと思ったのか。

8月を過ぎてから、エアコンはずっとは入れてはいないがまだ蒸すほど暑い。

「お父さん、節約しないでエアコン入れて。」

「ああ、そうだな。」

汗が付いたかもしれない。また洗わないと……と、仕方なくそれを畳んで横に置く。


そして、今度は座ってその小さな庭をじっと見ていた。




あ、御仏供様……夏なので下げ忘れると腐ってしまうと、仏壇に行ってから思い出す。そういえば、朝ご飯の後にすぐに下げたのだと。


仏壇の実父の時計を見る。


もう時を刻まない、少し高級な腕時計。




存在も知らない父と、今、目の前にいるお父さん。


お父さんと同じ70代のご夫婦がまだ足腰がしっかりして、旅行や散策、買い物を楽しんでいるのを見る度に心が痛む。自分がこの家に来なければ、お父さんはまだ元気で、自分で飛行機に乗って先祖の故郷にお参りに行けたかもしれない。


そんな夫婦のささやかな定年後を自分が奪ってしまった。



「…………尚香?」

「……お父さん………。」

「…………」


「この仏壇、片付けようか………」

「?!」


「どうしたんだ?急に?」

「お父さんは、お父さんのおじいちゃんたちのお墓お参りに行けないのに……。」

「お参りは他の叔父さんたちがしているから大丈夫だよ。もし行きたかったら、誰かに頼んででも行っていたさ。」

俳句のノートを見ながら話すお父さんの言葉に耳を傾ける。


「……でもいいこともいっぱいあったからな。」

「…………」

「それにまだ行けるだろ。」

お父さんは、ノートから目を離して笑う。

「ダメでもやることは懸命にやって来たんだ。ご先祖様も怒らないさ。」


尚香は自分の膝をぐっと抱いた。




たくさんの心が右往左往する。



もう戻らないこともある。

けれど、マイナスからでも積み上げてきたものもある。


糠の上に積んでいるようだったけれど、


それでも―――




後退したくない。


そこから這い上がる労力がどれほどすさまじいか、尚香は知っている。


何か一つでも違っていたら、無かったかもしれない今。

もう十分、味わったではないか。


一生心から消えないことはあるだろう。苦しみも、後悔も。

でも、その質は変えたい。少なくとも、


全部を負の感情にしたくない。自分の足りなさを嘆いて。


誰かの怒りや当て付けにも左右されたくない。大切な人たちには安心してほしい。

そう、強くなりたいから。何かの度に動けなくなるのは嫌だから。起き上がるのに何年何年ももかかるから。



半歩でも前を向いて……


そう、決めたではないか。これは自分の人生で、自分で選んだんだと。


まず自分が強くなって、そして………





「………お父さん……」

尚香は立ち上がって高座椅子のお父さんに聞く。


「お父さん、私………」

「……ん?」

「山名瀬さんのことでもう少し迷惑を掛けるかもしれないけどいいですか?」

「…………」

お父さんが少し驚く。


「……もう何も起こらないかもしれないし……、また何かあったら面倒なことになることもあるかもしれない…………」


尚香は、『セミロングのタオル女』だ。誰かが自分を知っていたらと思うと怖い。せっかく収まった際沢の件を掘り起こされたら?もし何か間違えて、洋子がLUSHの何かしら関係者だと周囲が気付いたら?前方席なら、何か悟れるほどの敏感なファンたちがいるかもしれない。


彼らが守ってきたものを、LUSH+の世界を自分が壊してしまったら?もし自分がまた来たと、イットシースタッフに知られてしまったら?



けれど、お父さんは何も言わずに、でも嫌な顔もせずに尚香を見ている。ゆっくり言葉を待って。


「……コンサートに連れて行ってあげたい人がいて………」


「………」

「その人多分、一人じゃ行けなくて…………。」


過去、尚香が行ったコンサートは、最寄駅から入場までも大変であった。


そして今回の規模なら3万人会場だ。全席解放でなくともそれなりの人になるし、おそらくある程度音漏れはする。チケットを取れなかった人たちが周辺に集まることもあるかもしれない。

混乱するだろう会場周りにタクシーは着けてくれるのだろうか。規制はあるだろうか。今調べて洋子と行ける手段を取れるだろうか。


各業界人が出入りする大型催事には慣れていても、尚香にコンサートの知識はない。特別な入り口があるにしても、洋子は混乱するであろう。政木に聞いた方がいいのか。でも政木も会社一番手の歌手の初の大型全国ツアーに、こちらを構っている暇はないかもしれない。彼らが最も優先すべきは進行と安全だ。



少しの沈黙の後、お父さんは笑って言った。

「尚香、自分が思うようにすればいい。」

「………………」

「今しかできないこともあるからな。」

「……お父さん………」




尚香は急いで電話をする。

既に正午過ぎ。一度洋子のマンションにも行かねばならない。これからチケットを見て準備、間に合うだろうか。

まず広大に招待状のメッセージを転送してもらい状況を確認する。広大の方も仕事中なのかすぐに返事は来ない。


美香にも連絡をし、そして洋子の番号を鳴らした。




***




昨日からずっとピアノの周りやリビングでウロウロしていた洋子は、スマホで何度か良子の名前を出すも、掛けられずにまた行ったり来たりをしている。


楽器部屋の壁側の椅子には一番大切なバイオリンケースが置いてあり、そんな洋子を見ていた。



尚香に掛けてももう出ない。

広大に掛けるのは怖い。


大地は出てくれるが、部屋を飛び出して来てくれることはないであろう。今週正二が帰ってくるのは今日だが、直行で仕事先に行ってしまう。洋子に会場のイメージはできず、人が多いだろうと思うだけ。



また、ウロウロウロウロする。


もうずっと、ずっとウロウロしている。



今日のコンサートは1日2回。

入れ替えもあるし、今回は都外。既に午後。もう動かないとコンサートに間に合わないと聞いた。でも、どうしたらいいのだ。タクシーは会場前まで付けてはくれるが、内部まで案内してくれるわけではない。



そんな風にウロウロしている時………


洋子の着信が鳴った。





※御仏供様……仏壇に供えるご飯。


このストーリーに出てくるアリーナやスタジアムは架空の物です。

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