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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第二十四章 記憶のデータ

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45 進んでなく見えるものも



荻窪のライブハウスの中。

美香は先まで歌っていた功や真理たちをねぎらう。


「功君、お疲れ様。真理ちゃんも!」

「美香さん、ありがとう!」

「こちらこそ、ご招待ありがとう。」

「うんん、真理はもう行くから。」


「美香さん、言ってくくれれば食べ物もごちそうしたのに。」

真理と入れ替わりに、一息終えたナオもそこに入って来た。



「美香さん、本当にすみませんでした。」

ナオと功が頭を下げる。

「へ?」

何が?と思ってしまう。


「以前、功が失礼なことを言って……」

「え?何が?いいですよ?…………あー……」

ああ、事故の話をしてしまったことかと思い出す。


「本当にいいのに!あれは私もしつこかったから。話したのは私からで、ちょっと感情的にはなったけど私のせいです。」

てっきり、尚香の話をされるのかと思っていたので気が抜ける。


下を向いて静かにしていた功が、紙袋を出した。箱入りで個包装のカステラとバームクーヘンのセットだ。

「本当にいいのに。皆さんで食べてください。」

「いえ、お気持ちですので。」

「少し言い合いになったくらいでこんなことしてたら、私、腫れ物みたいになっちゃうじゃないですか。」

「そんなことは……でも、功も気が休まらないので。」


少し考えて美香はそれを受け取って、優しそうに笑った。

「お仏壇に添えようかな……」

「!」

功とナオはなんとも言えない顔をする。

「あ、気にしないで。うちの子、世の中何にも知らないうちに死んじゃったから、いろんな味を食べてほしいし、楽しい知り合いができたよって教えてあげたくって。」

紙袋を軽く抱きしめる。


「……章君、そんな顔しないでってば。大学卒業してすぐ妊娠したから、もう大分経つし。」

「…………」

美香は結婚3年経つ前に社会復帰した。


「……私ね、一番苦しかった時のこと、あまり覚えていなくて。全部が真っ暗だったのは最初だけで、後は真っ白で、でも知らないうちに通り過ぎちゃったかな。……結構自分、淡白だよね。」


「ただ、相手の家は夫が一人息子だったから………」

今も義実家に申し訳なくてどうしたらいいのか分からなかった。どんなにさみしいことだろう。責められなかったことが、ありがたくも苦しかった。


「辛いだけじゃなくてね…………自分の中に言い訳もたくさんあって。自分が全部悪いわけじゃないとか、この後どうやって生きていけばいいのかとか、沈んでばかりいても生活できないから吹っ切れとか…………」

そう思っても、もうどう生きていけばいいか足場がなくて。


自分のせいなのに、なぜ自分が?そればかり考えていた時期もあった。



「それで最初の頃、よく尚香が家に来て、普通に一緒に生活してくれたんだ……。金本のおばさんのおかずとかも持って来て。何をするってこともなく、一緒に。」

「……………」

「私が何もしないと、それはそれで放っておいてくれて。代わりにご飯したり、茶碗洗ったりして。仏壇にお参りもしておいてくれて。うちは親とそんなにそりも合わなかったから………。」

義実家の方が最後の最後までやさしかった。



「………まあ、何とかやってこれたかな。」

今も時々自分が分からなくなるけれど、それでも以前とは何かが違うようになってきた。


「ライブとかありがとう。この前、チューブユーのいろんなコメント見てて。いろんな人生があるんだって思って、何だか安心した……。」


そこにはファンの人たちの人生が、短いコメント欄にたくさん並んでいた。自分の人生にこんなことがなければきっと気に留めなかったけれど、もう少し頑張れそうだと画面を見て泣いた。


「章君の歌ってさ、天に届きそうなのに、ちゃんと地に着いてて安心するよ。」

「…………」



その日は、軽い雑談をして終わった。




***




都内の納骨堂。


空を見晴らせる山名瀬家の墓石から出された夫正一(しょういち)は、現在都心の納骨堂に入っている。


叔父が後を継ぐため、正一の一家が墓から追い出されたのだ。叔父が亡くなった時に長男である義父母の墓も外に出されるであろう。


道は少しだけ悲しい。

少し手間でも、自分が健康な内は納骨堂より雨や雪の日があっても空の下に正一を収めてあげたかった。


唯一の気休めは天井の高い納骨堂で、西洋の教会を思い起こさてるような開放感があることだ。



教会建築も手掛けていた正一。

その為もあって、聖書を読んでいた。


その開放感に、天井を超えて空を見ることができればと思う。



「………」

備えた花を見ながら、自分はいつか、どこに行くのだろう考える。


そして、洋子さんはどこに行くのだろうと。




道はきっと、義父母もいるここには入れてもらえないだろう。お義父さんとお義母さんが心配だ。お義父さんも亡くなって、「道さん、会いたいの」と言われたまま、道は叔父に義実家にお見舞いにも入れてもらえず、ホームや病院で会ったのが最後だ。天から子供や孫たちを心配したままであろう。


目に見えるお墓だけの話ではない。



道は覚えている。


最初に会った時、父親の横にいた自分に驚いた顔をしていた、長男正二(せいじ)の顔を。



あの頃は道も必死で考えが及ばなかったけれど、後で分かったのは、正二の中で父と母は正一と洋子で、そして二人は完璧な夫婦だったという事だ。


正一と正二が離婚後の親子面会する時に、時間を間違えて来てしまった洋子故に一度だけ三者の間で立ち会ってしまって。正二が嬉しそうに母と父を交互に見るも、そっけなく帰って行く洋子。それを見て泣き出しそうになる正二がいた。

なんてことをしてしまったのだろうと道は思った。



ボロボロで別れたらしいのに、何が完璧だったのだろうと思うけれど、正一と一緒に暮らして分かる。


戦後から共に歩んできた取引先や従業員も、たとえおかしな家でも、そのままにできなかった人なのだ。正一が家を優先した気持ちは道には理解できる。道もその辺は少し古い人間だから。


道だって自分が自由なのは、実家を任せられる兄が3人もいるからだ。荒れ果てた地で義実家数家族と同居し甥姪まで育て、釜に火を起こしてご飯を炊いて、その窯にへばりついた米をふやかしたお湯までみんなで分け合って飲んだ時代を通過した祖母。


なのに少し裕福になると義兄に家を追い出され、日本に来て……。


どんなことがあっても祖母を道一家が見捨てることができないように、山名瀬家で懸命に生きてき母親を正一は見捨てられなかったのだろう。兄弟はみな、離れてしまったから。


義母も、それでも夫と共に会社を守り、従業員や地域の人たちに尽くしてきた。



洋子さんも、そんな正一を受け入れていたのだ。




道も分かる。少し硬く温かった夫の腕。


たくさんに分割されて、直接受ける愛情は減ってしまったけれど、山名瀬家で必死な自分を支えてくれた、マンションの頃の正一。


分割されてどんなに減っても、妻に向ける愛情だけは他の人とは違ったから。正一が与えてくれたそれは、自分だけを優先愛してくれる愛情より、ずっと安心することができた。


きっと洋子も、あの腕にそうやって、支えられてきたのだろう。



ただ、何かが少しだけずれてしまっただけだ。歯車は休むこともなく、それぞれ一生懸命回っていたのに。


自分たちのように。





正一のお墓参りを済ませた道は、お世話になっているお寺に挨拶に行ってから、鳴っているスマホを見て迷いながらも着信に出た。


『道さん?』

「はい。」

『荻です。』

「はい、分かってます。」


『お祝いしましょう!』

「何をですか?」

『お金全部、返したじゃないですか!』

「…………」


「荻さんが借金のかたに人にお酌を強要するとは……」

『違いますよー。もう返したからです!』

「荻さんには借りていませんが?」

親戚が借用書もなく無利子で貸してくれたものを返し終わったのである。


そして実は、もう恥ずかしくて申し訳なくて親戚に頼れなかった借金があったものを、荻たちの伝手で軽くしてもらったのだ。直接荻には借りていなくても、変な金融会社に関わらないようにアドバイスを貰っていた。それも含めて全部終わった。


一番大きかったのは自分たちの住まいとは別にあった、マンションの維持費だ。持ち主は正二でも、正二が成人して準備ができるまでは代理人も管理も道。アメリカや韓国にいた期間も負担していたので、月々は数万円でも光熱費も払っていたし、数年に渡ればそれなりの額だ。正二にも改めてその話がしたいと持ち掛けられていたが、まだそのままだ。


終わったのは数年前だが、なぜいまさらと思う。




***




夜はお互い無理であったので、道は章に電話して昼に来てもらい三人でランチタイムからもつ鍋を囲う。昼なら酒も入るまい。


「と言うわけでカンパーイ!」


「荻さん、乾杯も何もなんすか、このお祝い。」

仕事から抜けて来た章があきれているのに、楽しそうな荻さんは躊躇なく言う。

「章の結婚祝い~!!」

「っ!?」

道も章も停止する。


「章に彼女が出来れば、もう自立ってことでいいだろ。」

「は?」

「結婚する人としか付き合わないと言っていたんだから、サッサと籍を入れろ。戸籍、自立しろ。」


「??どういう仕組みでそうなるんですか?」

「この前の子、いただろ。」

「………」

章はものすごく嫌な顔をする。


「ここ最近平穏だったのに、なんで荻さんが横から俺の平穏を乱すんですか?」

ずっと尚香には会ってないし、陽と会った日の後頃からは誰もその話をしない。

「え?しないの?」

「あの状況でどうしたらそう……」


「章、バンドマンで売れてんのに、まだ女性の気持ち一つ掴めないのか??」

「……あの人は俺の生活圏からいなくなりました。」

「…え?マジ?」

道ともに、それ以上章も何も言わない。


……のに、言い出すこの人。


「え、あ?でも、サッサと結婚しろ。そうすれば道さんも完全フリーだろ。」

「…………」

さらに冷めた目で見る、山名瀬親子。





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