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スリーライティング・下 Three Lighting  作者: タイニ
第二十四章 記憶のデータ

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44 私はもう



メールに送信された2つのファイルデータ。

1つは曲のみで、1つはで中は動画。それぞれ中で曲ごとに分割されている。動画データをスマホでも軽く聞けるようにだ。


メッセージを送信してから、データ化してくれた彼に会いに行き、アルバムを貰ってお礼も渡した。その時、動画の高画質データももらえた。家に帰るのを待てなくてイヤホンに切り替え、ビルのエントランスの端で音声データを開く。



「!」


信じられない。それは多分、どこかの文化会館のライブ会場。拍手や歓声からして派手な場所ではない。

司会がいろいろ挨拶や紹介し、登場する女性にまた拍手が沸く。


きっと音の向こうでは礼だけして一曲目が始まったのだろう。



最初の曲は、ピアノから。


「……うそ………。」


尚香もよくは覚えていないが知っている。過去、自分が何度か見た映像の音。もう失ったと思っていた声。



そこにヴァイオリンが入り………



そして始まる。


2曲目から彼女たちの歌が。

透き通るような声から、何かを突き動かすほどの唸り。


「…………」

信じられない尚香。覚えている。サビしか分からない曲もあるし、自分の頭の中の歌詞とだいぶ違うものもある。けれど、二人のデュオ。



完璧な、セッション。

洋子だけじゃない。もう一人、洋子とは同じようで違う、落ち着いているのに青々とした天に届くような声。



『道子』さん!

道子さんだ。



途中から軽快なマザー・グースのメドレーが入り、それを一つの曲として終わった後。


尚香は息を飲む。

「!」




『―――はじめてじゃないよね


君の名を呼ぶと―――』





なんてことだろう。


章の初めてのライブで聴いた、あの歌。




『―――聴こえてくるのは あの懐かしい

あの日のあなたの声―――』




………この声……


この歌。この歌のメインボーカルは『道子さん』だったんだ。


ピアノがなだらかに奏でられ、洋子より少し明るい、青々とした、突き抜けたような声。




洋子さんが求めても求めても………


会うことができなかった人。




動画を開こうとするも、ファイルをタッチする指が動かない。尚香の中で断ち切った人たちの人生の向こう側を見る勇気がなくて、映像は後回しにしようと。見てしまったら今の時点ではまだ、思い出にはできない。


これは章が生まれる前。

録音日はおそらく安定期に入った時期。家のフリーペーパーを見ないと分からないが、金本家が行った日に売っていたアルバムなので、そのコンサートに行く前の物だ。


アルバムケースの説明をもう一度よく読む。

作詞は『dledum』、作曲は『dledum,dletea』。



LUSH+では『あの歌』としか呼ばれていなかったこの歌の名は、


『いつかの君へ』だった。




いつかは過去?それとも未来?





作曲は連名という事でいいだろうか。この『dledum』は『道子』さん?尚香の中では、洋子はこんな作詞をするイメージがない。


以前洋子さんのこと知りたくて、マザーグースを調べていた時「双子の兄弟」に行きあたった。それをもじっていそうなので検索すると、変な卵な彼らが出てくる。けれど、あの卵の人間とは違うらしい。

よく見ると、片方の正式な語尾は『dlet()e()a()』ではなく「dled()e()e()」。お茶好きの洋子だからそうもじったのか。怖がりの洋子さんが好きそうなキャラにも見えないので、変えてもらったのだろうか。



たくさん知りたいことがあるもハッとする。


章は自分に叔母がいることを知らない。



これは開けてはいけない扉なのか。




そしてもう一つ自覚する。


「あ………」

妹の生きた証をこの世界から追いやってしまうほど、ショックを受けた洋子のプライベートの扉というだけではない。自分はもうここに関与できる人間ではないのだ。


みんなの前で頭から被ったソーダと氷が、今更背筋を冷やした。



自分はあれほど正二を避けていたのに、洋子に、章に、何かを強いるのか。

自分は逃げて、章には親のことだと何かの事実を突きつけるのか。



けれど、洋子が章のコンサートに行きたかった理由も理解する。



これは『ダムディー』、洋子さんと………道子さんの歌なのだ。




あの日の会話を思い起こす。


『………時には…歌も聞きたいし』

『でも私は、LUSHのライブに口出しする権利があるし』


そう言っていた洋子さん。




洋子さんは歌を奪った息子が赦せなくて、事実を確認するつもりだったのか。

それとも……本当にただ聴きたかっただけなのか。



『道子』さんに会いたくて。




『道子』が亡くなったのは、洋子が安定期に入って数回したコンサートの後。少なくとも妊娠8か月以降だ。

洋子は道子がいなくなってから、歌を歌える状態ではなかった。そして道子の物を、そっと心の扉の奥に閉じ込めてしまった。


洋子を、ロンドンの家の扉から出してくれたのは、道子さんなのに。




ただ、一つだけ尚香に分からないことがある。

洋子が完全に『道子さん』を切ってしまったのは、章が生まれてからという事だ。道は正一から、最初はそこまでではなかったと聞いている。お骨はそばに置いていたのだ。


けれどそれすら、どこかにしまってしまい。



それに、章は洋子を「歌手」だと知らなそうであった。出産後もおそらく、歌は歌ってはいなかったのかもしれない。



スマホで見てみると、胎児が胎内の音を聴けるのは20週以降、外界の音が聴けるようになるのは8か月の28週以降とある。一()()()()章は直接二人の歌を聴いてはいなかったという事になる。



ではこのDVDを聴いたとかではないだろうか。他にアルバムは?幼少期どこかで聴けた環境があったのかを知りたい。

あの日のライブハウス後。一番最初のレリアのライブだ。イットシーが気まずい顔をしていたのはこれが理由なのか。

章は、幼い頃母親から聴いていた曲を自分の物だと思ったのかもしれない。家族や親戚がこのCDを持っていて、どこかでそれを聴いて知っていたのか。


もし洋子が人前で「章が自分の歌を章名義で歌っている」などと持ち掛けたら?たとえ親子でもよい印象の話ではないし、二人は不仲だ。下手をしたら揉めるだろうし功の実績が疑われる。


章は、頭の中で処理されているいろんな領域があると言っていた。記憶と想像を区別している。ならなぜ、その歌は記憶の領域になかったのか。章がわざわざ自身の作品としてその歌を世に出すとも思えない。




昔の歌を聴けた感動と、どうしようもない不安が一気に押し上がってくる。



洋子さんに聞く?でも洋子さんは、尚香が昔のコンサートの観客だったと知らない。口止めもしていないが、尚香からは何も話していないからだ。美香にもとくに詳しいことは言っていない。DVDのジャケットを見ても細かいことまで質問はされなかった。


道さんに?ある程度は聞けるだろうが、道もその当時はまだいなかった時期。そして、洋子のことを今、道に聞いてもいいのか。



広大さんは?


広大は洋子のことをどこまで知っているのだろう。



「…………」

データをもう一度聴くと、懐かしいあの歌。楽しそうなステージ。



この感じ。胸が熱くなる………


でも…………



尚香の中の思い出に収めるべきか。

この事実を誰かに伝えるべきだろうか。




けれど、

『……なんのつもりなの?この人』

あの、女性歌手の辛辣な言葉を思い出す。


『ちょっと聞いてんの?愛想振り撒くなっつうの』


本当にそうだ。言う事だけでなく気持ちもあっちこっちにブレて、もう自分の関与するべきことではないのに責任感のないことばかりしている。



尚香は胸の内をギュッと抑えて、その場を後にした。




***




荻窪のライブハウス。


ナオから着席型のライブハウスに招待されていた美香は、その日のライブのままのしっとり感を残した空間で、スタッフの手が空くのを待っていた。


既にワンドリンクを飲んでいたけれど、サービスでもう一杯もらえ、端の席で軽いおつまみも買って食べていた。



「……美香さん」

静かにそこに現れたのは、先までステージで歌っていた功だった。





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