20 出会い頭
胸がまた、ドキドキする。
尚香には、章と道の世界がよく分からない。
どうして牧師に傷付けられて、章君はそれでも天に向かったのだろう。
自分よりずっといい人ではないか。
自分ならきっと、世界を全てを怨んでいただろう。思春期で傷付けられた体と心。道やその親族を責めてもよかったのだ。
そして、体が資本の世界の人間。
声や顔自体を売る仕事であるのに。
今日は、「てきとうなことを言って人を、友人を傷付けないで」と言いに行ったのに。美香に非があっても、言い方というものがある。
でも、自分の方がよっぽど小さい人間ではないか。正直、自分は章より社会常識や倫理観はあると思っていたのだ。
その全てがちっぽけで高慢に思えた。
章もその時きっと、道の心に負債を残したくなかったのであろう。
子供の章なりに、それが一番最善だと考えて。
正二と章が重なる。
『尚香さん、彩香の結婚式、来てくれませんか。披露宴は会費制です。ご祝儀とかいいので。』
際沢の件以来避けに避けていたのに、正二君が真っ直ぐにそう言う。
『近い親族だけでするんですが、彩香が尚香さんと美香さんには是非って。』
尚香は知っている。
断ってはいるものの、お金はいいから来てほしいと既に彩香に頼まれていた。多賀側に親族が多いので、正二側の友人は呼んでいないし二人が来てくれるとうれしいと。でも、尚香が来ないと美香も来にくい。会費制と言ったのは、行けば祝儀に気を使うからだろう。状況を理解してくれる親族ばかりだから、二人の祝儀も要らないと。
彩香は自分がお金を出しても来てもらいたかったのだ。当時尚香はアルバイトでひどく揺らいだ生活をしていた。でも三人は、お金とかに変えられない大切な存在だったから。
一応、なら三人でお祝いはしようとなって、その場では明るく別れたけれど、
そのお祝いが実質、三人で会った最後になってしまった。
『ごめん。あの、私、ずっと調子が良くなくて。お祝いとか、うまく、できないかも……。だから、式には……。
でも、彩香には言わないで。お祝いの場だし。あの、ただ、疲れたって……』
『そうですか………。尚香さん、まずは体調を直してください。』
もう、他の人とは笑って話もできていたのだ。
でも、正二君と話そうとすると、いろんなことが全部グチャグチャになって涙がでてきてしまう。
美香はそれを、これまでの疲れの蓄積からくるストレス症状だと思っていた。一種のストレスではあったのかもしれない。ひどく絡まってしまった。
夫婦二人を避けるようになった尚香。
――その態度はないんじゃないですか?――
正二はそのくらい、言える立場の人だったのに。際沢の事案が解決すると避けられるようになって、あんなに助けたのに今度は毛嫌いされて。
正二君は、どうして私を責めないの?
***
それから数日後、そんな思い出でも忘れてしまったくらいの頃。
ジノンジー営業の男性の結婚式があった。取引先との出会いで、久々のしっかりとした式。男性が数人呼ばれるも、取引先の担当をしていた尚香もお相手を知っているので二次会に誘われていた。
若い人にとっては出会いの場だ。三次会に行くか盛り上がっていたが、尚香は少し場違いに感じる。
「行かないんですか?」
部長の代わりに結婚式から参加した本部長久保木が尚香に聞いた。
「金本さんは、抜けるんですか?」
「なんだか場違いかなと……。」
二次会の終わりに新婦とその友人もほとんど解散。
「私、いない方がいいかなと。」
「……分かります。」
20代半ばの層に少し遠慮している。
「みんな若いですしね。でも、金本さんは十分そちらで通じると思いますが。それにそう思われていたら二次会には呼ばれませんよ。」
「それ言ったら久保木さんも全然いけますよ。でも、残ってるの男性が殆どなので………」
「なら……一緒に少し飲みませんか?軽く。」
久保木が笑う。
「………。」
それもいいかな、と尚香はその笑顔見て感じた。
自分の気持ちが定まらなくて、何かつかみどころがほしかった。
久保木はそういう甘えを許してくれる人かもしれないとも思う。
***
久保木が連れて行ってくれた場所は、思ったよりも広い店。
グランドピアノのあるレストランだった。
しっとりムードというよりは、それぞれにテーブルごとにも楽しみながらも、演奏が終わると時々拍手が起こり、外国人も多く英語も飛び交っていた。遅い時間はバーとしても使える。
そして気が付き、思わず見入ってしまう。
ややしっかりとしたステージが設置されており、大きなグランドピアノがあった。
その中央で黒とえんじ色の背中の空いたドレスの女性が、おそらくジャスを奏でていた。切りそろえた前髪に、長く綺麗な黒髪。
「……………」
一瞬、昔の洋子さんを思い出してしまう。
あの日、あの時は、洋子さんは紫のドレス。
もう一人は青。
上品なロングドレスに見えて、実はざっくりと開いたスリット。
そこから見える長い足は、幼い尚香には色っぽさよりも女性のかっこよさを感じさせた。ふたりが足を揃えて踊ると一糸乱れず揃うのに、顔を見合わせて笑っている。
雰囲気もドレスの色も違うのに、
演奏も声も、全然違うのに、
同質のものなのかも、相対しているのかも見失いそうな、
どちらがどちらか分からなくなる、二人のダブルス。
「金本さん、演奏やピアノが好きなのかなって。」
「……あ……」
「もしかして……悲しい思い出とかですか?」
「いえ、違います!父や母と初めてコンサートに行った思い出があって。」
クリスマスパーティーの時、じっとピアノを見てしまった。
「……実のご両親と?」
久保木、そういえば尚香の両親は継父母と思い出す。余計なことをしてしまったか。
「それも違います。今の両親です。大丈夫ですよ、いい思い出です。」
安心させるように尚香は笑った。
「………自分にはうまく弾けないから、少し憧れていたんです。昔見たピアニストがイブニングドレスも着こなしてステキな人で。」
「……そうですか。」
ホッとした顔で、今度は優しく久保木が笑う。
でも知ってみれば、そのピアニストもバイオリニストも、
思い出の中の、心の中だけの切ない音になってしまったけれど。
片方は永遠に、取り戻せないから。
「奏者の方たちがきれいであんな風になれたらな……って思ってたのに、ピアノどころかドレスを着こなす女性にもなれませんでした。」
自虐してしまう尚香に、久保木はそっと言う。
「今日の金本さん、きれいですよ。」
「……!」
今日は披露宴そのものには出ていないので、軽い感じのワンピースドレスだ。ただ、柚木たちのアドバイスも思い出し髪もふんわり結ってもらい、メイクも少し変えてきた。
意識しているように思われたら、お世辞でも恥ずかしい。いや、少し、意識はしてきたのかもしれない。
もうお腹は空いていないので、お酒とおつまみ。
他愛もない会話。
久保木と話しているのは楽しい。
そして、お開きになる。
尚香は少し申し訳なく思う。尚香とて子供ではない。この距離感なら、久保木だってもっと関係を深めたいだろう。でも男性は怖いし、まだ踏ん切りが付かなくて、人の多い場所で全部終わらせてくれる彼に感謝した。
***
一方、功はケンカ別れをした真理を慰めていた。
今度のコンサート。ツアーは真理も絶対参加なので仲直りして来いと叱られたのだ。しょうがなく、真理に愚痴られながらみんなと食事をして次の店に。
「真理ちゃんいい加減、機嫌直してよ。」
「ふんだ。まり、今までで一番頭に来た。」
「あ、そう。ごめん、ごめん。」
「功の甲斐性無し!仕事じゃなかったら、功とはもう会わないのに!」
「残念。仕事だから会わないとねー。」
怒っている真理に付きまとう功。
「怒ってるなら全部俺に奢らせればいいのに。」
「功、前にカード使えなかったでしょ。恥ずかしいからまりが払います!」
そんな会話をしながら、エントランスを歩いていた時だった。
ガーデニングの門をくぐって曲がった先で―――
「!」
「!?」
対面してしまう2組。
「章?」
久保木が驚く。
「………!」
言葉のない章。そして、誰?と同じように言葉がない真理。
尚香が思わず二人を交互に見てしまう。
「……章君?…真理ちゃん?」
「………」
尚香と章の目が合う。
尚香の、
初めて見る髪型、鮮やかな薄化粧。
いつもと違う、少し華やかな黒に近いワンピース。
「………尚香さん…………」
「章君……」
そう言う尚香の手を、思わず久保木がギュッと握った。




