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証拠隠滅

 夜が更けると、監視対象の男とその仲間の男たちが、大きな荷物を馬車に詰み込み出発したため、見張っていた者たちも気配を消して馬で後を追った。


 対象者の乗る馬車がインスブルック家の敷地内に堂々と入って行ったのを見て、連絡係が一人、シュテファン邸へ戻ってきた。

 知らせを聞いたユリウスは連絡係を休ませ、代わりにヨハンを交代要員として遣わした。





 しばらくして、顔を黒く汚したヨハンが帰ってきた。

 その項垂れた表情から、ユリウスはよくない知らせだと覚悟した。


「ユリウス様。申し訳ございません。力及ばず――。いえ、見ているだけで何もできませんでした。くぅ――」


 アントンはヨハンに水を飲ませて、ひとまず落ち着かせてから話をさせた。


「あの男が馬車に何かを積んでインスブルック邸に侵入したのを見て、見張っていた者たちは皆、仲間への届け物だと思ったそうなのです。オレがインスブルック家に着いたのは、奴らが裏口からこそこそと侵入した後でした。つなぎの仲間がいないのはおかしいと話していたら――」


 ヨハンはとうとう涙をこぼした。


「火が上がったんです。最初は使用人が燭台を持って様子を見にきたのかと思ったんです。でも、あっという間に燃え広がって、窓という窓が割れて屋敷全体が炎に包まれて――」


 ヨハンは歯を食いしばって涙を拭った。


「奴らは馬車に駆け込むと振り返りもせずに一目散に逃げて行きました。そいつらは三人が馬で追っていますから、何かあれば連絡が入るはずです。オレは逃げ遅れた者がいやしないかと思って声をかけて回ったんですが、それらしい人影はありませんでした。多分、火をつけることを知っていて、本館に住んでいた母娘や使用人たちは、あらかじめどこかに避難していたんでしょう。別館の建物の方からは、留守番をしていたらしい使用人が数人、火に驚いて血相を変えて外に走り出してきました」


 ヨハンはもう一口水を飲んで喉を潤した。


「そこからはもうあっという間でした。バリバリと大きな音を立てて屋敷は崩れていきました。オレはただ見ていることしかできませんでした。でも、奴らはリンツ商会へ報告に向かったに違いありません! 奴らがやったことは全部見たんです。いつでも縛り上げて突き出してやることができます!」


 ユリウスは途中から、屋敷が焼け落ちたことを聞かされたクラウディアのことを想像していた。

 彼女が、あれほど取り戻したいと切望していた屋敷が、無惨な姿に変わり果てたのだ。

 また泣かれるのかと思うと胸が痛んだ。


 ユリウスが心ここに在らずといった様子なので、アントンがヨハンを労った。


「辛い役目でしたね。クラウディア様が海に突き落とされた時も思いましたが、敵は、私たちの想像を遥かに超えて凶暴で凶悪なようです。絶対に許しません。必ず償わせます。そうですよね。ユリウス様」

「……ああ。もちろんだとも。トカゲの尻尾切りのようなことはさせぬ。首謀者を陛下の前に突き出して厳しく断罪してやる」


 美しいが故に、そう固く決意したユリウスの表情は、まるで氷の彫像が炎をまとっているようだった。






 インスブルック家の屋敷が焼け落ちたという報告を聞いたヒューゴーは、高笑いをしてワインをあおった。


「ふふふ。油代を出し惜しみしなくて正解だったな」

「はい。本館が無人だったおかげで、別館の使用人にも気づかれずに油を撒くことができました。あそこまで火が回れば、もはや紙切れ一つ残っていないはずです」

「全焼か。ふふふ。あっはっはっ」


 ヒューゴーは、王宮で、ゴミでも見るような目を彼に向けていたユリウスを思い出していた。

 あの氷像が悲嘆にくれ苦痛に歪むところを間近で見たかった。涙が流れるように氷像が溶け、雫をポタポタと垂らす様をじっくり堪能したかった。


(若造め。この私をコケにしおって。思い知るがいい)


 




 ユリウスは、クラウディアへ知らせる決心がなかなかつかなかった。

 そんな彼の背中を押したのはマリントだった。


「いつかは知らせないといけないのです。隠していてもろくなことにはなりません。それに、このようなことを乗り越えていかなければ勝利はつかめないのです。ちび姫にも、大人になっていただく時が来たのです」





 夜更けに応接室へ呼ばれたクラウディアは、嫌な予感を抱きながら下りてきた。


 ユリウスの表情はとても険しい。

 

「クラウディア。気を確かに持って聞いてほしい。そなたには辛い話だが――」

「なんでしょうか? 何かあったのですか?」


 ディナーの時には、ここにいる人たち全員が、あれほどにこやかだったのに――と、クラウディアは自分に注がれる悲哀に満ちた視線に怯えた。


「そなたが取り戻したいと言っていた屋敷だが。その――。火が」

「え?」


 クラウディアの真っ直ぐな視線が痛かった。

 それでも、ユリウスは辛い役目を全うした。


「屋敷に火がつけられたのだ。おそらく油を撒いてから火をつけたのだろう。火の回りが早く、なす術がなかった」

「え? 今、なんと?」

「全焼したとのことだ。すまない。こんなことになるとは――」

「……」


 クラウディアは無言で、魂が抜けたようにぼんやりと視線を漂わせた。


「クラウディア。大丈夫か?」


 まだ泣き崩れてくれた方がよかった。気が済むまで泣いてほしかった。

 こんな風に、精神がボロボロになる姿はとても見ていられない……。

 ユリウスの方が泣きたくなった。




 ユリウスはクラウディアの横に座ると、彼女の肩を抱き寄せて、優しく頭を撫でて抱きしめた。


「本当に残念だ。クラウディア。君をこんなにも傷付けて。この報いは――必ず罪を償わせると約束する。絶対にだ」






 頭が真っ白になったクラウディアは、何も考えられなかった。何も聞こえなかった。

 意識がぼーっと遠のいていく。


 ふと、波の音が聞こえた気がした。

 岩にぶつかって砕け散っていく、あの波の音……。その時感じていた、あの温もり……。


 ああそうだ。()()温もり……。

 

 クラウディアは、自分を包み込んでいる温もりを、その熱を、「熱い」と感じた。溢れ出る熱が行き場を失い、密着した彼女の体に入ってくるように感じられた。



 そうして、クラウディアはようやく正気にかえった。

 と同時に、屋敷で過ごした幸せな思い出も溢れてきた。


 その屋敷が焼失した……。


 ぽたっぽたっと涙が溢れだすと、クラウディアは人目もはばからず、しゃくりあげて泣きはじめた。

 ユリウスは彼女を抱きしめる腕に力を込めた。

 そんな彼の耳に、「もう私の帰る場所が無くなった」と小さくつぶやく声が聞こえた。


 その言葉にユリウスは胸を射抜かれたような痛みを感じた。

 クラウディアが、泣きながらもはっきりと言った。


「……もう。私の望みは叶いません」

「そんなことを言うな」


(頼むから言わないでくれ)


 ユリウスは気丈に、なんとか彼女を勇気づけようと言葉を探した。


「再審に向けて王宮でも調査をしている。ここで止めてはだめだ。汚名をそそぐんだろう? でなければ、父君に顔向けできないではないか。やるだけやるのだと、そう決めたであろう。今、そなたに投げ出されては……」


 クラウディアは、自分の体を包む「熱」がどんどん上昇していくのを感じた。


 「熱」を伝える両腕がユリウスのものだと理解すると、クラウディアの脳裏に、月明かりの下で二人並んで夜の海を見ていた記憶が蘇った。




「うっ。うっ。ひっく」

「大丈夫だ。私たちがついている。大丈夫だ」


 どのくらい経ったのか、泣き疲れてクラウディアの涙は枯れた。そうしてユリウスの腕の中で眠ってしまった。




 ユリウスはそのままクラウディアをベッドまで運んだ。

 涙を拭ってやり、額にキスをしてから階下に下りた。






 ユリウスが戻ってきたところで、アントンが口を開いた。


「証拠隠滅ですね。ここまで荒っぽい手段に出てまで帳簿を見せたくないのですから、もう自白したも同然ですね。ただ――。こちらの証拠とも納税記録とも照合ができない以上、立証は難しいと言い張るでしょうね」


 燭台の灯りに照らされたユリウスの顔には、復讐を決意した底知れぬ恐ろしさが浮かんでいた。


「万が一と言っていた事態が起こったわけだな」

「ええ。こうなったらアイズリー氏をはじめ、商人の皆さんに、それぞれの帳簿の内容を証言していただくほかありませんね」

「ああ。もう一度、依頼のために訪問する必要があるな」

「では私が――」


 アントンを遮って、ユリウスがぴしゃりと言った。


「いや。これは手分けせず、私自らが頼みにいく」

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