ユリウスからの贈り物
クラウディアたちを乗せた馬車は、途中、高級店が立ち並ぶ辺りで、ぐちぐち言っているアントンを下ろしてからシュテファン邸に向かった。
ユリウスとクラウディアがシュテファン邸に戻ると、マリントが出迎えに立っていた。
ユリウスが誇らしげに告げる。
「ただいま戻りました。クラウディア・インスブルック公爵令嬢と一緒に」
「ああ! では!」
「ええ。再審が認められました。そして、その結果が出るまでは、『先の判決を取り消す』とのことでした」
「……なんと。ああ。よかった」
マリントはしみじみとユリウスの言葉を噛み締めた。目にはうっすら涙が滲んでいる。
「じい様。ご心配をおかけしました」
「ユリウス様のおかげだな」
「はい。本当に」
クラウディアはそう言うと、ユリウスの方に向き直って改めて礼を言った。
「本当にありがとうございました。ユリウス様」
「あ、ああ。」
「……?」
ユリウスの態度がなぜだか少しぶっきらぼうに感じられて、クラウディアは戸惑った。
微妙な空気が流れたところへ、執事が、「お茶の用意ができております」と伝えにやってきた。
応接室には、アフタヌーンティーが用意されていた。
三段のスタンドに、サンドイッチやスコーン、ケーキ類がふんだんに盛られている。
「ではちび姫。いや、もうクラウディア嬢とお呼びすべきかな」
「そんな。じい様には『ちび姫』のままでいてほしいです」
「ほう。それでは私は『オオカミじい様』のままかな?」
「はい。そうです。うふふふ」
二人の仲睦まじい様子に、ユリウスはわざとらしく、「コホン」と咳払いをして話の腰を折った。
「その。『オオカミじい様』とはどういう意味なのか知りたいのだが」
マリントと顔を見合わせたクラウディアは、「ふふふ」と笑いながら話し始めた。
「ここに遊びに来ていた頃は、毎日が楽しくて楽しくて。日が暮れる前に戻ると約束していながら、いつも日が暮れてから戻っていたんです。そしたらある日、玄関にたどり着く前に、『ワオーーン!』って狼の遠吠えが聞こえて。私は震えながら屋敷に駆け込んだんです」
その時の恐怖を思い出したかのように、クラウディアは大袈裟に身震いさせて笑った。
「お父様に、『狼が出た』と言うと、『約束を守らない人間を食べる狼がいる』っておっしゃって。それからは約束を守ってちゃんと日が暮れる前に帰るようになったんです。でもある日、またうっかり日が暮れるまで遊んでしまって。急いで戻ったんですけど、また玄関の前で『ワオーーン!』って聞こえて」
「はははは」
堪えきれずマリントが笑いだす。
「私、もう食べられちゃうんだって観念したんです。でも、もし見逃してもらえるなら、今度こそちゃんと約束を守る人間になるって言いたくて。狼を探したんです」
「は? 狼を?」
ユリウスが、「正気か?」とクラウディアを見たが、彼女はニコニコと続きを話した。
「玄関じゃなく、遠吠えのする方へ走ったんです。そしたら」
「そしたら?」
子どもの頃の思い出話に聞き入ってしまうユリウス。
「狼の正体はマリント様だったんです。私、驚いていしまって」
「あの時は参ったな。怖がって逃げるものだとばかり思っていたから。私の方こそ驚いたよ」
「マリント様は真面目な顔でおっしゃったんです。『この秘密を漏らしたら本当に食べちゃうぞ』って」
子どもにそのようなことを言うとは、と、呆れた顔でユリウスがマリントを見た。
「『シュテファン家は狼の血筋だから、日が暮れて外に出ていると狼に変身するんだ』って言われて。私、お父様にも言えなくて。本当に怖かったんです」
「少しふざけすぎではありませんか?」
真面目なユリウスは少しだけ憤慨していた。
「ああ。それは今でも後悔している。次の日、ちび姫があまりに憔悴した様子で下におりてきたものだから、それはそれは慌てたな。歳をとって変身する力が消えたと言い訳をしたんだった」
「そうです! それでやっとお父様にも全部お話しすることができて。だから正確には、狼だったじい様、なんです」
「ああそうだった。私はこれでも、ちび姫に、『オオカミじい様』と呼ばれる度に良心がうずいていたんだよ」
「え?」
「ははは。気にしなくてよい。すこーしだけだからな」
「ひどーい!」
「あはははは」
クラウディアが、こんな風に他愛もない話をしているところを初めて見たユリウスだった。
父親が健在ならば、彼女はずっとこんな風に幸せに過ごしていたはずなのだ。
自分の庇護下にあるうちは、この笑顔を消させはしない。
ユリウスは静かにそう誓っていた。
トントントン。
ノックをして執事が入ってきた。
「ユリウス様。ヨハン殿がお見えになられまして。至急ご報告したいことがおありとのことですが」
腰を上げようとしたユリウスを、マリントが、「よいよい」と制した。
「私とちび姫は思い出話が尽きぬので、少しその辺を歩いてくるとしよう。よいかな?」
「はい。喜んでお供いたします。では、ユリウス様」
「ああ」
マリントとクラウディアが出ていくと、興奮収まらぬ様子のヨハンが飛び込んできた。
「落ち着け。アントンは不在だが先に聞こう」
「はい。例の――クラウディア様を海に突き落とした男を見つけました」
「本当か!」
あの日、グラーツ領を出てからも尾行させていたのだが、男はリンツ商会やインスブルック家には立ち寄らず、接点を見つけられずじまいだった。
そして数日後、ヨハンと共に追った二人は、不慣れな王都で男を見失ってしまったのだ。
男の人相はアントンやヨハンをはじめ大勢が覚えているため、その気になればすぐに見つけられるだろうと、ユリウスは焦らず時を待つことにした。
そして王都に乗り込むと決めた時から、リンツ商会に潜入中のヨハンの他に、三人の別働隊に捜索させていたのだ。
「ようやくか。今度こそ見失うなよ」
「はい。シュテファン家からも腕に覚えのある者をお借りしていますから。交代しながら常に三人で見張る手筈になっています」
「よし。そちらは動きがあるまでは、ひとまずそれでよい。お前はリンツ商会に戻れ」
「あ。大丈夫です。母親が病気だと言って、三日間の休暇をもらってきましたから」
「そうか。ならば休めるうちに休んでおけ」
「はい」
(徐々にカードが揃いつつある――。あとはカードを切り損ねないようにするだけだ)
クラウディアとマリントが散歩を終えて屋敷に戻ると、応接室では、アントンがユリウスに絡んでいた。
澄ました顔のユリウスに見せつけるように、わざとらしく「ふうふう」と、大仕事をしてきたように汗を拭ってみせている。
どうみても汗をかいた様子はないのに。
「ああ。クラウディア様。ちょうどよかった。少しよろしいでしょうか。お部屋でお話をしたいのですが」
「ここでよいだろう」
ユリウスは、アントンがクラウディアと部屋で二人になることを却下した。
「ええ? ここではまずいのでは?」
「何がまずいのだ」
「ふっふーん」と目尻を下げたアントンを見たユリウスは、本当にまずいことをしゃべろうとしていると察した。
が、もう遅い。
「では、こちらへ運んでくださーい!」
アントンの合図で、シュテファン家の使用人がリボンで飾られた箱を運び込んできた。
「……な。これは」
箱の中身を察したユリウスが慌てるのも構わず、アントンは仰々しくお辞儀をすると、クラウディアに向かって高らかに発表した。
「これら全て、我が主人より、クラウディア様への贈り物でございます」
「こ、この……」
珍しくユリウスが口ごもっている。
察しの良いマリントは、素知らぬふりをしている。
「あ、あの。これは」
事情を飲み込めないクラウディアに、「はいどうぞ」と、アントンが一番大きな箱を渡した。
「せめて一つくらい開けてみていただけないでしょうか?」
「あの。ユリウス様……?」
ユリウスは助けを求めるクラウディアの顔を見ずに、ひたすらアントンを睨みつけている。
「さあ、どうぞ!」
アントンに勧められるがまま、クラウディアはリボンをほどき、蓋を開けた。
「まあ!」
思わず感嘆の声が上がってしまうほど、箱の中には大きな宝石が入っていた。
「いかがです? 我が国では珍しいサファイアです。おそらく交易品の中でも最大級で最上級の代物です」
「そんな貴重な品……」
「とてもいただけません」と突き返そうとするクラウディアの手を押し返して、
「ユリウス様のお気持ちですから。どうかお納めください」
と、アントンは譲らない。
「気持ち? それは、再審が認められたお祝いということですか?」
「え? あー。まあ。そんなところですか……ね?」
アントンが、「どうします? そういうことにしておいていいのですか?」と、表情だけでユリウスに伺いを立てた。
見かねたマリントが、
「いやあ、実に見事な細工ですな。ふむ。今日のディナーが楽しみですな」
とその場を丸くおさめた。
ディナーの席で、サファイアの髪飾りをつけたクラウディアが、ユリウスやマリントに褒め称えられ、和やかに満ち足りた時を過ごしていた頃。
留守を任された使用人が数人残っているだけのインスブルック邸に、忍び込む人影があった。




