王の裁定
鳴り物が響き、王の入室を伝える。
ドアが開かれると、ハイマン国王が従者を伴って入室し玉座に座った。
あの日判決を下したフランツの姿はない。
「双方、揃っておるな」
重々しい声に、部屋にいた全員が頭を垂れる。
「我が国の交易事業に係る横領事件について、グラーツ公爵より、新たな証拠提出と再審の請求があった。証拠を検討した結果、妥当であると判断した。よって、ここにクラウディア・インスブルックが裁かれた事件の再審を行うことを宣言する」
ゾフィーがポカンとした顔で、「は?」と漏らした。
その横で、「恐れながら」と、大胆にもヒューゴーが口を開いた。
「ふむ。なんだ。申してみよ」
「はい。陛下。私の知る限りゾフィー様は、グラーツ公爵からなんの相談も受けられておりません。交易事業はインスブルック家が独占的に許可されている事業でございます。ゾフィー様の協力無しに、新たな証拠とやらが出てくるものでしょうか?」
「陛下。発言をお許しいただけますでしょうか」
「許す」
ユリウスも負けじと反論した。
「己が罪を問われる可能性があると知りながら、インスブルック家が証拠集めに協力するとは考えられませんでした。何しろ、先の裁判では証拠を提出されていないようでしたし。ですので、証拠集めには、インスブルック家と取引をしている会社に協力いただいた次第です。商売というのは、買い方と売り方の双方が金額を記載しておるものですから。此度の証拠は、再審の可否を問うために提出したものでございます。交易事業における横領や脱税についての事件に関しては、インスブルック家に、帳簿等の証拠を速やかに提出する義務があると存じます」
「な、な――」
ゾフィーは目を見開いたまま、今にも失神しそうになっていた。
「グラーツ公爵の言う通りだ」
ハイマンは、ゾフィーやヒューゴーを一顧だにせず続けた。
「王宮でも調査したところ、モーリッツの死後、クラウディアは交易事業に一切関わっていなかったことが判明した。ゾフィー・インスブルックにより、そこのリンツ商会に委託されていることもわかっておる。横領と脱税が事実であるならば、ゾフィー・インスブルックとリンツ商会が責を負うべきである。前回の裁判で、そなたらが申告した脱税額についても改めて精査を致すゆえ、帳簿を速やかに提出せよ」
ヒューゴーは恐れ入るといった風にうつむいているため、その表情は窺い知れないが、ゾフィーは反対に顔を上げて口をパクパクと動かし、何かを訴えようとしていた。
「――よって、再審の結果が出るまでは先の判決を取り消し、クラウディア・インスブルックの権利を回復させる。ゾフィー・インスブルックとリンツ商会は、王宮から派遣する調査隊に全面的に協力せよ。よいな。本日は以上だ。追って連絡あるまで神妙にいたせ」
ゾフィーは息の吸い方を忘れたように喉元を押さえて真っ青になった。
ハイマンはそれだけ伝えると、誰とも視線を合わせずに去った。
大広間の扉が閉まると、「なんですってー!」と、ゾフィーが大きな声を上げた。
「い、今のはどういう意味なの? 陛下が私の名前を――まるで犯罪者のようにおっしゃった。嘘でしょう? どうして?」
ヒューゴーはゾフィーに言葉をかけることなく、今後の対応について、ひとり思案を巡らせていた。
(……全く。あやつがグラーツ領でしくじるとはな。そのせいで面倒なことになったものだ。さて。どう対処するか)
先にゾフィーらが部屋を出ていき、少し間を置いてユリウスたちが出た。
ハイマンの前では存在感を消していたアントンが、息を吹き返したように明るい表情でユリウスの横を歩いている。
ユリウスは、二人の後ろを歩くクラウディアに聞こえないよう注意しながら、アントンに話しかけた。
「あの女の頭を見たか?」
「ええもちろん。敵を知ることは重要ですからね」
「あれに気がついたか? これ見よがしに大きなルビーの飾りをつけていた。王の前に出るからと、一番大きな宝石を付けてきたに違いない。アントン。あれよりも大きな宝石を見つけてこい。いや――あれよりも大きな宝石を全部買い占めてこい」
「まさかとは思いますが。インスブルック家の母娘が入手できないようにっていうことですか?」
「ああそうだ」
アントンは前を向いたまま、視線だけを一瞬ユリウスに向けて、ぼそっとこぼした。
「うわあ。とうとうそこまで。うーん。タガが外れましたか」
「何だと?」
「いえ何も。なんで聞こえるかな……。まあ、遅かれ早かれこうなることはわかっていましたけどね」
「は?」
「最初から予感がしていましたからね。まあそれが確信に変わったのは、皆が寝静まった夜に、二人してこそこそとお出かけされるのを見た時ですけど」
「……なっ。お、お前」
絶句するユリウス。
「ああ、いえ。独り言です」
一方、先に王宮を出たゾフィーは、馬車に乗り込むや、肘掛けにもたれるように崩れ落ちた。
馬車が走り始めると、ぐったりしたゾフィーにヒューゴーが切り出す。
「ゾフィー様。インスブルック家で保管されていることになっている帳簿を処分する必要があります」
「なんですって?!」
「馬鹿正直に提出などすれば、今度はこちらがおとしめられ、有罪を言い渡されることでしょう。そうならないためには、帳簿を提出できない状態にするほかありません。もちろん、あくまでも不可抗力だと申し開きができる状況で、です」
「何を言っているの。わかるように話してちょうだい!」
ゾフィーは体を起こして、向かいのヒューゴーを睨め付けた。
「陛下の態度をどう思われますか? あれはまるで、我々に対する宣戦布告のようだったではありませんか」
「馬鹿馬鹿しい。陛下はお優しいから、あの子に同情されているんでしょう」
「ゾフィー様。甘い見通しほど、それが崩れた時には、もう手の施しようがなくなっているものでございます。覚悟を決めて頂かなければ、ゾフィー様もメラニー様もただでは済まされません」
「な、何よ。どうして? それに、帳簿ならあなたが管理しているじゃないの」
「そのことについては前にも申し上げた通り、表向きはインスブルック家で管理していることになっているのです。リンツ商会は、インスブルック家から依頼された仕事を請け負っているに過ぎないという建て付けなのですから。それを忘れていただいては困ります」
「待ってちょうだい。それじゃあ――」
「なに。ご心配には及びません。どうか私の言う通りになさってください。うちの商会では、万が一当局の手入れがあってもいいように、常日頃から二重帳簿を作成済みですので。インスブルック家が保管していた帳簿がなくなれば、リンツ商会の裏帳簿を写しの帳簿だと言って提出すればよいのです」
「その裏帳簿の数字が、前回、クラウディアが横領したと告発した額になっているのね?」
「おっしゃる通りです。これで辻褄があいます。お屋敷に戻られましたら、宝石類などの貴重品をお持ちになってお出かけください」
「出かける? なんのために? いったいどこへ行けって言うの?」
「覚悟が必要なのです。私もゾフィー様も」
そう言い切ったヒューゴーの顔は、まるで悪魔が取り憑いたような醜さで、ゾフィーはぞくりと悪寒が走った。
「わ、わかったわ。郊外の別荘にしばらく移ることにするわ。全部済んだら連絡をよこしなさい」
顔を背けてゾフィーは強がった。
「承知いたしました」
ニヤリと唇の端を釣り上げたヒューゴーの顔を、ゾフィーは怖くて見られなかった。




