夜の散歩
最近のクラウディアは、一日の仕事を終えて部屋に戻ると、悶々と考え込むようになっていた。
――家を取り戻す。
そう決意したものの、いったい何をどうしたらよいものか。
それに海での事件。あれは、馬鹿なことを考えるなという警告のようにも思える。
――自分の死を願う人間がいる。
それは、とてつもなく恐ろしいし、ものすごく悲しい。
(ユリウス様やアントン様は、二度とこのような事件を起こさせないと約束してくれたけれど……)
その日の夜は、久しぶりに無性にあの岩場へ行きたくなった。
クラウディアは、そっと部屋を出て屋敷を後にした。
すると、行く手を遮るように何かが現れた。
それは馬上のユリウスだった。
月明かりの下、物言いたげにクラウディアを見ている。
「……どうして」
「あ、あれだ。その。なんとなく波音を聞きたくなってな。もしや、そなたもか?」
「は、はい。なんとなく」
「では一緒に行くか」
そう言うとユリウスは有無を言わせずクラウディアを馬に乗せ、彼女を片腕で抱き抱えながら手綱を取った。
無言の中、馬の蹄の音だけが聞こえる。
クラウディアは、図らずもユリウスの胸に体を押し付けられるような体勢で馬に乗っていた。
たくましい胸板や腕から伝わる彼の体温のせいで、自分の顔が赤くなっているのを感じる。夜でよかったと胸を撫で下ろしていることを彼は知らない。
ユリウスも、クラウディアがまた屋敷を出て行きはしないかと毎晩それとなく気にかけていたとは言えず、不自然な待ち伏せを変に思われていないかとドキドキしていた。
大岩までやってくると、ユリウスが手を貸して、まずクラウディアを座らせた。
この前と同じように二人並んで座ったが、どちらも何も言い出せない。
岩にぶつかる波音は相変わらず厳しいが、波が砕けて散っていく音を聞いていると、二人とも不思議と心が休まった。
月に照らされた海は、新月の海とは全く違う表情を見せていた。
規則正しい波は、海の呼吸のようだった。
夜の帳の中から、息をするためにヌッと顔を出したような波の先端は、そこだけ色をぼんやりと滲ませている。
クラウディアは波音に耳を澄ませながら、遥かかなたから次々とやってくる波の形にも目を留めていた。
「まだ怖いか?」
不意にユリウスが声をかけた。
ユリウスには、クラウディアの表情が翳って見えたのだ。
すぐに海での事件のことを言っているのだと理解したクラウディアは、慌てて否定した。
「いいえ。もう、大丈夫です。あ、あの。そういえばまだちゃんとお礼を言っていませんでした。本当にありがとうございました」
「あ、ああ。当然のことをしたまでだ。私の方こそすまない。領内で起きたことは全て私の責任だ。そなたに怖い思いをさせて申し訳なかった」
「そ、そんな」
再び沈黙が訪れた。
ユリウスは無理に話そうとはしなかった。
しばらくそのままでいると、ふと、頭に浮かんだことが口をついて出た。
「ひとりぼっちが集まったな」
「え?」
「私もアントンも両親を亡くしているんだ」
「アントン様も?」
「ああ。アントンは――。アントンは、王都で起きた事件で――いや不幸な事故で、両親を一度に亡くしたんだ」
「王都の? では、アントン様も王都で暮らしていらっしゃったんですか」
「ああ。だが嫌な思い出しかないから、王都でのことは何も話さない。王都に住んでいる人間も毛嫌いしている――あ。そなたは違うようだ」
クラウディアを気遣って、ユリウスが言葉を付け足した。
「両親を亡くした後、私の父がアントンを引き取ったと聞いている。正直、その頃のアントンのことは、あまり覚えていないのだ。ただ今と違って、ほとんどしゃべらなかったような気がする。父上が亡くなってからだな。あんな風に飄々と、なんでも茶化して笑うようになったのは」
「そうなんですか」
クラウディアが返事に詰まったので、ユリウスは、彼女が一番気になっているであろう話題に変えた。
「汚名をそそぐんだったな。焦らずとも私たちがついている。一人で悩まず、私を――私たちを頼りにしてくれないか」
「……はい」
「よしっ。明日きちんと作戦を練ることにしよう。具体的な目標があった方がよいだろう」
「はい」
二人は一瞬だけ見つめあった。
すぐに二人とも海の方へ視線を移すと、それからは互いの存在を感じながら、ただただ波音に耳を傾けていた。




