まさか泣かせてしまうとは
クラウディアがユリウスの手伝いを休んで十日が経った。
ユリウスの執務室では、不機嫌さを隠すこともなく書類仕事を片付けている彼の横で、アントンはいつも通りユリウスに接していた。
アントンが、「次はこちらです」と、ユリウスがサインしやすいように書類を差し出す度に、チラッと物言いたげに視線をよこすのだが、それがものすごくユリウスの癇に障る。
ここでアントンに声をかけたら負けなのだと、ユリウスは必死に自分に言い聞かせて無視を貫き通した。
だが、根比べでアントンに勝てないこともわかっていた。
「わかった! いい加減、その顔はやめろ。何だ。何が言いたいんだ」
「おや。急になんです?」
「……お前」
ユリウスに早く話せと請われて嬉しいのに、可愛さ余ってか、ついついいじめてしまうのはアントンの悪い癖だ。
堪えきれず「ククッ」と笑ってから切り出した。
「いえね。幼い頃から人一倍感情の制御を訓練なさっていたのに、最近はよく興奮されているなーと」
「興奮したのではない。お前が言う元気な虫になってやったのだ」
「そうでしたね。クラウディア様が怯えてしまうほどの元気さでしたがね」
「なんだと?」
「ああ。いえいえ。わかっておりますとも。ユリウス様は、感情を無くしてしまったクラウディア様の代弁をされただけです」
「……ああ。まあ。そうだ」
「あれ? それだけですか? 本当に? クラウディア様のことが気に掛かるんでしょう?」
「気に――? まあ、それは。預かっている以上は、少しはな」
「少し? 少しだけですか?」
ムッとしたユリウスが書類を置いてアントンを睨むと、逆に、「顔に出ていますよ」と、アントンに指摘された。
「顔に出るだと? 何を馬鹿なことを。私が顔に出すわけがない」
「そうですね。先代から『領主は感情を表に出してはならない』と、そう教育されてきましたものね」
「そうだ。領主が感情を表に出すと、みな、領主の顔色を窺って話すようになる。この領地の者たちがそうなれば由々しき事態だぞ」
――感情は表に出さない。
その一心で、ユリウスが静かに書類に目を向けた時、執務室のドアがノックされた。
トントントン。
「入りなさい」
アントンが許可を出した。
入って来たのは港に行っているはずのクラウディアだった。
ユリウスが、「なぜ?」と、口を開く前にアントンが説明した。
「ああ。私がお呼びしたのです。そろそろよろしいかと思いまして」
「そろそろいいとはなんだ」
ユリウスに断りもなく勝手なことを、と彼は敢えて表情に出して無言で抗議した。
「おやおや。本当に変わられましたねえ」
目を細めるアントンに、クラウディアがすがるように口を開いた。
「あの。お呼びでしょうか」
おどおどと上目遣いに尋ねるクラウディアを、ユリウスは瞬殺した。
「手違いがあったようだ。呼んだ覚えはない」
「は、はい。承知しました。申し訳ありません。それでは失礼します」
(また、「申し訳ありません」が出た)
ユリウスは手元の書類に視線を落としたまま、チクリと胸に刺すような痛みを感じた。
結局、自分の励ましは何の意味もなかったということか。
(いや、何を。私は本当にどうかしているぞ)
「待て。せっかく来たのだ。少し話をしよう」
「は、はい」
クラウディアが身構える。
「そなたがこの屋敷に来た日に、私が言ったことを覚えているか?」
「……あ」
ユリウスに問われて、クラウディアは一瞬だけもの言いたげな目を彼に向けたが、すぐに下を向いた。
「判決が不服なら、私から再審の申し立てをすることもできると言ったのだ。それに」
一息入れて興奮を鎮める。
「先日の港での一件をどう思っている? 正直に答えてほしい。どう感じた? 悔しかったか? 惨めだと思ったか?」
「……」
こうなったら、「申し訳ありません」以外の言葉を何か言わせたい。
「そなたの父君は国王の信頼も厚く、領民からも慕われていたと聞くが。今のそなたを見てどう思われるか。後継とてして教育を受けたのだろう? そなたに託したものはどうなった? 家名に泥を塗られ、さぞかし無念に思われていることだろう」
クラウディアは、「うっうっ」と堪えるように口元を押さえていたが、とうとう堪えきれず、グスグスと鼻をすすり始めた。
「あ、いや。その。私は、その。あきらめたままでは何も手に入らないと言いたかっただけなのだ。今の境遇を変えるには、戦わなくてはだめなのだと――」
「ううっ」
クラウディアはとうとう声を上げて泣き始めた。
目の前で泣かれてしまったユリウスは、これ以上どう接してよいかわからなくなり、アントンの顔を見やった。
顔には、「お前が呼んだのだからお前がなんとかしろ」と書いてある。
「クラウディア様。どうぞお部屋にお下がりください。今日はこのままお休みにしましょう」
クラウディアが、「申し訳ございません」と言って部屋を出ていくと、アントンが、「後でネリーに様子を見に行かせます」と、ユリウスが愚痴を言う前に締めくくった。
「……まさか泣かせてしまうとは。そんなつもりはなかったのに。私の言い方がキツかったのか? まあ、確かに今日は少し興奮したかもしれない」
「おや珍しい。やけに素直ではないですか」
「ふん」
ユリウスは、自分が興奮していることを自覚していた。控えようと思いながら、意に反してどんどん言葉が溢れてしまったのだ。我を忘れてしまうほどに。
(励ますつもりが叱責したような感じになってしまった。私は何をやっているんだ)
「……はあ。残念ながら、クラウディア様にはお気持ちが伝わらなかったようですね」
アントンはやれやれと肩をすくめた。
クラウディアの立ち直りが遅いですが、もうすぐですので!




