09 練習試合はおそるおそる
ナノマシンの追加を断り、秀電は近いうちに能力強化が失われるというエミルの言葉を信じて空手の練習試合に臨むことにした。
なるべく能力が現れないよう気をつけたいところだが、これもなかなか難しいようだ。体が慣れていないというのもあってコントロールがしにくい。といって病欠する考えはなかった。
有名私立校のように自前のバスがあるわけではないから、空手道部全員が学校最寄り駅のJR奈良駅に集合した。そこから練習試合の会場である奈良翔徳館高校へ電車移動するのだ。
朝七時半である。
南都高校のロゴ入りジャージを着込んで集まっているのは駅舎二階の改札口前。近代的な駅舎だが、古都奈良の寺院をイメージした円柱が立ち並んでいる。バス乗り場につながるエスカレーターへの動線の邪魔にならないよう、改札口から少し離れた場所で待機。
「よーし、全員そろったな」
顧問教員が声をはりあげる。いつもより気合いが入っていた。テンションがあがっている理由は明らかだった。
麦沢秀電である。
数日前から秀電の動きがよくなった。よくなった、どころではない。国内トップレベルの動きだった。実際に目で見なければ信じられない変わりようだ。
顧問教員はもちろんその理由がわからない。だが理由はどうあれ、勝てる、と確信せずにはいられない。練習試合とはいえ、その実力を対外的に確かめたくなるのも無理なかった。
顧問教員が切符を部員たちに配ると、そろって自動改札を通った。
JR奈良はターミナル駅だ。奈良線、大和路線、万葉まほろば線が接続する。
空手道部の部員たちは万葉まほろば線のホームに上がる。
万葉まほろば線というのは愛称であり、正式には桜井線と称する、奈良から天理、桜井を経て和歌山線・高田に至る、三〇キロほどの単線のローカル線だ。平日のラッシュアワーでも三〇分に一本ほどしかない過疎なダイヤで運行されていた。同地域にある近鉄電車のほうが利用客が多く、その割を食っているのだ。
奈良駅発のガラガラの電車内に乗客は空手道部員だけだったが、発車ベルがなるころになるとわらわらと乗客が増えだした。それでも座席が埋まることはなく、ゆっくりと電車は走り出した。
窓外の景色は、奈良駅を出たときは近代的なビルが立ち並んでいるが、高架が終わるころには住宅地にかわり、隣の京終駅をすぎてからは田んぼが広がるようになる。古墳とおぼしき樹木に覆われた小山が窓外を通り過ぎていく。
柳本駅の狭いホームで下車した。無人の改札口を抜けると、騒音のようなクマゼミの大合唱に出迎えられた。蝉時雨、なんていう表現では生易しいほど。
徒歩で翔徳館高校を目指す。
すでに気温は三〇度に達し、部員たちは強い日光をまともに受けながら歩くしかない。対戦前から体力を奪われているようである。
そんななかで、しかし秀電はいつもとは違うと感じていた。ここ数日、暑さによってのへばり方が明らかに軽いのだ。いつもの夏なら暑さにまいってしまって集中力も落ち、空手の型も乱れがちだった。前を歩く部員たちの汗の浮いたうなじを見ながら、これもナノマシンのせいなのかもしれないと思う。
十分ほど歩くと、田んぼの真ん中に忽然と存在している奈良翔徳館高校に到着した。
秀電を含めた二年生は、何度か練習試合のため、ここへ来ていた。
奈良翔徳館は中高一貫の私立校だ。私立高校の傾向として翔徳館も運動部に力を入れている。空手道部もそのうちのひとつで、有力な選手を集めているときいていた。たしかにそうでなければ、この強さは説明できないだろう。
ぜいたくにも広大なグラウンドでは、この炎天下のなか、何種類もの部活が練習に精を出していた。どの運動部もガチだ。彼らにとって優勝は夢ではなく目標なのだろう。そこが南都高校と違った。秀電はなんとなく申し訳ない気がする。こんなマジの連中に、我々の練習試合に付き合ってもらうなんて。
他の運動部の練習風景を横目で見ながら校舎を回り込んでいくと、南都高校のそれよりも立派な体育館が見えてきた。
二階建て体育館の一階に作られた板張りの道場は、剣道部と空手道部が時間を分け合って使用していた。
翔徳館の空手道部顧問の男性教員が迎えてくれた。
おはようございます。本日はよろしくお願いします。
互いに挨拶をかわすと、きれいに掃除の行き届いた道場へと入った。
道着を着た両校の空手道部の部員たちが一列に並んで向かい合う。時間をかけてじゅうぶんな準備運動をおこなって、いよいよ練習試合である。
「これより練習試合を開始する」
審判を買って出た翔徳館高校空手道部の顧問教員が列の端の中央に立ち、低い声を発して片手をあげた。
練習試合も公式戦同様のルールでおこなわれる。だから練習と違って試合では「約束組手」ではなく「自由組手」である。どのタイミングで攻撃するのか、いちいち宣言することなく、選手が自己の判断で攻撃するのだ。
試合は、一対一の対戦を順番にこなしていくが、公式戦なら人数の制限で出場できない部員全員の参加が可能だ。ただ、両校の部員数の違いで、少ない南都高校は十人が二回対戦する。
対戦時間は高校生の場合は二分である。その間の攻撃でポイントを取得し、多くとったほうが勝ちとなる。ポイントは攻撃によって異なる。一本なら3ポイント、技ありなら2ポイント、有効なら1ポイントとなり、終了時に合計ポイントの高いほうが勝ちとなるが、8ポイントの差がつくとその時点で二分に達していなくても勝敗が決定する。
スポーツとしての空手道競技では、相手を攻撃するときは、体に当ててはいけない。もちろん、勢いを殺しきれず当たってしまうことはあるが、まともに攻撃を当てないのが基本ルールだ。それでも念のため安全具としてメンホー(頭部を守るヘッドギア)、拳サポーター、ボディプロテクターを着用した。
二年生部員から対戦し、秀電は五番目だった。
「始め!」
審判のかけ声とともに第一試合が始まる。
他の部員たちは邪魔にならない位置に横一列ですわり、黙って見学している。
空手道はスポーツであると同時に、「道」の字がつくように、武道としての躾も重んじる。静かに、そして礼儀正しく。私語をしたりすれば、たちまち顧問から怒声が飛ぶのだ。
対戦は粛々と進んだ。
両校の実力差ははっきりしていた。毎年近畿大会上位に食い込み、インターハイ出場、全国優勝を目標にかかげる翔徳館高校と、県大会ですら初戦敗退常連で一回戦突破がやっとの南都高校では、そもそもレベルが違う。主力の三年生が抜け、二年生一年生だけの部員であってもそれは変わらなかった。正直なところ、格下の南都高校と練習試合をしたところで翔徳館高校にさほどメリットはない。県内で空手道部のある高校が少ないという事情や、空手道競技者全体のレベルアップを図るという名目によって、相手をしてもらっているのだ。
翔徳館高校側は、相手に合わせて組手を調整していた。基本的な突きと蹴り技だけで攻撃した。これぐらいの技は極めてくれよ、といわんばかりだった。ナメられたものだが、現実はことほど左様に残酷なのだ。
六人の対戦が終わり、七人目は二年生最後の秀電だった。ここまでの対戦成績は〇勝六敗。秀電のあとには一年生が三人控えるのみ。
立ち上がり、秀電は前へ出る。道着の前を整え、相手と向かい合う。
相手は一年生だった。身長は一六〇センチに届くかどうかというほど小柄で、秀電より十五センチほど低い。体つきも細く、それほど筋肉がついているようには見えなかった。それでも実力の差はかなりあるだろう。いつもの秀電なら手もなくひねられてしまうだろう。
秀電は仲間の部員たちをチラッと目玉だけを動かして見た。みんな静かにすわっていたが、その目が期待にギラついているのがわかった。秀電が一瞬で勝つところを見たがっているのがありありと出ていた。
秀電は内心ため息をつく。悪いけど、その期待にはこたえられないよ──。そんな目立つ行為は遠慮したい。もうすぐ消えてしまうナノマシンのおかげで勝ったところで虚しいだけだ。
「礼!」
お願いします!
彼我の距離はおよそ一メートル半。
空手は、攻撃してきた相手に対し、防御しつつ反撃する、というのが基本だ。したがって、先に攻撃をかけるほうが不利となる。自然、互いに相手の出方を探り、タイミングを見計らって攻撃する、という形になる。そのため勝敗が決まるまで二分間を、よほどの実力差がないかぎりフルに戦うことが多い。
だが──。
この勝負は早かった。
まばたきする暇さえなかった。
秀電の拳が相手の頭部をとらえていた。
明らかな驚きの表情が、メンホーの中に見えた。
「一本!」
一呼吸遅れて、審判の声。場外に置かれた競技用デジタル時計のカウントが停止する。開始わずか六秒。
予想外の展開に、平常心を崩さないはずの翔徳館高校の部員たちからどよめきが起きた。
しまった、と思った。つい、力が入ってしまった。
秀電と対戦相手は互いに元の位置に戻った。
再び「始め」のかけ声。時計が再び動き始める。
秀電にポイントを取られ、今度は相手も警戒していた。いきなり仕掛けてきた。しかし右足蹴りが秀電の胴に届くはるか前に封じられ、逆に突きを食らった。
「一本!」
秀電、6ポイント先取。
相手は動揺していた。瞬間移動したかのような秀電の動きに戸惑っていた。格下相手との認識でいたが、とんでもない。
「始め!」
またも相手が踏み込む。時間をかけてはまずいと判断したのだろう。だが次の瞬間には秀電の拳が胴をとらえていた。
防ぎようもない早技で三連続一本取得し、制限時間のはるか前で試合終了となる。
「礼!」
南都高校唯一の勝ち星を上げた秀電だったが、仲間のもとに戻った秀電の表情は冴えなかった。内心、しくじった、と悔やんでいた。力をセーブしようとしたのだが、できなかった。ナノマシンの効果にまだ体が慣れていないのだ。
こんな目立った勝ち方をすれば、当然、相手高校の印象にも残ってしまう。個人戦であたれば手強いと思われてしまうのは秀電の本意ではなかった。本当の実力で勝ったなら堂々とした態度でいられるが、今の秀電はひどくビクついていた。
だが、秀電たちを引き連れてきた南都高校の顧問教員は、どうだ、と言わんばかりの笑みを隠そうとしているのが見え見えだった。目が笑っていた。奈良翔徳館高校空手道部にはこれまでまったく歯が立たなかったのだから、この圧勝は僥倖だろう。
しかし、
(困ったな)
秀電はますます苦悩する。
どうしたものかな、と思案しているうちに、もう一度順番が回ってきた。いい案が浮かばなかった。
立ち上がり、おもむろに位置につく。
いっそわざと相手の攻撃を受けてみるか、と思ったが、あからさまな無防備もまた反則となる。そんな簡単に見透かされそうな手はつかえない。
今度は二年生が相手だった。さっきの一年生と違い、大柄でがっちりとした体格の部員だった。主将をつとめそうなオーラを発していた。
相手は最初から警戒していた。とはいえ、対策をとる余裕があったわけでもなく、どう戦ったものかとの迷いが相手の気配の中に見え隠れしていた。部のエースといえど、秀電を簡単には勝てない相手だと本気にさせていた。それほどさきほどの対戦はかれらにとって衝撃的だったのだ。
秀電はそれを気の毒に感じた。──ほんとはそんな強いわけじゃないんだよ。
「始め!」
全員が注目するその試合で、秀電はまたも圧勝した。
いつもの練習試合とは違う視線を背後に受けながら、仲間とともに翔徳館を後にする秀電は、居心地の悪さをずっと感じていた。
まずいな、と思った。なにかイヤな予感がするのだった。
そしてそれは現実のものとなった。
秀電のウワサが広がりだしたのだ。