10 町営プールにレツゴ
百人一首にも詠まれている竜田川が大和川に流れ込む合流点のすぐ近く、小学校の隣に小ぢんまりとした町営プールがあった。
閉じた唇みたいな形の流れるプールと、競技用25メートルプールの二面があり、夏休みに入ったこの時期、子供たちでにぎわっていた。
入場料も大人三百五十円、子供はわずか百円、コインロッカーは十円で格安ではあるが、利用は町民に限られ町発行の利用カードが必要で、無料開放される日は混雑した。
小学生の頃からよく通っていたおなじみのスポットで、今年初めてのプールに、麦沢灯雅ははしゃぎ回って楽しんでいた……といいたいところだが、いつものリズムではしゃげなかった。
いつもの夏なら、梅山や天岡といっしょにバカをさらけ出すのも平気で楽しめたが、今日はその二人がいない。
代わりにいるのは字川玲花だ。目にも鮮やかなショッキング・ピンクの水着はこの近くには売ってなさそうなデザインで、今日初めて着るんだ、と字川。いつもはヘアピンで留めてある髪を後ろに流し、
「ヘンじゃないかな?」
と聞く。
「うん、よく似合ってる」
ほんとうのところはよくわからなかったが、そうこたえないわけにはいかない雰囲気に、灯雅は流された。流れるプールに流されながら。
膨らませたビーチボールを浮き輪代わりに二人して漂う、たまに泳ぐ、を繰り返した。
日差しがきつい。プールの水面が、日の光をギラギラと反射する。
字川は楽しそうだ。
通っていた小学校が灯雅とは違っていたため、中学に上がってから知り合った。さして広くもない町内から集まってくる生徒はそれほど多くはなく、大半は顔見知りで、だから小学校時代からの交遊をどうしても引きずりがちとなってしまう。梅山、天岡のふたりとつるむことが多いのもその例にもれず、ぬるま湯のような居心地のいい友だち付き合いが継続していた。
字川は、そこへ入ってきた。
とはいえ、学校内以外で会うことはなく、会話はときどきしてもあくまでクラスメートの一人にすぎなかった。夏休みの一か月以上は顔を会わせることのないはずだった。そんな薄い間柄で、字川は灯雅になにを感じ取ったのか。戸惑いばかりが先に立ち、その好意を素直に受け入れられずにいた。
こうして二人っきりでプールに遊びに来ていても、現実感がなかった。
それよりも──。
圧倒的な刺激に満ちた存在が、灯雅のごく近くにあり、太陽のごとく無視できなかった。
もちろん、エミルである。
灯雅は、なにかといえばエミルのことを考えていた。未来のスーパーテクノロジーの結晶であるエミルがなにをもたらしてくれるのか、想像するだけでワクワクする。今のところ、エミル自身、なんらかの自覚をもってこの時代にいるわけではないが、いつかそれがわかるときがきたら……。
しかし同時にそれはなにか悪いことの始まりではないかもしれないと、漠然とした危惧も感じていた。
そのエミル、今頃は父親と話をしているところだろう。
とうとう両親にもバレ、だんだん秘密が秘密でなくなってくる。それも心配だった。そのうちもっと知れ渡り、ネットに乗ったりしたらあっという間に拡散してしまい、もしそうなったらどうなるのだろう。
ネットの怖さは学校の技術家庭の授業でも習った。便利なばかりではないことに、灯雅はそら恐ろしさを感じた。
「麦沢ぁ、休憩時間だよ。プールから上がろ」
考え事をしていて放送が聞こえなかった。
一定時間がくると、なぜか監視員といっしょにプールサイドで体操をするのだ。
プールに入っていた全員が水から上がる。
灯雅の目の前で、プールから上がる字川の水着の尻から水が滴る。
「…………」
灯雅は急に物思いから引き戻された。
昼過ぎに学校から家に帰ってくると、父親がいた。今日は平日である。しかもリビングでエミルと話していた。
秀電が目を丸くしていると、
「おお、おかえり」
父は陽気に言った。エアコンの効いた部屋でTシャツに短パンというラフなスタイル。
汗だくで帰ってきた秀電からすると、恨めしく感じる。
「なにをしているの?」
と、ストッカーから抜き出したタオルで汗を拭く。
「エミルから話を聞いていたんだ」
「それは見ればわかるけど、仕事はどうしたのさ? 今日は休みと違うんでしょ?」
「有休をとった」
「えっ?」
あっさり言い放つ父の言葉に、秀電は声を失う。道着を入れたビニールバッグを取り落とした。
「有休って、そんな簡単に取れるものなの?」
「あのな──」
父は諭すように秀電を見つめる。
「労働者の権利として有給休暇は認められているんだ。会社は従業員が有給休暇を申し出たさいに、その理由によって取得を認めないわけにはいかないと定められている。なんとなく休みたい、でも休めるのだよ」
「へえ、そうなんだ……」
「よく知っておくんだぞ。世間知らずだとブラック企業にこき使われるからな」
「心しとくよ」
秀電は落としたビニールバッグを拾い上げる。
「ところで、なんで有給休暇なんかとったの?」
「決まってるだろうが」
父の顔に、少年のような好奇心に満ちた目が光っていた。
「エミルから話を聞いていたんだ。なにせ未来から来たんだろ、わくわくするじゃないか」
エミルがどの時代からやって来たのかはわからなかったが、時間移動を実現するテクノロジーなら相当な未来だろう。二百年後、いや、三百年後かもしれない。どんな世の中になっているのか想像もつかない。
「で、なにが聞き出せたの?」
ロトくじの番号などという煩悩ストレートなこたえではありませんように、と秀電は願った。
すると父親は一気に老け込んだように肩を落とした。
「それがさっぱりだ。エミルはなにも覚えていないとくる。どこでつくられたかとか、西暦何年から来たのか、その時代に日本がまだ存在しているのか、核戦争は起こったのか、ガンは克服できたのか、宇宙人は地球にきたのか(以下、十二行省略)、いくら質問しても、『わからない』の一点張りだ」
よくもまぁ、そんなにいろいろと知りたがるものだと、ある意味父を尊敬した。
「ゴメンナサイ。ほんとになにも思い出せないの」
エミルは申しわけなさそうに低くつぶやいた。
「やっぱりね」
秀電はふう、と息を吐く。
出会ったときからそうだった。エミルはなんのためにやってきたのか、秀電もそれを突き止めようとあれこれ質問したのだが、糸口にすらたどり着けなかった。
「故障なのかな?」
もし故障だとしても、とても修理はできないから、その結論に意味はないが。
「いや、故障なんかではないのかもしれんぞ」
父はなにかを察したようだった。含みをもった言葉がそう感じさせた。
「故障じゃないって?」
「過去に情報を流せば因果律が逆転してしまう。タイムパラドックスというやつさ。だからなにも言えないように最初から調整してあるんだ。ほら、朝比奈さんも言っていたじゃないか、『禁則事項』だと」
「朝比奈さんってだれだよ」
「エミルがこの時代のこの場所に現れたのは、なにかの予兆かもしれん。いずれ超能力者や異世界人が集まってくるかも」
「おやじはなんの話をしてるんだ?」
「昔のライトノベルの話ですね」
「なんでエミルはそんなこと知ってるんだ、というか、そういうことなら知ってるんだ」
元気そうにこたえるエミルに対し、秀電は深くため息をついた。
「ところで、灯雅は?」
「友だちと町営プールに行った」
「わたしも行きたかったのに」
エミル、心底うらやましそうである。
「今からでも行くかい? ここでおやじにつきあわされても、つまらんだろ? もうクローゼットに閉じ込めておく理由もなくなったわけだし。おやじももういいだろ? これ以上頑張っても、なにも情報は得られそうにないようだし」
「そうだなぁ……」
父は頭の後ろで手を組み合わせ、天井に視線をやる。午前中から今までかかって結局成果はなし。たしかに秀電の言うとおりだ。
「だが、もうお昼どきだし、あいつプールから帰ってくるんじゃないか?」
「あ、そうか……」
町営プールに売店なんかない。プールで底抜けに遊んだらさぞやお腹もすくだろうし、途中のコンビニでお小遣いを浪費したくもないだろう(というか、25号線に出て家の近くまで来ないとコンビニなんかないのだが)。
秀電にしても、午前中までで練習試合が終わって解散となったのも、お昼のことを考慮されてのことだった。
「ええー」
灯雅とプールで遊べないと、あからさまに残念そうなエミル。
「それじゃ、お昼ごはんのあと、秀電に連れて行ってもらえばどうだ」
「おう?」
父の意外な提案に、秀電は目を白黒させた。
「やたっ!」
手をあげて喜ぶエミル。
「ちょと待てよ」
秀電はあわてた。
「なにか都合でもあるのか?」
父は平然としている。外にエミルを出すことをなんとも思っていない様子。
「だって、ロボットが水に浸かったらマズいだろ」
エミルを連れ出すのになんとなく気の進まない秀電はとっさにそんなこといったが、プールで故障するほど脆弱な作りなわけがないとわかっていた。
「わたしなら平気だよ」
案の定、エミルは胸をはる。
「じゃあ、昼ごはんにするか」
父は立ち上がる。
「きょうはおれが冷そうめんをつくろう。エミルはロボットだから、物は食べないんだよな」
「食べなくても電気さえあれば平気だよ」
エミルはうなずく。
「でも、有機物を分解して電気エネルギーにできるので、食べ物は食べられるよ」
「そいつは驚きだな」
父はやっと聞き出せた未来の技術に半ば感動する。
「じゃあ、エミルもそうめん食べるか」
リビングの掛け時計は十二時をとうにすぎていた。
「灯雅が帰ってくるの、待たないの?」
「秀電は腹へってないのか?」
「そりゃ、へってるけど」
朝っぱらから練習試合に参加して、減ってないわけがない。それでなくても育ち盛りの男子高校生なのだ、人生で一番食べる量が多い時期だといえる。
「灯雅が帰ってきたら、すぐにまたそうめんを作ればいいじゃないか」
「ただいまぁ」
そこへ、ちょうど灯雅が帰ってきた。
「お、グッドタイミング」
振り返った父は、戸棚からそうめんの束を出そうとしていた。
「ちょうどお昼ごはん、作るところだったんだ」
バタバタとリビングに駆け込んできた灯雅に言った。
「エミルと話しててなにかわかった?」
灯雅は訊いた。
「なんにも」
こたえたのは秀電だった。
「で、しょうがないので、昼ごはんのあと、秀電と町営プールにでかけるのさ」
父は、灯雅の分の含めてそうめんを八束取り出す。
「勝手に決めるなよ」
「空手で疲れたか?」
「でも、エミル、水着もってないじゃん」
灯雅が大事なことに気づいた。体一つでやってきたエミルは、水着どころか所持品がなにもなかった。現金もなかった。
「そうなのか……」
父は、それもそうだな、とつぶやき、
「じゃあ、買いに行くか」
「えっ?」
息子二人は同時に驚く。いきなり「買いに行く」などと言いだすとは思いもよらなかった。
「本気かよ」
本気でおれとプールに行かせる気か、と秀電は思い、甘く考えていたなと反省した。
「昼ごはん、食べてからだよね?」
灯雅が言うと、父は少し考えて、
「そうだな……イオンモールに行って、みんなで食事して、エミルに水着を選んでもらうことにするか」
「お出かけ! やった!」
エミルが飛び上がって喜ぶ。なかなか外出させてもらえない不満がこれで解消される。
「それじゃ、行こうか」
父はそうめんをもとの場所に戻すと、リビングを出る。何事も決めたとなると早く実行にうつすタイプだった。
灯雅とエミルは父に続く。最後に秀電、その前にシャワーを浴びたかったな、と小さくつぶやいた。




