19 時間移動事象対策部
朝六時半──。
夏休みともなれば、ラジオ体操に行く小学生ならともかく、中高生ともなると、だれもが夜更かしを繰り返し、朝っぱらから活動を開始するという気にはならなくなるものだ。
が、その日はいつもとは違った。
麦沢兄弟は六時にはもう目覚めていた。普段なら、部活が忙しい兄の秀電でもこんなに早くは起きていないし、弟の灯雅にいたってはまだ夢の中にいる時間帯だ。ところが今朝は二人とも起きており、すでに着替えもすませていた。
持ち物を確認して階下に下りていくと、意外にも、もう朝食の用意ができており、さきに起きていた両親がテーブルについていた。仕事に出るには少し早い。朝のニュースバラエティーが流れているテレビ画面の隅の時刻表示を見て、なんでこんなに早く?──そう灯雅が訊くと、
「あんたたち、これから出かけるんでしょ。ちゃんと食べていかないとバテるから、早く起きて作っておいたの」
と、母。
ダイニングテーブルには、朝っぱらからボリュームのあるメニュー。白飯に味噌汁はいつものとおりだが、そこにツナサラダやプレーンオムレツなんかもあって、スペシャルごはんである。
「うん、ありがとう」
灯雅は席についた。秀電はその隣だ。
広げていた新聞を折りたたみ、テーブルの上に置いて、父が言った。
「きょうは、おれもクルマを出す。二人だけに任せておきたくないからな」
「え?」
二人同時に驚く。まさか父まで付き合うとは思ってもみなかった展開である。
「仕事は?」
灯雅は当然の疑問を口にする。
「もちろん、休むさ」
「おやじにとって、仕事ってそういうもんなのか?」
秀電の信じられないといった口調に、父は諭すように語った。
「仕事は真面目にとりくんでいるさ。だがおれは社畜じゃない。仕事を頑張るにはプライベートが充実してこそなんだ。覚えておけよ、会社は死ぬまで面倒をみてくれるわけじゃない。仕事はいつか自分から取り上げられてしまうんだ。それに人生をかけていたら、ある日なにもかもがなくなっていることに気づかされるぞ。それに、有給休暇が消化できないからな」
仕事人間になぞなるつもりはなかったが、秀電はそこまで割り切れるものかな、と自分を顧みた。が、今はその話を深く追究しているときではない。
「お父さんはご執心なことで」
母はすっかり呆れていた。こんなことでいちいち休むことがあり得ない。もちろん今日もいつもどおりにパートに出る。フッと息を吐き、
「ま、エミルちゃんのことはまかせたから」
朝食がすむと、父のクルマででた。エアコンの効いた車内は快適で、自転車で回ろうというつもりでいた兄弟にとっては救われた。
どこをどう探すかという当たりもはっきりしていない状態で炎天下をうろうろしていたら熱中症で倒れてしまいかねない。父はそれを心配してのことなんだな、と息子たちは気づき感謝した。
父はゆっくりとクルマを流す。兄弟は、それぞれ左右の窓から目を皿のようにして流れゆく町を見つめる。視線をあちこちに飛ばし、エミルの姿を見逃すまいと懸命に探した。
国道25号線に出て、法隆寺の西、藤ノ木古墳の辺りから北に行き、山の側から回り込んだ。農業用溜め池と、ゴルフ場の横を通り過ぎ、法隆寺の東側へと移動。
田の稲は青青と育ち、ムッとする水蒸気を発して湿度をあげていた。
道を歩く人は少ない。この暑さでは屋外に出るのも億劫で、子供でも夏休みとはいえ、だれもかれもが表で遊び回っているわけではない。
エミルはなかなか見つからない。だがまだ一時間もたっていない。狭い町内のことだから、根気よく探せばきっと見つかるだろう──そう期待して。
セミの声が響いている。今日も快晴で、白い入道雲が上空高く立ち上っていた。
エミルはどこにいるのだろう?
とにかくこのままでは終われない。有給休暇まで取得した父も、空手道部の練習に行かなかった秀電も、字川の気持ちにこたえられない灯雅も、エミルのことを思って今日一日は探し回るつもりだ。
未来に帰ってしまう前に無事を確認して、ほんの少しでも言葉を交わせたら、それだけで──。
見つからないかもしれないという不安と戦いながら、三人は周囲に目をこらす。
無言の車内で、突然声をあげたのは灯雅だった。
「いた! あれ、エミルだよ!」
父はブレーキを踏む。クルマが停止すると、秀電とともに灯雅の指差す方向を見やる。
田んぼの向こう側、細い農道が住宅地に入り込むところに、鍋状のものを背負ってしゃがみこんでいる若い女らしき人影。青いホットパンツと白いTシャツは初めて出会った数日前と同じだ。
クルマのドアをあけ、灯雅は飛び出してゆく。軽自動車がやっと通れるかどうかという幅の、かろうじてアスファルトで舗装された農道に入り、まっすぐその人影の元に駆けよっていった。
「エミル!」
人影が振り向く。
間違いなかった。おとついの夜、部屋から突然姿を消したエミルが立ち上がった。
「灯雅……」
走った勢いを止められず、灯雅はエミルにしがみつく。焼けたアスファルトによろけて倒れ込む二人。
「どこへ行ってたんだよぉ……」
先に起き上がり、エミルに手を貸す灯雅。その手をとって立ち上がり、正対した。
「探したよ。突然いなくなってしまうんだから」
「うん……そうだったね」
エミルは少し伏し目がちになり、それからまっすぐ灯雅を見返した。
「わたしには、やらなくてはならないことがあるって、わかったの」
「もうひとりのロボットに会ったよ。どうやら大事な任務らしいね」
どんな任務なのかは知らないが、つまらない用事でわざわざ未来から来るわけがない。
「そうなの。だからそれを今、やっているところで」
「今日中にやらなきゃいけないんだよね?」
エミルは力強くうなずいた。
「それはここにいる人たちを守ることだろうか」
そこへいきなり男の声がした。
二人が振り向くと、いつの間に現れたのか、すぐそばに一人の男が立っていた。白いワイシャツにスラックスという、どちらかというとビジネススタイルで、年齢は四〇歳ぐらい。笑顔はなく、落ち着いた表情でエミルと灯雅を見ていた。
あっ、と口を開いたエミルの反応を見て、灯雅は尋ねる。
「だれだい?」
男は灯雅の質問に答えている場合でなく、エミルに言った。
「我々に協力してほしい。明日起きる大地震から人々を守れるのは、きみらだけなんだ」
「大地震!」
灯雅は目を丸くした。
男は灯雅を一瞥し、
「友だちになったようだね。その友だちの命も地震の脅威にさらされる」
灯雅はエミルを射るような視線で見つめた。
「ホントなの? ホントに明日、地震が起きるの? エミルはそれを止めるために来たの?」
その質問にこたえたのはエミルではなかった。
「そうではないのだ、少年」
灯雅が男を見上げる。何者なのかわからず、事情が知りたかった。
訳知り顔の男の顔に汗が浮いている。
「地震は起きる。それは止められない。しかし地震エネルギーの方向は変えられる。それで法隆寺を守るのがかれらの目的だ」
灯雅は瞠目した。エミルにそんな重大な任務が与えられていたとは驚きであった。父親が言っていた「法隆寺と関係があるかもしれない」というのは、図らずとも的中した。だが大地震というのは目の覚める思いだった。
ところが男の説明はまだ終わってはおらず、しかもそれはより一層灯雅を驚愕させた。
「だが守るのは法隆寺だけで、その周囲の地域は地震の揺れにさらされる。町は壊滅的な被害を受けてしまうのだ」
灯雅は息をのんだ。顔から血が退いていく。
「そんな……」
と言ったまま、言葉が続かない。
「だから我々は、あらゆる手段をもちいて地震の被害を食い止めようとしている。しかし残念ながら我々が現在持つテクノロジーではそれを実現することはできない。かれらの協力が必要なのだ」
「エミルは法隆寺だけを守って、おれたちのことはどうなってもいいって言うの?」
灯雅は信じられない。大地震を自身では経験したことはなかったが、過去の震災映像なら数多く見てきた。町がどうなるのか、人々の暮らしがどうなるのか、それはあまりにも酷な神様の仕打ちだといえた。
エミルは泣きそうな顔をした。
「わたしたちのテクノロジーでも、法隆寺を守るのが精一杯で、広範囲にわたる地震エネルギーの制御はできないの。わたしだって灯雅を地震に巻き込みたくはないよ。でも……」
そう苦しい胸の内を吐露した。
「打つ手はある」
しかし男は胸を張る。
「我々には算段がある。協力してほしい」
灯雅に向かっても言った。
「きみだけじゃない、きみの家族や友人にもかかわってくることなんだから、他人事じゃすまされない」
家族……。そう聞いて、灯雅はクルマのほうを振り返った。大きなワゴン車が道をふさぎ、何人もの男たちが秀電と父を取り囲んでいた。
時間移動事象対策部・部長鉄村信将──。
男はそう名乗り、名刺をよこした。
灯雅と秀電、そして父もいっしょになって説明を聞くことになった。
「我々にはもう時間が残されていない」
鉄村はそう前置きし、説明を始めた。場所は法隆寺南大門の東すぐ近くの駐在所に移動していた。真夏の日差しが窓の外を明るく照らしていたが、室内は冷房が効いて汗が引いた。
「地震のエネルギーを制御する加速度変移装置を使うことで法隆寺は微動だにしないが、法隆寺は震度ゼロにしなくとも倒壊しない。震度5ぐらいなら持ちこたえられる。その分のエネルギーの流れを周囲の町まで拡大すれば、震度7を5弱ぐらいまで抑えられるだろう。震度5弱なら、倒壊する建物もそれほど多くない。それで町を壊滅から守れる。問題は加速度変移装置の設置場所だ。我々が算出した候補がいくつかある。そこを順番に実測し、最適な地点を割り出してほしい」
きみたちにこれをやってもらうほかに、もはや手段がないのだ、と鉄村は頭を下げた。
「あと一日しかない。正確にはもう二十時間をきっている。ここで行動を起こさなければ町は滅びる。瓦礫のなかで法隆寺だけが奇跡的に倒壊しないのは、シンボリックな印象で復興にいそしむ人々を勇気づけるかもしれないが、失われた命や財産は戻ってこない。ここはどうか協力してほしい」
未来に残すべき文化遺産が失われるリスクをとってでも人々の命を守る──。現実にそこに生きて生活をしている立場としては切実な問題であり、合理的な判断だ。しかしエミルは──未来から使命をおびてやってきたロボットは、価値観が異なり融通が利かない。そこを説得するのだからそう簡単ではない。
「うちに空き巣に入ったのは、最初はエミルの協力なしで、加速度変移装置だけでも手に入れようとしたからなんだな」
父は納得した。地元の警察が犯人の意図を推測できないのも無理ないと思った。
「そこは申し訳ない」
鉄村はまた麦沢父子に向けて頭を下げた。が、父はまったく気にもしない様子で、
「で、エミル本人はどうするんだ?」
と訊いた。
「法隆寺が倒壊しないなら、その方法でいいと思う。でも、それで本当に倒壊しないのかな?」
「あくまで理論上、だいじょうぶだと言えるだけで、百パーセントの保証はできない」
「…………」
エミルは黙り込んだ。
「軽微な被害なら修復できるだろう」
と父は言った。
「事実、法隆寺は建立時のままじゃない。一三〇〇年の間、何度も修復してきた。木造建築は必ず傷む。木材も、建立当時のものばかりではない。それでも法隆寺は世界最古の木造建築物だ。修理をしてもそれが失われるわけじゃない。──エミル、おれからも頼む」
横に座る灯雅と秀電の肩を抱き、
「こいつらの未来を守ってほしい」
ずっと目を伏せていたエミルは、やっと顔を上げ、麦沢家の三人を一瞥する。
「わかったわ。協力するよ」
「ありがとう」
鉄村はホッと胸をなでおろした。
「すぐにこちらのデータを提供する。今、用意させているから、少し待ってくれ」
あわただしい局面になってきた。




