15 拉致と秘密
現在位置、奈良県田原本町。だいぶ南に墜落していた。
陽は高く上がっていて、アスファルトが強い日差しに容赦なく焼かれ今にも溶けてしまいそうである。鳴き疲れたか、セミの声はやんでいる。天高く雲が湧く。
法隆寺までは直線距離でおよそ八キロ。空を飛べればたぶん数分で移動できるだろうが、徒歩でとなると距離は十キロ以上になり、倍以上の時間はかかる。
エミルは短距離ランナーなみのスピードで走った。いくらロボットとはいえ、速く走るにも限度がある。疲れないから人間よりは早く到着できるが、クルマ並みの時間で、とはいかない。30分ほどかかる見込みである。
県道36号線を西に走る。京奈和自動車道を横切って川西町に入った。近鉄橿原線の踏切で特急電車の通過を待ち、住宅地を抜けると耕作地域だ。
地図を思い浮かべながら法隆寺までのルートを選ぶ──ここら奈良県北東部は、面積の小さな自治体がひしめいていた。川西町から河合町に入って北上、西名阪自動車道の法隆寺インターをパスして大和川を渡って斑鳩町に入るコースをとれば、目指す法隆寺までほぼ一直線だ。
真夏の暑い空気を切り裂いて、エミルは走る。自転車を追い抜かし、赤信号で止まったクルマに追いついた。陽炎のたつ舗装道路は、とても我慢できないほど熱せられているのに、裸足のエミルはまったく動じない。この調子でいけばほどなくして法隆寺に至るだろう。
この暑さでは、全力疾走のエミルを見て不審に思うような通行人も道を歩いていない。だれからも呼び止められることもなく走り続けられた。
体内電力にも余裕がある。昨夜食べたピザが電力を作り出してくれていた。
汗ひとつかくことなく快走する。
だが──。
幅数メートルの寺川にかかる橋をわたった直後だった。
唐突にエミルの動きが止まった。前のめりに倒れた。
なにが起こったかエミルにもわからない。どういうわけか体が動かないのである。
そこへ一台のワゴン車が通りかかり、倒れたエミルのそばに停止する。すでにサイドのスライドドアが開いている。
見るからに屈強そうな大柄な男が二人、素早く降りてきてエミルを担ぎ上げた。開け放ったドアからワゴン車内に乱暴に放り込むと、自らも無駄のない動きでさっと乗り込む。ドアを閉じると同時にワゴン車は走り出す。その間、わずか数秒という、明らかに訓練された手際の良さだった。
「だれなの?」
体は自由に動かなかったが、意識は失わずにいた。
男たちは無言である。
しかしエミルには見当がついていた。
政府の手の者──。
レイヤが言っていた、未来のテクノロジーを狙う者。でも──。
「ねぇ、わたしになにをしたのか知らないけれど、こんなこと、している場合じゃないのよ」
男たちは無反応。揺れる車内で、横たわるエミルを見下ろしている。動きやすいスポーツウェアを着ていて、一見すると朝のジョギングを終えた市民ランナーといった感じで、とても職務中の政府秘密機関の構成員とは思えない。
「明後日、大地震が起きるのよ。放置してたら法隆寺が倒壊するの、わかる?」
日本語が通じないわけでもないのに、表情ひとつ変えない。不気味であった。
「わたしをどこへ連れていこうというの?」「わたしをどうする気?」
ひっきりなしに質問するが、まったくこたえてくれない。
ワゴン車のスピードが上がる。大和まほろばインターから西名阪道に入ったようだ。ということは、未明と同じコース、東へ向かっているらしい。あのときはレイヤが救い出してくれたが。
目的地はどこだろう……。
天理料金所をすぎ、ここからは名阪国道。クネクネと曲がる登り坂に入る。
今回もレイヤがヒーローのように現れてくれるかも、と期待する気持ちがわき起こったが、クルマは無情にも山添出口を降り、山道へと入っていく。
いくつかの角を曲がった末にワゴン車は停止した。スライドドアが開いて、エミルは車外に運び出される。GPSの位置情報によれば場所は上津ダムの近くだ。周囲には山林が広がり、人家は少ない。
倉庫の中だった。ワゴン車ごとその中に入り、運転していた男と助手席にいた男の二人とともに、倉庫内の一郭にある事務室に入った。
広さ十二帖ほどのプレハブ製の事務室。しかし事務机もなく、端のほうに何脚かの古びた事務椅子があるだけでガランとしている。エアコンの作動音はするが、あまり効いてなくて蒸し暑い。照明も薄暗く、なんとなく貧乏くさくて、ゴキブリでも出てきそうだ。隅においてある黒い金庫が場違いだった。
部屋の真ん中に折り畳まれたブルーシートが敷かれてあり、エミルの体はそこに横たえられる。人間の扱いではない。
「手荒な真似はなるべくならしたくはないのだが、こちらも急いでいるので承知してもらいたい」
そう口を開いたのは、白い開襟シャツを着た四十歳ぐらいの男だった。ワゴン車では助手席に乗っていた。
「きみたちは目的を果たしたらすぐにどこかへ消えてしまうからね。きみの人工脳にハッキングさせてもらった」
慇懃無礼な口調である。
「わたしになんの用かしら?」
エミルは観念した。体の自由がきかないでは抵抗できない。目的である、法隆寺を地震から守るというのは、どうやら達成できそうにないようだ。
悲しい、という感情はわかなかった。ロボットだから。たとえここで分解されスクラップになり果てたとしても、その事実を理解するだけだった。
レイヤひとりで法隆寺の倒壊を防げたらよいのだが……と思う。
開襟シャツの男はブルーシートに両膝をついて、エミルに対した。その目には強い意志が宿っていた。
「きみたちに地域住民を救ってほしいのだ」
唐突に言った。
「はい?」
エミルは素っ頓狂な声をあげてしまった。まったく予想外の要求だった。
「きみたちの目的は、法隆寺の倒壊を防ぐこと。そしてそれには、この装置を使う」
スポーツウェアの一人が部屋の隅に置かれた、違和感を放つ金庫から取り出したのは、例の鍋を伏せたような形の加速度変移装置だった。
それがここにあるということは、空中を移動中に攻撃されたときに回収された……。
エミルはハッとなる。
「レイヤはどうしたの? どこにいるの?」
レイヤもどこかに墜落したのだ。そして……。
「レイヤというのかい、もう一体のロボットは?」
エミルは口をつぐんだ。
「我々はきみたちの知る歴史も読ませてもらった。法隆寺の金堂、五重塔、中門、夢殿などの国宝・重文が大地震の被害を受ける。未来の人々はそれを憂い、ロボットを遣わした……。時間移動が可能なテクノロジーをもつ未来世界では、地震のエネルギーを制御できるようだ。まったくもって驚異的だよ」
エミルは内心驚愕した。ここまで詳しく知られているとは想像していなかった。ハッキングしたのは、おそらくエミルが時間移動時の事故により、数日ずれて現代に来たそのときなのだろうか。記憶の障害はそのせい?
「超未来の人々にとっては、この時代に生きる市井の人々は、歴史に埋もれた取るに足らない存在だろう。だが我々にとっては、倒壊した家の下敷きになって息絶える人々はリアルな存在だ。法隆寺は救えても、周辺住人が無視されるのは看過できない。我々は、きみたちの力を欲した──地域の被害を軽減するために。やっと居場所がわかったので、装置だけでも手に入れようとしたが、きみはもっていなかった」
空き巣の犯人は、やはりこの人たちだった。加速度変移装置を狙っていたのだ。
「で、やむなくきみに来てもらったわけだが……。山奥の、なるべく人家のない場所で実験を……というところでレイヤが現れて連れ去られてしまった。だが、そのおかげでなんとか装置が手に入った。我々としてはこれでどうにかできると思ったので、きみとレイヤは放置した。しかし、装置は動かない」
ブルーシートの上に置かれた鍋のような加速度変移装置。
「どうやらこれは、きみたちロボットの機能を加味してはじめて動作するようにできているらしい。つまりきみたちでしか使えない。操作はできるね?」
男は両膝をついた姿勢のままで、辛抱強くエミルの返事を待った。
エミルはこたえた。
「操作はできるけど、わたしの目的は──」
「わかっている。わかっているが、そこを曲げてお願いしたい。ロボットには感情に訴えても効果はないだろうし、融通などきかないかもしれないが、人の命を救うには、もうきみたちにしかすがるほかないのだ」
「人の命──」
明後日起きる地震でどんな被害がでるのか、おおよそのデータはあった。倒壊家屋の範囲と死者・負傷者数、被害総額、インフラ復旧までの期間、復興費用……。
しかし、アーカイブにあるそれらは単なるデータだ。だれが大怪我をするのか、あるいは死んでしまうのか、遺族の悲しみや震災後の被災者の苦労まではわからない。
エミルは麦沢家のみんなの顔を思い出す。秀電と灯雅の兄弟とその両親。それから家で休ませてくれた農家のおじさん。かれらは明後日大地震に遭うとは思ってもみない、平和な日常のなかにいる。麦沢一家が震災でどうなるのか、エミルは知らない。だがもし……という可能性に思い至って、心が揺れる。
住人を地震から守ってほしい、という望みは、もちろんできることなら実行したいところではある。
「わたしたちには法隆寺を護るためだけの設備しか与えられていない。広い被害地域をカバーするのは不可能よ」
どうせなら法隆寺だけではなく、地震が起きるすべての地域のエネルギーを制御できればいいのに、だが時間移動技術ではそこまで大規模なシステムを過去に送ることはできないと、今のエミルにはわかっていた。
「可能かどうかは我々もわからない。それでもやってもらいたい。フィールド形成する装置の設置場所は我々が算出中だから、それは任せてもらっていい」
エミルは不思議に思った。いくら政府の機関とはいえ、こんなにも情報収集ができるほどの人材やノウハウもあるとは信じ難い。それに、ハッキングや空中移動の際に受けた攻撃……その技術はいったい……。
だから尋ねた。
「どうしてそんなことまで知っているの?」
それに対し、男はこたえた。それはエミルに衝撃を与えた。
「きみたちが初めてじゃないからさ、未来から来たロボットは。我々は以前から歴史を変えるために来たロボットから情報を得ていたんだ。未来のテクノロジーも。もちろんそれは、すべては日本国のため」
エミルは二の句が継げなかった。この時代の政府は想像していたよりも知識がある。
「そうだ、言い忘れていた──我々は内閣情報調査室所属の時間移動事象対策部。そしてぼくは部長の鉄村だ」
男は手品師のように名刺を差し出した。
時間移動事象対策部・部長、鉄村信将──エミルはその名を記憶した。
そのとき──。
出し抜けに照明が消えた。そして暗闇のなか、なにかが破壊されるようなバリバリッという凶兆を孕んだ音が響いた。




