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13 エミルはどこに?

 まずはここから移動しよう、とレイヤは言って、背負っていたものを地面におろした。

 鍋のような形状のものだった。樹脂製の黒い物体の表面には、操作用の小さなパネルが埋め込まれている。レイヤがそこに指をのせると、パネルが発光しだした。

「オーケイ、設定完了だ」

 レイヤは再びそれを背負う。

「いちいち背中から下ろさないと操作できないのがわずらわしいけど、ま、移動目的の使い方を想定していない機械だからね」

 エミルにはなんのことかわからない。目の前にいる青年の名前がレイヤというのは知っていたが、レイヤが何者で使命とはなんのことなのか、ついでになぜ自分がここにいるのかもわからなかった。

 サイレンの音が遠くに聞こえてきた。接近してくるサイレンは、音の種類からパトカーのものであると知れた。どうやらだれかに通報されたらしい。しかしレイヤはあわてない。

「じゃ、用意はいいかい? ジャンプするよ」

 ジャンプ……?

 エミルはレイヤがなにをしようとしているのか、まだ飲み込めていない。かといって抵抗するでもなし。疑問があるも聞き出している暇がなかった。

 突然、体が浮かび上がった。そしてパチンコ玉のように、いきなりものすごい速さで弾け飛ぶ。

 空を飛べるのがさっきの装置の機能だというのはあきらかだったが、記憶のないエミルにとっては不意打ちも同然だった。

 高度は約百メートルで、極めて低空だ。山の緑が足の下を高速で流れてゆく。どこかの山肌にぶつかってしまわないかと危惧したが、その心配はなかった。あらかじめ飛行コースが決められている巡航ミサイルのように、うねる山並みに沿って移動していく。

 不思議なことに、これだけのスピードが出ているにも関わらず空気の抵抗がない。まるで透明なカプセルに入れられて飛行しているかのようだ。

 曲がりくねる名阪国道を貫くように、一直線に西へと飛行する。

 山を越えた。早朝の天理市街地が目の前に開ける。田畑と住宅地がパッチワークのようなコントラストを見せていた。建物の屋根や休耕地に設置された太陽電池パネルが朝日を受けて目を射るようにまぶしく光る。

 そのとき──。

 すぐ近くでなにかが爆発した。砲弾でも炸裂したような爆風がエミルとレイヤを吹き飛ばした。完全に虚をつかれた。

 あっと思ったときには──。

 地面に落下していた。

 ナス畑に突っ込んだエミルは、爆発破片を浴びて体中傷だらけである。

「うう……」

 どこかが損傷しているようで、立ち上がれない。

 ──今の爆発はなに?

 畝に頭をめり込ませたエミルは状況を整理しようとする。

 クルマに乗っていた男たちを「この時代の政府関係者」とレイヤは言っていた。ということは、この攻撃も日本国政府が?

 けれども目的がわからない。

 惜しむらくは、レイヤから事情を聞く前だったということだ。事情さえわかっていればどう行動すべきか見えてくるのに。

 レイヤ……どこにいる? わたしは動けない……。



 窓が全開となっていたせいで電子蚊取が効かずあちこち蚊に刺され、その痒みで目が覚めた。朝日の差し込む部屋は熱帯夜の空気が遠慮なく入り込んで、早朝だというのに涼しさのカケラもない。

 だがいっぺんに目が覚めたのは寝苦しさのせいだけではなかった。

「エミルがいない!」

 部屋のクローゼットからエミルが消えていることに気づいた麦沢秀電は、汗ばむ体にさらに汗をかきながら家じゅうを探し、どこにもエミルがいないことを知った。

 二段ベッドに上の段で、寝苦しそうな表情の弟の肩を揺り動かした。

「おい、エミルがいないぞ」

 普段ならなかなか目を覚まさない灯雅が、ガバッと半身を起こした。

「どうやら、夜中に窓から出て行ったらしい」

「なんでだよ」

 頬に赤い点がふたつ。灯雅は混乱して、蚊に刺されたことにも気づかない。

「なんでって……おれにも理由はわからん」

「家んなか、捜した?」

 飛び起きて、手早く着替える灯雅。

「捜したさ。でもどこにもいなかった……おい、どこへ行くんだ?」

 部屋を出て行く背中に、秀電は問いかける。

「外へ捜しにいくんだ」

「って、なんか捜すアテでもあるのか?」

 灯雅は黙って立ち止まる。

 アテなんかあるはずもない。それでも捜さないではいられないのだろうと、秀電は弟の気持ちを察した。

 とはいえ……エミルにはなにかの目的があって現代の斑鳩に現れた。自分たちにはうかがい知れないなにか大事な目的が。いつまでもこんなところで油を売っている場合ではないはずである。

 秀電は、いつかエミルと別れる日が来るだろうと思ってはいた。それがいつやってくるのかわからない。突然その日が訪れるかもしれず、灯雅はそれが聞きわけられるほど大人ではないと思った。

「エミルがおれたちになにも告げずに出ていったのは、なにか余程の理由があるからなんだろう。もともとエミルはふらりとどこかからやってきた。いつ消えたって不思議じゃないだろう」

 まるで風の又三郎のように。

「にいちゃんはそれでいいの?」

 悟ったような兄のセリフが、灯雅の気に障る。ゆうべはいっしょにピザを囲んだ。エミルの正体がどうあろうとも、灯雅にとってはもう家族みたいなものだった。

「おれは捜しに行くよ。簡単にあきらめるもんか」

 兄を振り払うように部屋を出て行った。



 両親はすでに仕事に出て行っていた。たぶんエミルが行方不明であるとは知らない。

 灯雅は自転車にまたがり、走り出す。

 法隆寺に向かった。初めてエミルと出会った場所。思いつく手がかりといえば、そこしかなかった。

 一〇分もかからない。

 全速力で法隆寺の正面につくと、背の高い松並木に蝉時雨。

 時刻が早いにもかかわらず、もう観光客がいる。寺の朝は早いのだ。大きなカメラを首から下げた大柄な外国人の夫婦。すぐ隣の駐車場に着いた観光バスから下りてきた高齢者の団体。作務衣を着た土産物屋の従業員が店の外まで出てきて呼び込みをしている。

 エミルがここにいるのかどうかわからないが、とにかく捜すしかない。灯雅は今、そうすることしかできなかった。

 あのとき、ここにエミルが現れたということにはなんらかの意味があるはずだ。その思いだけが頼りであった。

 法隆寺の東院、四脚門の辺りだったと、初めて会った深夜を再び思い返す。

 その翌日もそこだった。自転車を取りに来てエミルと会えた。だから今度も……と淡い期待にすがらずにいられない。

 四脚門前に着いたが、エミルはいない。それらしき気配さえない。

 周辺の細い道を行ったり来たりした。

 法隆寺の西院境内は観光客でにぎわっているが、東院の周辺となると途端に人が少なくなる。だれかがいれば遠くからでもわかる。しかしときどきクルマが通り過ぎるくらいで人っこひとりいない。道端の古びた自動販売機は飲み物を買う人を何十年も待っているかようだった。

 スマホがメッセージの着信を告げた。

(もしやエミルが帰ってきたという、秀電からの知らせかな)

 そう思って自転車を停め、ポケットから取り出すのももどかしく、表示を見た。字川からだった。

〈商工まつりは楽しかったね。今日は予定ある? いっしょに宿題しない?〉

 陽気な文面だ。

 正直、灯雅はそれどころではない。なにも知らずにいる字川がうとましかった。

〈エミルがいなくなって、捜しているんだ〉

 返信。

 ポケットにしまおうとしたら、着信。この電子音は通話だ。ポケットに入れかけたスマホの通話アイコンをタップし、

「なに?」

「いなくなったって……こないだのロボットでしょ?」

 声音にトゲがあった。

「うん、そうだけど……」

「未来に帰っちゃったとか……」

「うーん……」

 そう思うのは自然だろうが、灯雅にはそうは思えない、というか、そう思いたくはなくて言葉を濁す。

「もともとこの時代に来るべきじゃなかったのよ。なにか危ないことが起こってしまうかもしれない」

 空き巣に入られたことを字川はまだ知らないが、その指摘は的を射ていた。今思えば、それは偶然というよりなんらかの関係があった、とみるべきなのかもしれない。なにも取られていないというのが不気味で、空き巣に見せかけてその実、目的はエミルを捜すためだったのかもしれない。となると、ではいったいだれの仕業なのかという疑問が大きくなるが、それはここで議論できる話ではなく、今の灯雅には、とにかくエミルの行方を知りたい、ただそれだけだった。

「手がかりなんてあるの? もしあったとしても、麦沢に見つけられる?」

 字川の正論は灯雅にもわかっていたが、あきらめられない。言われれば言われるほど反発したくなる。

「それでも放ってはおけないよ。エミルは記憶がないんだよ。そんな状態で、知らん顔をするなんて、そんな冷たいこと、字川は平気かもしれないけれど、おれはできないな」

 電話口で字川が黙った。長い沈黙。

「見つからないかもしれないけれど、やれることはやるつもりだよ。じゃあ、もう切るよ」

「待って!」

 通話を終了しようとした灯雅の指が止まる。

「なに?」

「……ごめんなさい」

 急に態度が変わった字川に、灯雅は戸惑う。しおらしく謝られても、なにが字川にそうさせたのか見当もつかず、内心首をかしげる。

「わたしもいっしょにエミルを捜すわ。今、麦沢はどこにいるの?」

「どこって……法隆寺の東側だけれど」

「すぐに行くわ」

「いや、字川に来てもらっても──」

 通話が切られた。

「…………」

 字川の心変わりに得心がいかなかったが、気にしている場合ではなかった。エミルを捜すのを字川が手伝ってくれようがくれまいが関係ない。

 ポケットにスマホをしまうと、灯雅はペダルに足をかけなおし、自転車を走らせる。セミの声が相変わらず騒々しい。

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