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化学実験室は三階の一番北に位置しており、日当たりが悪く冬場は冷部屋である。
昨日皐月に脅迫めいた質問を受けた瑠璃花は今日から早速化学準備室の掃除をしている。
実験室は生徒が使う教室部分と、授業で使う機材や薬品を保管している準備室からできている。
教室部分とは暗幕と鍵付きのドアで隔てられている準備室の中で瑠璃花は嫌そうにため息をつく。
そのため息に元凶の皐月は振り返った。
「何だよ、一ノ瀬。ため息つくと幸せが逃げるんだぞ」
「…皐月ちゃんのせいだよ」
「何でだよ。俺は何もしてないぞ。…あ、そこは危ないから触らなくていい」
今皐月と整理している薬品棚の二段目に手を伸ばしかけた瑠璃花を皐月は言葉で制する。
文系で化学を選択していない瑠璃花にはよくわからないので、言われた通り触らないように別の方へと手を向ける。
「あ、そっちもやらなくていいよ。…一ノ瀬、代わりにあっち分類して」
指差された方にはぐちゃぐちゃのまま箱に入れられた本がある。
それを見つめて瑠璃花は感慨深げに呟いた。
「…実験室ってこんななんだね。私初めて入るから変な感じ」
「一ノ瀬は化学選択してないもんな」
「…化学ってよくわかんないもん。中学で原子分子が出た時から謎しかない」
「そこからかよ」
残念そうに皐月は頭を抱える。
「化学の素晴らしさを一ノ瀬にも教えてやりたいんだけどなぁ…もう卒業まで時間ないからなぁ…」
心底残念そうな皐月とは対照的に瑠璃花はほっと安堵のため息をつく。
授業もないこの時期にわざわざ学校に来て実験室の掃除を手伝っているというのに、更に興味もない嫌いな化学の授業をされなくて心底ほっとした。
「皐月ちゃん、これは必要なの?」
本の整理を始めていた瑠璃花はその中の一冊を手に取る。
それは女性アイドルの水着姿が写ったペラペラの冊子に近いものだ。
瑠璃花の持っている本を見て、皐月はふむ、と首を傾げた。
「…それ誰のだったかな…?」
「ここにあるんだから皐月ちゃんのじゃないの?」
冷ややかな視線を感じたのか、皐月は慌てて顔の前で手を振った。
「ちーがうって!…生徒のだよ!没収したやつ!」
「…皐月ちゃん、みっともないよ。いいんだよ、先生だって男なんだし。…人のせいにしないで認めなよ」
「マジで違うから。…俺の好みはもっと清楚系だから」
怪しそうに皐月を見る瑠璃花を、皐月はじっと見つめた。
「例えば…一ノ瀬みたいな黒髪ストレートで、化粧もケバくなくて、肌が白いのがいいの」
言われた途端、瑠璃花はかぁっと全身が熱くなる。
思わず後退りすると、皐月はニヤリと笑った。
「…一ノ瀬、俺に襲われたらどうする?実験室で男と二人きりなんて警戒心ないんじゃない?」
先程の仕返しとでも言いたげに意地悪そうな笑顔を浮かべる皐月を瑠璃花はむっとして睨んだ。
「…スマホ持ってるから!」
ずいっと電子端末を見せつければ、皐月は肩を竦めた。
「そりゃ、残念。…まぁ冗談は置いといて、気を付けろよ。女の子なんだから。…俺が言うのも微妙だろうけど」
皐月は苦笑すると、先程の本を手に取り机の上に置いた。
その様子を見ながら瑠璃花は小さく息をついた。
安堵した瑠璃花は皐月の質問に再びぎょっとすることになる。
「一ノ瀬はさ、何で笹本先生が好きなの?」
「…なっ……何でって、何で!?」
「いや、気になるじゃん。同じ教師としてさ。…どうやったら女子高生に好きになって貰えるの?」
ずずいっと顔を近づけてくる皐月から瑠璃花は距離を取ろうと更に後退りする。
だが先程後退りしたせいであまり距離が取れず近いのだ。
皐月からは微かに男の人の匂いがする。
ごつごつした骨張った腕と間近で見ることのない喉仏が見えて瑠璃花は急にドキドキと鼓動が速くなるのを感じた。
「…ち、近い近い近い!皐月ちゃん離れてよ!セクハラだよ!」
「えぇ…?そんなちょっと近づいただけでセクハラって…傷つくんだけど…」
不満そうに口を尖らせながらも皐月は言われた通り瑠璃花から距離を取る。
「…で?どこが好きなの?」
「そうやって不用意に近づいたりしないとこだよ!」
瑠璃花は怒って皐月に指を突きつける。
「皐月ちゃんこそ、そんなこと他の子にやったら駄目だからね!セクハラ問題で捕まるよ!」
「…でも、ドキドキしたろ?」
事も無げに言う皐月に瑠璃花はますます眉を吊り上げた。
「うっ、うるさい!わざとなの!?もう帰る!」
ぱっと立ち上がる瑠璃花の背に皐月はにこやかに声をかけた。
「…続きは明日頼むな。…気を付けて帰れよ」
飄々としたその背に瑠璃花は思いっきり舌を出すと、バシンと音を立てて準備室から出ていったのだった。
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