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ガチャリと鍵のかかる音がする。
ハァハァと肩で息をしながら瑠璃花は床に座り込んだ。
化学準備室の床は冷たく、汗をかいた体に丁度良かった。
呼吸の整わない瑠璃花より先に皐月が口を開いた。
「…チョコ、頂戴」
「………はぁ!?」
この期に及んで『チョコ頂戴』とは、瑠璃花の予想を遥かに超えている。
瑠璃花にしてみたら、チョコより先に何故こんなところまで走らされたのか説明してほしいのだが。
思わず大声を出す瑠璃花の前に皐月の手が差し出される。
「チョコ」
渡すまで引っ込めないであろう手を見つめて瑠璃花は恐る恐る持っていた包みを皐月の手に乗せた。
途端に、深く長いため息をついて皐月が瑠璃花の前に座り込んだ。
「…チョコ貰うだけで、すっげぇ疲れた…」
片手でチョコを握りしめ、もう一方の手で髪をかきあげ、皐月はしみじみと呟く。
「そ、そんな事言うなら返してよ!」
責められている気分になり瑠璃花は皐月を睨んだ。
チョコに手を伸ばすと、皐月は不満げに瑠璃花を見つめた。
「ダメ。これはもう俺の」
守るようにチョコを後ろの机に置き、皐月は瑠璃花の腕を引いて、立ち上がらせた。
そのまま皐月は瑠璃花を抱きしめた。
「…なっ…!何!?」
突然の事に瑠璃花はバタバタと手を動かす。
皐月から離れようと腕に力を込めると、それを阻止するように皐月が回している腕に力を込めた。
ぎゅっと抱きしめられて、皐月の心音が間近に聞こえる。
体が熱いのは走ったからだろうか。熱いのは瑠璃花だけなのだろうか。
気のせいでなければ皐月も熱いように感じる。
心音も瑠璃花と同じように早い筈だ。
「…俺がチョコ貰ってて嫌だった?」
囁くように耳元で聞こえた声に瑠璃花はビクッと肩を震わせる。
「ち、がう!」
「…嘘。正直に言うまで離さない」
甘く囁く声は瑠璃花の鼓膜を擽る。
そっと髪を撫でる手は驚くほど優しい。
ぎゅう、と抱きしめられている腕に力がこもる。
骨張った男性の腕の感触に瑠璃花はたじろいだ。
「…瑠璃花」
名前を呼ばれた瞬間、瑠璃花は思わず顔を上げた。
その拍子に瑠璃花の頭に顔を寄せていた皐月の顎に瑠璃花の後頭部が直撃した。
「うっ…」
思わぬ反撃に皐月は顎を押さえた。
パッと皐月から離れた瑠璃花は思わず皐月の顔へ手を伸ばす。
「あっ、ごめん!」
皐月へと伸ばした手はハッとしたように止められる。
「…あ、えっと…か、帰ります!」
皐月からの拘束が解けた機会を逃さないように、瑠璃花は急いで準備室の鍵を開けて出ていった。
またも全力疾走し、玄関に向かう。
瑠璃花は火照った体を休ませることなく、足を縺れさせながらも校門を出ていった。
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