閑話 レイアと大賢者
※ ヌルハチは自分のことをヌルハチと呼びます。
近づいて来ているのはわかっていた。
ヌルハチの結界をまるで気にせず平然と歩ける者など、今は一人しかいない。
幾重にも張り巡らせたドラゴンでも気絶するような結界が、まるで最初からなかったように次々と消えていく。
「来たか、レイア」
三角形を上下に重ねる六芒星が描かれた城の地下。
その中心に立つヌルハチの前にレイアは現れた。
「よくそこまで強くなった」
「貴方は弱くなったわ、ヌルハチ」
そんなことはない。ヌルハチの魔力は出会った頃より、遥かに増加している。
だが、それがわからないほど、レイアは強くなりすぎたのだ。
「で、どうするつもりじゃ。強くなったのでリベンジを果たそうというのか?」
神降ろしを魔力でねじ伏せ、完膚なきまでに叩きのめした。
漫画版では戦いそのものがカットされるほどの実力差があった。
だが、今は……
「まさか、そんな小さなことでここには来ないわ」
まるで勝てる気がしない。
実力差以上に、レイアの得体の知れない何かに圧倒されてしまう。
「なら何のために、このヌルハチを倒しにきた」
「倒しにきた? 違うわ。もうすでに決着はついて、貴方は倒されてる。これはただの過去回想。……全部カットしちゃったけど」
ぐらん、と地面が揺れるような感覚。
いや、地面じゃない。世界全体がぐにゃり、と歪んでいる。
そうだ。最初から違和感はあった。明らかにいくつかの場面が飛んでいる。
ここに現れた本物のサシャや、六老導は、どこにいってしまったのか。
「なんじゃコレはっ、ヌルハチの身体がっ」
魔力が尽きた時のように、どんどんと身体がしぼみ、小さくなっていく。
チハルになるっ!?
いや、これはさらにっ!!
「記憶と魔力の大部分をカットした。しばらく、いえ、もうヌルハチには戻れないかも」
場面カットだけではなく、身体能力までもカットできたのか。
記憶を司るチ、魔力を司るヌを持っていかれた。
次はハルとでも名乗れというのか。
「……大事なシーンをカットされるという自らの不遇を、ここまで進化させるとは…… まさに個の極地」
「あれ? カットしきれてない? どうして?」
緊急事態に備えた予備電源。
魔法で作り出した分身を小さくして体内に忍ばせておいた。
本体に異常が起こった場合、自動的に主導権が入れ替わる。
もっとも、本体の魔力が尽きれば消えてしまうので、そう長くは持たないが……
「……どうやら、大賢者としての、すべてを賭けねばならん時がきたか」
エルフ一族、最大の禁忌。
使用者はこれまでのすべてを失うと伝えられてきた原初の魔法。
アリスとの戦いでも、アザトースの襲来でも使わなかった最後の秘術を使う時がきたようだ。
「始まりの禁魔法『星海』か。代償が怖くないのなら使えばいい」
!?
誰にも、タクミにも言ったことのない、星海の存在を知っているっ!!
やはり、今、ここで起こっていることはすでに終わっている過去なのか。
「参る」
師匠と同じセリフで、レイアが接近する。
退かぬ!媚びぬ!省みぬ!
すでに倒れることが決まっていたとしても。
星海の代償が、どんなものだったとしても。
ここでレイアを止めなければ、またタクミの物語が始まることになる。
手と手の間に、世界中の光を収縮するように集めていく。
そこにカット能力ですら及ばない、小さな、銀河にも似た空間が誕生する。
無数の星々がそこから溢れ出し、六芒星が描かれた城の地下が星の海に飲み込まれた。
すっ、とレイアに向けて指を刺すと、数えきれないほどの無限の星すべてが、そこに向かって流れ落ちる。
「星海」
「大切断」
強大な爆発音がして、そこにあるすべてが吹っ飛んだ。
城の地下はすでに跡形もなく、瓦礫が散らばっていた。
かろうじて形が残った六芒星の中心にはレイアが立っている。
ヌルハチは、その正面にある壁に身体ごと埋まっていた。
まさか、ここまでの差があったとは。
レイアの強さの底がまるで見えない。
星海が放った無限の星は、大切断でも、すべて消し去ることはできなかった。
だが、それでもカットをすり抜けた星々を、レイアは平然と刀で切り落としたのだ。
「……なんじゃ、その剣技は」
「超宇宙薄皮芋剥千極剣」
タクミが適当につけた修行を、そこまで極めたのか。
しかも、それだけのことをやってのけたのに、レイアは息一つ乱していない。
魔剣に力を吸わせ続けた為、無尽蔵のスタミナまで手に入れている。
もしや、すでに『彼女』を倒した時のアリスを超えているのか。
「トドメはささぬのか?」
「いい、星海の代償で、もうすぐ何もできなくなる」
確かに枯渇した魔力が戻る気配がない。
リンデン・リンドバーグと同じく、もう魔法を使うことができなくなったのか。
いや、違う、これはもっと根本的な何かが欠けている。
「戻っていってるのよ、魔法使いになる前に」
どうやら、本当に二度とヌルハチに戻ることはできないようだ。
「……一つ、聞いてもいいか?」
「いいわよ、最後だから答えてあげる」
「どうして、タクミの元にロッカを送った?」
「繰り返される物語。タクミさんがそれを望んだからよ」
違う。タクミはそんなことを望んでいない。
一人でいることを望み、山に引きこもった。
だから、ヌルハチは誰にも邪魔されないよう、結界を張って守ってきたのだ。
「いや、本当はわかっていたのだ」
ぱき、ぱき、とゆっくりと埋め込まれた壁から這い出る。
魔力はすでに枯渇している。
体内に埋め込んだ分身も消えかけ、出来ることなどもう何もない。
だが譲れないものがそこにはあった。
「タクミが一人でいることを望んでいたのは、ヌルハチだった」
飛び散った星海のカケラをかき集めるように吸い込みながら、レイアの前まで歩いていく。
「誰かのものにならないのなら、ヌルハチのものにならなくてもよいと満足していたのだ」
だが、それは間違いだったとわかっていた。
再び一人で山に引きこもったタクミが、以前の喧騒を懐かしんでいたことをヌルハチは知っていた。
「それでも、それでもヌルハチには、そうすることしかできんのだっ」
「それでいいわ。私もこうすることしかできないから」
「タクミしかいないのだな、ヌルハチも、レイアも……そしてアリスも」
それぞれの想いがあり、それぞれの道がある。
だけど、タクミが選ぶのはたった一本の道だ。
『ヌルハチはタクミを愛している』
大武会でタクミに告白したことを思い出す。
その時の、いつもと変わらない、のほほんとしたタクミの顔が浮かび。
それだけで完全になくなっていたはずの魔力が、身体の底から湧き出てくる。
ボロボロの身体でレイアの前に立つ。
精一杯の強がりでニヤリと笑う。
「やめたほうがいい。もう結末は変わらない」
「舐めるなよ、我が名はヌルハチ。ヌ族、ルシア領、第372代目ハシュタル家当主、大賢者チルトだっ」
たとえ、記憶が無くなっても。魔力がなくなっても。幼女のまま戻れなくなっても。
「タクミはヌルハチのものだ。おまえにはやらん」
集めた星海のカケラを一つにまとめて、手の平サイズの星を作り出す。
たった一つの小さな星にすべての想いを込める。
大賢者が唱える最後の魔法。
身体は崩壊しながらも。
最高の、至高の、孤高の星となって。
最短に、一直線に、まっすぐに。
レイアの胸に流星が放たれ、凄まじい爆音と共にそれが直撃した。