48.元帥着任式
その日、北州州都はどことなく浮き足立っていた。
住民たちが家屋から顔を出して不安そうに見守る先には、屈強な騎士たちが通りに沿うようにずらりと並んでいる。顔を強張らせ、一様に敬礼の姿勢をとったまま微動だにしない。待機中の大行列は、北州騎士団本部の敷地内から中央広場、大通りを経由して、汽車の駅まで延々と続く。
やがて、近づいてくる轟音と、耳をつんざくような汽笛が鳴り響く。
一人の男が、停車したばかりの汽車から降り立った。
青空の下、当然のような顔で左右の長い行列を見てから、ある方向に向けて迷わず歩き出す。前にいた案内役の騎士が動揺して逆方向を指さす。
「た、大将、こちらですッ」
「すぐ済む」
使い込まれた手袋がひらりと振られる。
年かさの男は濃紺の外套をひるがえして、敬礼する騎士たちの前を通り過ぎ――かつんと硬質な靴音を鳴らす。立ち止まったのは、他より頭二つ分以上低い少女の前。
鋭い目と硬い表情の男たちの中で、ただ一人、満面の笑みで堂々と立つ彼女に、男はゆっくりと敬礼を返した。
周囲が目をみはる中、男は言った。
「ご苦労であった、クウナ=アルコクト大将」
クウナは、にこっと人好きのする笑みを見せて。
「まだ中将ですよ、ワンリス元帥」
「私もまだ大将だよ、クー」
衆人環視の中、まったりと会話を交わす二人。クウナのすぐ右隣に立つウォルンフォラドのほうが余程そわそわしている。
さて、と前置きをして、ワンリスは複雑なしわを眉間と額に浮かべる。叱るような苦笑のような表情で、クウナの名を呼んだ。
「一度の報告もなしに、たった一人でこの騒動。虚偽の休暇取得申請、身分詐称と、越権行為および違反行為の数々。本当なら重度の懲罰ものだがな――」
ワンリスの慧眼が、クウナの黒い両目と合う。
「――お前は私のために動いてくれた。すべて、私が着任する土台を整えるための行動だった、と思うのは……私のうぬぼれではないよな?」
クウナは微笑んだまま、黙って膝を折る。忠誠の、最上位のポーズ。それを、目を細めて満足そうに見下ろすワンリス。
お咎めなしの結論に、ウォルンフォラドは長い息を吐いた。
***
「――本日より、スカラコット国北州騎士団本部の元帥を務める、ワンリスだ」
良く通る声がそう告げると、演習場を満たしたのは静寂。
突然現れた最高権力者を前にして、騎士たちに緊張が走る。
中央ならばここで歓声が上がるところだが、とワンリスは北州の活気のなさに、つまらなそうに眉を上げ。
「……まぁいい。これからに期待するとしよう」
さて、と背中で指を組みなおして、咳払いをひとつ。
「君たちのこれまでの状況と、先日の騒動については一通りの報告を受けている。拘留中の者については、この後の会議で最終的な処罰を決定する。また、負傷した武官の文官への転属申請や、退役希望者の処遇についても追って決めていくことになろう」
演習場の脇に生えた木から灰色の小鳥がさえずって、飛び立つ。微動だにしない群集の頭上を優雅にはばたいていく。影が落ちる。
「この結果はただの結果だ。だが、君たちが自ら選んで、自らの力で切り拓いた未来だ。そのことを忘れるな。すべての成果と、すべての責任は君たちにある。得たもののことと同じくらいに――騎士は、決して、失ったものを忘れてはならない」
その言葉の意味するところに、その重さに、群衆の中で誰かが息を呑んだ。
「その上で、誰よりも強くあらねばならない。民衆を守り、大切な人を守る。騎士であるということは、そういうことだと、私は思う」
元帥は言葉を切り、大きく息を吸った。
「黙祷ッ」
静寂が包んだ。冷たい風が吹き抜けていく。木々がざわざわと鳴った。
「一同、顔を上げたまえ」
皆が目を開けて、改めて正面を見る。
鋭いが澄んだ目をした年かさの男が、優しい笑顔を浮かべて立っている。
「だが、まずはおめでとう。――君たちは、ここまで生き残った」
囁くような元帥の言葉に、仲間を失った何人かが複雑な涙を浮かべ、その場で泣き崩れた。
***
飛び石を踏んで、黒髪の少女が墓石の前まで辿り着く。先に黙祷を終えた騎士が振り向き、クウナを見るなり慌てて敬礼して下がる。
少女は薄く微笑んで礼を言い、コートの裾を払って墓石の前にしゃがみこむ。指を伸ばし、冷たい棹石に刻まれた、文字の羅列に順番に触れていく。口から白い息が漏れ出る。持っていた花をそっと添える。
目を閉じて――それから随分長い時間、黙祷していた。
顔を上げると、隣にもちょうど同じタイミングで目を開けた、見知った青年がいた。
「トララードさん」
呼びかけに振り向いた青年は、クウナに軽い敬礼をしてから、帽子を押さえて、今度はしっかりと頭を下げた。ジャケットからタイの先が出て風に揺れる。
「貴女には本当に感謝しています。貴女がいなければ、ここまで生きておりません。私も、私の部下たちも」
「そんな、大げさだよ」
クウナは笑って手を振り、視線をついと滑らせて――真新しい名を刻んだ数多の墓標に向ける。
「守れなかった人も、たくさんいるし」
小さく呟けば、青年はそれ以上言葉を重ねてくることはなく、ただ少女の横に立って同じように墓標を眺め、しっかりとうなずく。
***
本部に戻ったクウナは、自身の執務室に山積みにされていた木箱に目を丸くした。
「なにこれ?」
箱を積み上げていた部下の一人が敬礼する。
「大将、お疲れさまですッ。上官の承認が必要なので、移管先の確認をお願いします」
「はい。で、これ何?」
「戦没者の遺品です」
「……そう」
「焼却処分するものと、騎士団の資産にするものと、遺族に送り返すものとに仕分けてありますッ」
「ふーん……」
何の気なしに一番上の本を手に取る。青い表紙に茶色い唐草模様が施された装丁の本を、クウナの手がぱらぱらとめくる。10年以上前の文学作品だ。
「敷地内に図書室でも作ろうか。……って、これ」
本の間に挟まっていた紙を引き抜く。絵が出てくる。簡素な、家族用の肖像画。牧草地を背景にして笑い合う、どこかで見た顔の面影をよく残した、あどけない男の子たち――三つならんだ同じ顔。そして、彼らより少し背の低い女の子。
「これは返さなくっちゃあ……」
何の気なしに裏返して、固まる。
そこには殴り書きのような字が並んでいた。
Lognel
Helnel、Died at 21
Elgel、Died at 6
Selene
「――……」
「あの、大将?」
「……ちょっと、時間かけて見てもいいかな。知り合いのものなんだ」
クウナの強ばった声に、文官ははっとなって頭を下げ、
「あとで受け取りに参ります」
と言い置いて退室する。
しばらくじっとしていたクウナは、似た色の青インクを引き出しから取り出して、黄ばんだ紙の上にペン先を滑らせる。一行目の末尾に追記する。
――Died at 22
「……必ず、送り届けますから」
開けっぱなしの窓から、塀の上にどこまでも広がる青空を見上げて噛みしめるように呟く。




