47.ベッドサイド
クウナが再び目を開けたとき、目の前には、相変わらずの気難しい顔をした老婆がいた。
「まったくなんだい、急にでっかい男どもが押しかけてきて、担ぎ込まれて来てみりゃあ、あんたは死にかけてるわ。てっきりあんたと心中する運命かと思ったら、このでかい奴らに助けてくれと泣きつかれるわ……」
クウナは半笑いのまま、枕元に集まる部下たちを見て。
「……ていうか私、北の子たちを診せてって頼んだんだけど……いって」
「何言ってんだ、アンタが一番死にかけだったくせに」
老婆からかばうように、一番近くにいた部下にぎゅっと抱きすくめられる。
「中将を殴らないでくださいっ」
「カロのほうが痛いってば」
クウナは懐かしいなぁと苦笑して、包帯だらけの左手を伸ばして部下のたくましい肩をぺしぺしと叩く。
「も、申し訳ありませんッ」
カロははっとなって真っ赤になってとびすさって、震えながら頭を下げる。周囲にどっと笑いが広がる。
「しばらくは大忙しだな」
久しぶりの光景に微笑んで、コモが肩をすくめた。
老婆がすっくと立ち上がり声を張り上げる。
「ほぅら! 患者が気ぃ付いたんだからもういいだろう、お前ら仕事にもどれ!」
全員の尻を蹴り飛ばして医務室から追い出した。やれやれ、と丸まった腰をたたきながら、老婆は報告に行くと言って廊下へと消える。それを手を振って見送った直後、小さなノックが鳴ったあと、返事を待たずに扉が開いて、
「お、起きたか」
金髪の男性が顔をのぞかせた。
「ウォンちゃん!」
「よう、具合は?」
「見てのとおり。聞いてるとおり」
これまでに何度か分からないくらい見舞ったり見舞われたりしている仲だし、立場上報告は届いてるはずなので、全てを省略してクウナはそう答えた。
「よし、上々。お医者様は?」
「報告に行くって、ついさっき出てったけど」
「入れ違いだな。じゃあ、ほら」
ばさりと音を立てて、紙束がクウナのベッドに置かれた。クウナは手を伸ばしてそれを持ち上げ、真新しいインクのにおいを嗅いで、それが何であるかに気づく。
「ありがと」
「おう」
一枚目をめくって、びっしりと並ぶ文字列に目を落とす。しばらく、クウナが紙をめくる音だけが室内に響く。
最後まで目を通し終えたクウナが一息ついて顔を上げると、至近距離にしわだらけの丸顔。
「おばあ」
「あ、失礼してま――うぐ?!」
クウナのベッドサイドに腰掛けていたウォルンフォラドが、挨拶の途中で寄声を上げてずり落ちていった。クウナがのぞきこむと、床にしゃがみこんで俯いたウォルンフォラドが、両手で膝頭を押さえているのが見えた。右巻きのつむじが細かく震えている。
ふん、と老婆が、手に持っていた膿盆をサイドテーブルに置いた。ところどころが凹んだ金属の皿は、間抜けな音を立てて左右に揺れる。
「起きたばっかの貧血の患者に、なんてもの見せてんだい」
「ああいやこれは、えっとね……前の戦が終わった直後に私が」
目を泳がせたクウナが、包帯の巻かれた指で頬を掻く。
ばっと顔を上げてウォルンフォラドが言い募る。
「そうだ、叱ってやってくださいよ――コイツ、目ぇ覚ました深夜2時過ぎに医務室抜け出して、折れた両足ひきずって別の建屋にある自分の執務室まで這って行って、自分の隊の帰還記録全部読んで、その場で失神だか寝たんだかで? まぁその場所がソファの裏側だったもんで翌日の昼過ぎまで発見されず、基地の全敷地だけじゃなく城下町の店やら王城の中のよく行く場所やら、非番の奴らまで出てきて大所帯で臨時の捜索隊結成して、朝からもう、大騒ぎ」
「………………」
ウォルンフォラドの説明を唖然と聞いていた老婆の首が、患者張本人の枕元に向けてぐるりと回る。同じ速度で、クウナの顔も逃げるように逸らされる。
「いててっ」
しわだらけの手がクウナの左耳を引っぱった。
「……その、頓狂なとこか、頑固なとこか、どこでもいいからちょっとくらいは外見に反映しといてくれないかね」
「お、それって、外見は貞淑なお嬢さんっていう評価をいただけたってことでいい?」
「ポジティブもここまでくると、絶望的にタチが悪いね」
呆れ顔で呟く老婆。とうの昔に諦めているウォルンフォラドがクウナのベッドを軋ませて座り、長い足を組んだ。
「まぁ、なに……すぐに慣れますよ」
青年は老婆から同情の視線をもらう。
ふと、窓の外の時計塔に目をやり、青年が慌てて立ち上がった。
「話してるとあっという間だな。悪いけど俺はこれで。仕事終わりにまた寄るよ。クー、何か食べたいものは?」
食堂に寄ってから執務に戻ると言う、気の利いた同僚に遠慮なくリクエストを伝えて、両手を振って見送った。
そっと扉が閉まり、足音がゆっくりと遠ざかる。
薬棚の整理を始めた老婆が、クウナに背を向けたまま言った。
「あんたの気持ちも、分からんでもないがね」
クウナは顔を上げて老婆の背中を見た。手首に巻かれた包帯をずらし、かゆくなってきた治りかけの傷を掻いていた手を止める。
「全員の生死や負傷を確認して、それを受け止めて、見舞ってくれる皆と同じ気持ちを背負ってからじゃないと、誰ともまともに話もできない。大方そんなとこだろ」
「……私の他にも、そんな人がいたの?」
「大概は、抱えきれずに心が折れるもんだよ」
それを繰り返すうちに動けなくなり、戦場で使い物にならなくなって退役処分になる、優しすぎる騎士を、老婆は何人も見てきた。
この少女がそれを耐え抜いているのは、若さゆえの柔軟な適応性か、あるいは――
「心配する者たちのことも考えてやったらどうだい、あんたに何かあったら後追いそうな奴だってたくさんいるんだから。勝算の低い賭けに飛び込んでく前に、少しは思いとどまったりというのはないのかい」
クウナは表情を変えず、はっきりとした声で「しょうがない」と言い切った。作業の手を止めて振り返りじろりと睨んでくる老婆に、ずっと前から確定していることのように言う。
「私、ええかっこしいなんだよ。――みんなのこと、大好きなんだ」
晴れやかな笑顔とともに告げられた臆面のないこっ恥ずかしい言葉に、老婆は長いため息をついて窓のほうを向く。
「知っとるよ」
初めて会った日、おぶわれて帰りながら見た、夕暮れの空の赤さを思い出す。互いに名乗りもしないのに、いつのまにか言いくるめられた老婆は騎士の背中で揺られていた。どうしようもない腰の痛みから苛立っていた老婆は悪態をつき続け、騎士はそれを笑って流しては軽口を叩いて、結果的にそれが痛みを多少なりとも紛らわせた。
そのことに気づいたのは、騎士が去って数日後のことだったけれど。
老婆にも分かっている。
結局は、クウナの言う「みんな」の範疇が、人よりも格段に広いというだけなのだ。
亡き旦那がいつだかぼやいていた言葉が、不意に鮮明に甦る。
――人様の生きざまにケチつけられるほど、永くは生きてねぇってのになあ
日常に追われ聞き流した言葉だ。
じわりとわきあがる惜別の念を振り払うかのように、老婆の手が勢いよく水桶の蓋を開けた。
「茶でも飲むかい」
「うん、わーい」
力なきただの老婆には願うことしかできない。
ただ、この子が選び抜いた道程に――あらん限りの平穏と幸運がありますようにと。
***
「失礼します。療養中に申し訳ありません」
そう言って、中央州からやって来たばかりの憲兵の男はクウナの病室に顔をのぞかせた。数人の部下たちがぞろぞろと続いて入室してくるのに、クウナはにこやかに歓迎の言葉を返す。
「去年ぶりだね。元気だった?」
憲兵の男は、クウナの包帯に包まれた両腕を、めがねの向こうからじっと眺めてから、肩をすくめて答える。
「貴女ほど元気ではありませんが、まぁつつがなく」
「あはは。ちょうどいいや、私も聞きたいことがあったんだ」
「なんなりと」
目を伏せかたわらの椅子に腰を下ろした男に、クウナは上体を向けて尋ねた。
「上官たちの処分はどうなったの」
「はい。それがですね、細かい証言が食い違っており、証拠も少なく、罪状の特定が難航しておりまして……」
困り果てた顔で頭を掻くめがねの男をじっと見つめてしばらく考えていたクウナが、ややあってから指示を出す。
「私が知っていることはあとで全部書き出しておくから、二日後にまた来て。その間に――文官のトララード中佐、C班のダフォン軍曹、F班のペヘル二等兵、それから彼らが指名した人員に話を聞いて。それと、ドックラー=ファステルハインツ使節団副団長に預けてある封書に色々書き留めておいたから、それも参考に」
「はい、ただちに。ご協力感謝します」
男は頭を下げ、左手をひらりと振る。後ろに控えていた数人の部下が深々と一礼して、
「いくぞッ」
と言って、部屋を出て駆け出していく。
入れ違いのようにウォルンフォラドが部屋に入ってくる。
「騒々しいな。何かあったのか?」
クウナが答える。
「ううん、ただの後片付け」
憲兵の男がそのやりとりに入口を振り返り、ウォルンフォラドを見とめると立ち上がって握手を交わす。
「そちらの用件は?」
クウナが聞くと、男はめがねの位置を直しながらクウナを見る。
「アルコクト中将、少々込み入った話となりますが」
クウナはすぐにうなずいた。
「うん、彼も同席して平気」
「そうですか。では、」
椅子に座り直した憲兵の男は隊服の下から、黒皮の分厚い手帳を取り出して開いた。
「先ほどの件と並行して、今回貴女を巻き込んだ一連の騒動についての原因追及を行っております。アルコクト中将、貴女がここ北州に着任された際の書類伝達の過程でスペルミスを起こした文官および通信士複数名、それから、貴女が来訪された初日の正門の門番および照合官。彼らの名は全員既に我々憲兵が把握済みです。貴女からの事実確認を終えた上で、しかるべき処置を」
「でもさ、それ、一番の原因は、私が名乗らなかったからだよねぇ」
クウナのあっけらかんとした一言に、憲兵とウォルンフォラドが唖然として固まった。
「あのとき、私が誤解です、って言えば済むことだったのに、私はわざと黙ってた。だから、彼らに非はないよ」
憲兵の男の手が手帳のページを何枚か繰る。
「貴女は隊服を着用し、顔が見える状態で、身分証明証を提示したのだと聞いております。それで判別できなかったのは、明らかに彼らのミスかと」
「偶然が重なっただけだってばー。伝達上のスペルミスなんかよくあることでしょ。隊服は着てたけどその上に私物のコート着てたし、私の綴りって、北州訛りが加わると結構変わるんだよ」
クウナが老婆を手招きで呼び寄せ、実際に発音してもらう。
「ほらね? これで分かると思う?」
満面の笑みでベッドから見上げてくる少女に、男二人は神妙な顔で腕を組んで顔をしかめた。
「だからやっぱり、これは私が言い出さなかったからであってね」
「いや、お前の場合は……おまえ自身がそうだと言ったところで、信じてもらえたかどうか怪しいぞ?」
「じゃあ余計、彼らのせいじゃないじゃない。紛らわしい私のせいでもあるってことでしょ?」
ウォルンフォラドは額に手を置いて天井をあおいだ。
「あのなぁクー、組織内の規律ってのはそういうもんじゃ」
ふ、と憲兵の男が表情を緩める。
「まあいいでしょう。他ならぬ中将殿がそうおっしゃるのであれば、その方向で今一度、検討してみましょう」
「ありがとう!」
「おいおい、いいのか?」
憲兵としての彼自身の立場を心配するウォルンフォラドに、男は飄々と肩をすくめる。
「被害者が被害だと思っていないのであれば、おそらく被害ではないのでしょう。そうでなくともこの基地に所属する人員は二割以上が処罰の対象です、憲兵としても、無駄に処罰を増やしたくはありませんし」
「……まぁな」
「それに、この騎士団内で、中将殿の意に背いても得することなど何もありませんし」
「それが主目的とは言わないよな。はー、お前も丸くなったなぁ」
答えず意味深に笑った憲兵の男は、では失礼します、と椅子から立ち上がった。朝10時の鐘にあわせて老婆が持ってきた茶を丁重に断って出口に向かう。それをウォルンフォラドが呼び止めた。
「あ。なぁ、コイツ自身の独断先行についてのお咎めは?」
「その件は、私では判断できかねますので――後日、改めて」
憲兵は一礼して部屋を去っていった。息を吐いてベッドサイドに腰かけたウォルンフォラドは、クウナの鼻先に指をつきつけた。
「いいか、クー。憲兵からの結果がどうあれ、この件、俺はお前のことを許してなんかないからな」
頬を膨らませそっぽを向くクウナ。
「別にウォンちゃんに許してもらわなくったっていいもーん」
「お前……」
びきりと青筋を立てるウォルンフォラド。
「なんてね、嘘、嘘、心配かけてごめんね。助けてくれてありがとう、ウォンちゃん」
「……何て言おうと、今回ばかりは絆されないからな」
「わかってるよ。さてと――」
ひとつ伸びをしたクウナがサイドテーブルのペンと紙に手を伸ばそうとしたところで、
「何してんだい」
と老婆が低い声を出す。同時にノックの音が鳴る。そっと開いた扉から、見知らぬ文官の少年がおずおずと顔を出した。
「し、失礼します、そのぅ」
「憲兵の方に、紙とペンを持ってこちらに来るようにとうかがいました」
別の少年が彼の頭の上から顔を出し、扉を大きく押し開けた。
「ほら、早く入れよ」
手前でおろおろする少年を蹴り入れる。
「うわあ、失礼しますっ」
クウナは、満面の笑みを浮かべて二人の文官を迎え入れた。
「口述速記の子たちだよね? 助かるー。気ぃ利くなぁ、今ちょうどおばあに怒られたところでさ」
「当たり前だよ、書類仕事なんて治ってから存分にやりゃいいのさ」
「いやでも、一ヶ月前の記憶だし、結構多いし、細部忘れちゃうってこともあるだろうし?」
老婆はこれみよがしの大きなため息をついて、
「昼までだよ」
腰を叩きながら奥の部屋に消えた。
「はーい。あ、悪いけどそこの机引っぱってきて、椅子はそこらへんの使っていいから」
「は、はい、失礼します」
「ああ、俺が運ぼう」
ウォルンフォラドが腰を上げて机を持つと、少年二人は恐縮しきった顔でぶるぶると首を振った。
「いえっ、そんなっ」
少年たちがおろおろしている間に手早く机と椅子を並べたウォルンフォラドが二人を座らせ、目を閉じたクウナがべらべらと話し始める。二人は慌てて机に噛り付いて筆記を始めた。
それからたっぷり二時間後。
「――と、まぁ大枠はこんなところかな。……ん?」
組んだ足の上で頬杖をついたウォルンフォラドがじぃっとクウナを眺めている。
「……お前、その量どうやって覚えてた」
「普通に」
「どっかに書いておいたとか」
クウナは首を振った。ドックラーに渡した書き置きの分はもう覚えていない。今の暗唱の中には含まれていない。
「あの状況で、二等兵の私物からそんなものが見つかったら、どうなっちゃうと思う?」
「……」
「はー、でもこれでスッキリしたー」
今日は良く眠れそう、と晴れやかな顔で言うクウナに、そりゃそうだろうな、とウォルンフォラドが返す。
分厚い紙束を束え終えた文官の少年たちが、並んで戸口で一礼する。
「整理して、明日また伺います」
「うん、よろしくー」
「はい。失礼しました……って、おい?」
「先戻ってろ」
と片割れに言い置いて、文官の片方がつかつかとクウナの近くまで戻ってくる。
「中将殿、失礼ですが、このあとのご予定はございますか」
「ううん、ご飯食べて寝るだけ」
「執務とは関係のないことですが、少々うかがってもよろしいですか」
「いいよ、何?」
少年はクウナの目をじっと見たあと、薄汚れたタイの先を握りしめ、床を見つめて目を細める。
「……あのとき、トララード中佐に指揮を託されたのは、なぜですか」
少年の薄い肩が震えていることに気づいたクウナとウォルンフォラドは、黙って目を見合わせてから。
「ちょうどいいとこにいたから?」
「……もう少し丁寧に答えてやりなさい、クー」
不思議そうに顔を向けてくる言葉足らずの少女の説明を、年上の青年が補足する。
「戦術論についての造詣が深く、あの場の大多数を占めていた北の騎士たちの力量についても明るい彼が、全陣形を見渡せる位置に居たから、彼に全体の指揮を任せ、自分は自部隊を率いて敵陣に斬り込むことに全力を注ぐ。有用な人材を有効に使って、争いが無益に長引く前に敵を制圧する。――ってことだろう?」
「そうそれ」
「ったく」
変なところで謙虚になるよなぁ、と、いつものことだが自らの功績について積極的に口にしたがらない同僚の少女の頭を見下ろすウォルンフォラド。
意を決したように、文官の少年が浅く息を吸う音が聞こえた。
「――それは、なぜですか」
「ん?」
「武官用の講義内容だけでは、あの方の造詣の深さがあれほどであると、分かるはずもありません。まして、それだけでいきなりあれほどの重要な戦いの全権を任せるなんて……あの方独自の戦術論は、講義では一切扱わない。それなのに、どうして」
クウナの黒い瞳が丸くなる。
「あれ? もしかして、文官のみんなには浸透してるの? あの、トララードさんの戦術」
ぎくりと少年が身をすくませる。
すかさずウォルンフォラドが視線でクウナをたしなめ、
「あはは、ごめん。驚かせた」
と、クウナが笑って手を振る。
「前に少しね、教えてもらったんだよ、トララードさんに。彼の思想と、理念と、目指すもの――そして、そのために彼が持っている手札を」
「そんなわけ……だって、貴女は……一体、何して」
目を見開いたまま呆然と言う少年を眺め、クウナは目を細める。
「例え殺されたって武官には口外しないと、しないようにと、彼が言った?」
青ざめたまま、少年がうなずく。不穏な話にウォルンフォラドが表情を引き締める。
クウナは納得したように、感心したように幾度もうなずいた。
「なるほどね。そりゃそうか。それでも――何があろうとも、おそらく文官一人くらいは生き残る。彼の意志は引き継がれる。そんなところかな。すごいね」
「勝手に納得するなよ、何の話だ」
すねたように言うウォルンフォラドに笑顔のクウナが答える。
「北州騎士団本部の文官は、想像以上に頑強で屈強で、とんでもないって話だよ。うん、今度、武官への講義と、戦術叢書に加える資料の編纂、分担してお願いするからよろしくね」
ウォルンフォラドもうなずく。
「ああ、あの戦術は俺も詳しく教わりたい。部下にも聞かせたいな」
「でも、正直な話、あの指揮と増援の手際は想像以上だったよ」
「あの人そのうち、中央からの引き抜きとか、声かかりそうだよな」
クウナとウォルンフォラドのやりとりに戸惑いまくる少年にクウナが言う。
「安心して。別に脅して聞き出したわけじゃないよ。トララードさんに聞いてみたらいい。あ、ねぇ、キミは予算分配明細表読める?」
聡い少年はそれだけではっとなる。
「……なるほど。あれを見て、気づいたんですか」
「うん」
少女はベッドから身を乗り出し、少年に右手を差し出した。
「約束するよ、キミの心配を杞憂にすると。今まで、彼の周りには、彼を正当に評価できない人が多すぎたよね。私から皆によく言い含めておくよ。それでも、もしトララードさんや文官の皆に何かあったら、いつでも私に直接教えて欲しい。頼めるかな」
少年は最初の質問のときと同じくらい険しい目つきになり、黙したままその手を握り返した。
手を離した少年は、しばらく二人を交互に見つめ、ゆっくりと右手を持ち上げて敬礼のポーズをとる。
「ん? 合格?」
けらけら笑いながらクウナが聞いた。
少年は平然としたクウナの態度に目を見開き、右手を下ろして頭を下げ――腰を直角まで折り曲げた。
「生意気なことを申し上げて、失礼いたしました」
「ううん、ご意見ありがとう。また聞かせてね」
「……はい」
少年はほっとしたようにわずかに表情をゆるめ、失礼します、と言い置いて、部屋から駆け出していった。
閉じた扉のほうを向いて、ウォルンフォラドが目を細めて言う。
「いい部下だな」
「愛されてるねぇトララードくん」
いいなぁ、と言いながらけらけら笑うクウナに、ウォルンフォラドが視線を向けて。
「それにしても、トララード中佐は文官のトップ2だろ、お前、二等兵でよくそこまで話す機会があったな」
「ああまぁ色々とね」
「……おい?」
そっぽを向くクウナの頭を上からがっしりとつかみ。
「うん?」
「……全部話せ」
とんでもなく低い声でウォルンフォラドが言った。
***
医務室の前が急に騒がしくなったかと思うと、警備兵を押しのけて若い騎士が飛び込んできた。
「お、おい!」
「そいつを取り押さえろ!」
若い騎士はクウナを見つけるなり血走った目で駆け寄ってくる。その腕が少女の細い首に触れる直前、
「カロ」
少女の言葉とほぼ同時、ベッドの脇に控えていたカロが、目にも留まらぬ速さで若い騎士を取り押さえ、床に叩きつけた。
「てめぇ、放せ!!」
もがく騎士を見て、あぁ、とクウナが悲しげに眉を下げる。
「……だから、カロ、いらないって言ったのに。離したげて」
「いえ、そういうわけには参りません。オイ、相応の処分は覚悟しているな?」
カロの脅しを無視して、身をよじった騎士はキッとクウナを睨みつけ、
「――俺はお前を一生許さない!!」
廊下まで響き渡る怒声を発した。
「あんたが無茶を言い出さなければあいつは死ななかった! あんたの行動が若い奴らを無駄死にさせた! 何が平和だ! なにが英雄だ! おい、わかってんだろうな、いい気になるなよ!」
激昂する青年の表情をクウナは正面から見つめて、うなずく。
「……うん。わかってるよ。私の力量不足だ。私は全員を守れなかった」
寂しそうにぽつりと、呟くように答えると、クウナはゆっくりと――頭を下げた。
場がしんと静まる。
「……なんだそれ、そんなこと、しても」
呟きかけた言葉を切り、若い騎士は奥歯をぎりりと噛み締める。カロが手を離すと、騎士はゆっくりと立ち上がって背を向ける。周囲からの制止の声を無視して医務室を去っていく。
「中将、」
窓側の椅子に座っていた憲兵が、足を組み替えてから、咎めるような鋭い視線を病床に向ける。
「そのような態度は、貴女が間違いを認めるということに他ならない。もっと上官らしく、毅然と――」
「違うよ、事実を認めただけ」
少女はぽつりと言って、足早に去っていく青年の背を窓の外に見つけて、それをじっと見つめる。
「きっと、あの子も分かってるよ」
小さく、寂しそうに言った。
確かに、あの場では、誰がいつ死んでもおかしくない状況だった。だけど、決定打はクウナの動きだ。あのときクウナが動かなければ、少なくともあの瞬間にあの人命が失われることはなかったかも知れない。それだけは、まごうことなき、確固たる事実だ。
だから、だからこそ、彼もクウナも他の皆も、ただ溜飲が下がらないだけだ。割りきれないだけだ。
そんなこと、割りきれなくって当たり前だけど。
***
「退院おめでとうございます、クー中将!」
号泣しながら花束を差し出してくるカロに、礼の言葉と苦笑を返すクウナ。
「大げさだなぁ。退院って言っても、騎士団の医務室だよ?」
「いえ! おおおお元気になられて、俺、俺……!」
「あーもういいよカロ、お前黙ってろ」
めんどくせぇ、と数人がかりで脇に押しのけられる不憫な青年。
ウォルンフォラドが、あっち、と親指で部屋の一角をさす。
「まずあっち行ってやれ。あいつら、病室の定員オーバーで少将・大佐らに閉め出し食らって、ずっとそこらじゅうウロウロしてたんだぜ」
うん、とうなずいたクウナは、年の近い部下たちの集まるところに、両手を広げて飛び込んでいく。
「ただいまー!」
「たくー、心配しましたよ!」
「無理にでも付いてけばよかった!」
みなクウナより頭一つ分高い、一回り以上年上の忠実な部下たちが一斉に群がって、かわるがわるクウナの頭をぐりぐりやる。彼らよりも数歳年上の、病室に見舞いに行っていた者たちが、その様子を眺めてほっとしたように表情を緩めた。
「しかし、またとんでもないところに一人で飛び込まみましたよね。さすがの中将も色々大変だったんでしょ?」
「うん、ここじゃ話しきれないほど色々あったよー。ねぇリュデくん」
「……あ、」
騒ぎのすぐ近くに、いつの間にかリュデ少将が立っていた。
「お前、」
戦地以外では珍しく剣呑なウォルンフォラドの目がリュデに向けられる。かつかつと靴音を鳴らして数歩詰め寄って長身二人が向かい合う。ウォルンフォラドが険のある声で言った。
「そういえば、お前の査定書、今年はずいぶん略式に書き変えたってな。ハイスが嘆いてたぞ」
リュデが口を開く前に、クウナが額を押さえて言った。
「あちゃー、よりによってハイスだったかぁ」
長ったらしい正常句をこの上なく好む様式主義の変わり者だ、そりゃ嘆きもするだろう。担当査定士がハイスじゃなければ話題にもならずに済んだのに。
「やっぱお前だな。てことは――」
ウォルンフォラドがリュデに掴みかかった。
「クウナの顔も知ってたな! 知ってて、この一ヶ月、何もしなかったのか……!」
突然の怒声が本棟中に響き渡る。周囲にいた若い騎士が一斉に竦みあがってこちらを見た。
顔を上気させたウォルンフォラドを、リュデの冷静な目が見返す。
二人の剣幕をものともしないクウナは、けらけらと笑いながらウォルンフォラドの肩に手を置いた。
「まぁまあ、いいじゃん私が勝手したんだし」
「普通その場にいたら、止めるだろ! なに考えてんだ」
リュデは襟ぐりを掴まれたまま、静かにクウナを見た。
「止める必要が?」
「ないね。黙っててくれて、どうもありがとう」
「……わけわかんねぇ!」
ウォルンフォラドは納まらない怒りのまま、リュデを突き飛ばすように放した。てきぱきと襟首を直すリュデの変わらない表情を不満そうに睨みつけ、
「言っとくけど、お前の転属でクーを恨んでるなら的外れだぞ」
「何の話ですか」
すぐさま返される生意気な言葉に、ウォルンフォラドはかちんときた。
「あのなあ! コイツは配備計画会議でお前を引き受けるって、わざわざ挙手したんだぜ! けど、お前が怒らしたあの大将サンがどうしても認めずに、勝手に北州への転属を決めやがったんだ」
「へぇ」
リュデの感心薄そうな返事。
ああもうコイツにゃなに言ってもムダだ、とようやくウォルンフォラドが悟ったとき、
「あ、呼んでる。――行くよリュデくん」
軽く言って、クウナはさっさと駆け出す。
リュデも短い返事とともにあとを追う。
それを見送って、
「……なんであの二人はああなんだ」
釈然としない、と煮え切らない怒りを腹の底に溜め込んだまま、ウォルンフォラドが力なく呟いた。




