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Hard Days' Knights  作者: 里崎
改革編
47/73

46.再戦(後編)

挿絵(By みてみん)


北州騎士団本部の全騎士。そして、到着したばかりの中央州騎士団本部の選りすぐりの五部隊。

全ての騎士が、中央演習場に集まりつつあった。


***


「ごめんね遅くなった!」

大所帯を引き連れたクウナが、前線で応戦していたウォルンフォラドの隣に駆け込んでくる。遠方で指示をとばすリュデの横顔を見つけて頬をゆるめた。

ウォルンフォラドはさりげなくクウナの耳元に寄ったかと思うと、唇を動かさずに素早く囁く。

「あまりはしゃぐな、止血と固定しただけなんだから……」

「血が止まれば十分だよ」

ついさっきまで、血だまりの中で死んだように伏せていた人間の言葉とは思えない。酷い言い分に呆れて、

「お前ね、」

と、つい状況を忘れて、いつものつっこみを入れる。

「そりゃ、さっきはちょっとムチャな単独行動だと自分でも思ったけど、今度は指揮だし大丈夫」

大きくうなずくクウナに、ウォルンフォラドがぎょっとなる。

「は? お前、兵率いてなかったの?」

クウナは答えずに、振り返って背後を見回し、息を大きく吸った。

「北のみんなは中央の後援。A班からM班までは私が指示を出す。N班からZ班は、こっち、ウォルンフォラド=トーミス中将の指揮下に入って」

クウナの左手がウォルンフォラドの胸を叩いて示し、突然の英雄の名前にどよめきが上がった。

ウォルンフォラドは照れたように頬を掻いてから、切り替えて指示を飛ばす。


***


「ようやく出てきたか……」

忌々しい少女の姿を敵陣の中央に捉え、武装したトゥイジは憎悪をあらわにする。固まりつつある互いの陣形を鋭い目で眺めながら、控えている伝令を見もせずに問うた。

「部隊長は揃ったか?」

会合室から行動を共にしていた伝令が、本棟からの移動中に負傷した者を抜いて主要な将を確認し――

「リュデ少将の姿がありません、が……」

「なに?」

言葉数は少なく忠誠心のほどは不明だが、有事の際にはいつも真っ先に待機している優秀な男の不在に、トゥイジは思わず目を見開く。

「トゥ、トゥイジ元帥、あちらに……」

動揺しきった部下の声に示されるまま、トゥイジは前方を見た。

部下たちを配置につかせた長身の青髪が、指示をあおぎにウォルンフォラドとクウナの背後に歩み寄る。

対面に立つ見覚えのあるその姿に、トゥイジは激昂してまくし立てる。

「おい! 何をしている――リュデ少将!」

リュデはちらりとトゥイジに目を向け、相変わらずの無表情のまま、なにやら口を開いてウォルンフォラドとクウナに告げていた。

ギーンが早々に見切りをつけ、トゥイジの元に歩み寄り進言する。

「所詮、未だ中央の人間だったということです。問題はありませんよ。先ほどのアルコクト中将と足掻き同じことです。あいつの一人の剣など。あいつに付いていく者は、そう多くはない」

ギーンは示すように演習場を見回す。彼の視線を辿り同じものを見つけたトゥイジは、そうだな、と呟き、底意地の悪い笑みを見せた。

中央付近の曖昧な位置に集まっているのは、リュデの率いる部隊の大部分。

その彼らに向けて、トゥイジは声を張り上げた。

「見ろ。リュデ少将は我らが北州を裏切ったのだ! この基地を力づくで乗っ取らんとする、横暴な、中央州の侵略者だ!」

トゥイジの剣幕に、騎士たちは向かいの群集を見た。既に剣を抜き構えている、見知らぬ、だが眼光鋭い騎士たちと、その間に不安そうな顔をして立っている後輩たち。

ギーンが自部隊に告げた。

「見てみろ、若い兵を人質にとられた! だが、我ら北州騎士団は、このような卑劣な侵略には、決して屈しない!」

おおお、と地鳴りのような歓声が上がる。士気の上がってゆく軍勢を冷静な目で見つつ、その対面のリュデは表情を変えずに右手を挙げ、再度、整列の号令をかけた。淀みない、いつもの指示に、隊は――揺れた。迷ったようにリュデと、ウォルンフォラドたち中央州騎士団と、それから若手たちを見比べる。

トゥイジが口角をあげた。

「この私に楯突くか?! ――いいだろう」

リュデは静かに事態を見守る。その横顔を、クウナはじっと見ていた。決して浮かんでこない、見えない、彼の悲しみと苦悩を、噛み締めた。

「リュデくん、」

ささやくような声に、切れ長の目がついと動いて少女の顔で止まる。中将からの指示を待つ、従順な青年のまなざしに、クウナは言った。

「右隊をウォンちゃんに、左隊を私に。それで、リュデくんには私の右側を任せる」

言って、クウナは動かない右腕を示して見せた。それは、部隊の指揮権を取り上げるという、騎士団上官にとっては屈辱的な、汚名極まりない指示。

だが、リュデは表情を変えることなく、すぐに承諾した。なおも戸惑ったままの自部隊に指示を出すと、その後の動きを気にすることなく、さっさとクウナの右側に移動する。

「よく、見てて」

「はい」

一歩踏み出したクウナは腰の剣を抜いた。さっきカロから受け取ったばかりの愛剣だ。磨きぬかれた最高質の刃先は、寒空の光を鮮やかに照り返す。

「久しぶり」

なじみきった感触の柄に優しく声をかけ、鍔の金具に小さなキスを贈る。

「やっぱこの子じゃなきゃ」

ゆっくりと息を吐きつつ、クウナは剣を正眼に構えた。

あくまで好戦的な眼前の部隊の、中央にいる血まみれの少女の剣先がまっすぐ自分に向けられているのに、トゥイジが皮肉げに頬を上げた。

「一つ覚えか。また斬り捨てられたいのか。お前の太刀など底が知れておる、さっきの一戦で学習しなかったのか」

勝ち誇ったようなその言葉に、ウォルンフォラドは相変わらず冷静な表情のまま、後頭部に手を当てる。

「なぁんか誤解があるんだよなぁ……ああそうか、二等兵のフリしてたんだったか」

不思議そうな顔をしたウォルンフォラドは、煮えきれないといった表情で呟く。

「あいつは個人騎士じゃなくって部隊長。中央州騎士団本部イチの慎重派と謳われる戦略会議が満場一致で欲しがって、異例の昇格で闇雲に階級ぶっ飛ばして、あの若人を中将にまで引き上げざるを得なかったのには理由がある。――あいつの才能は、個人の剣技ももちろんだけど、むしろ、一団を率いて先陣に立ったときにこそ、際立つ」

空恐ろしいほどに。


***


バン、と扉が開く。いつもは必須の挨拶を省略して、数人の文官が転がるように駆け込んでくる。

その狭い部屋には、既にほとんどの文官が集まりつつあった。

彼らの視線を集めるのは、窓際に立つ青年――トララード。カーテンの揺れるわずかな隙間から、急ごしらえの不恰好に展開する陣形を睨むように見下ろしている。

先頭に立ち颯爽と指揮を執る、見知らぬ青年と、その横に、良く見知った黒髪の新人。

「あの子が……」

迷いなく飛ばす指示は、トララードが思う最適解とほぼ同一。みるみるうちに敵陣の陣形を崩していく。

あれほどまでに部隊を有効に使える(・・・・・・)人間を、トララードはこの基地で未だ見たことがない。ましてや、彼女が指揮を取っているのは、半数以上が実践を知らぬ新人騎士が占める、急造の部隊だ。だが、到底そうは思えない動きを見せている。指示を出す人間が集団内の実力差の程度を正確に熟知している、何よりの証拠に他ならない。

トララードは薄い唇を引き結ぶと、一番足の速い伝令を近くに呼び寄せた。

「キューナ=ルコックド二等兵、彼女に伝えて欲しいことがある。だが、これは正式な任務ではないし、武官は出払っていて護衛も付けられない、だが、」

「割り込みます」

慇懃無礼な声が告げ、全員の視線がその声の主に集まった。

窓近くの黒い柱に寄りかかっていたその少年は、腕組みをしたまま片手を上げている。

「緊急事態でしょ。そんな御託いらないから、どうせ文官全員あんたについてくから、結論言ってくださいよ。――トララードさんは、あの上官どもを裏切って、中央州と下っ端たちのほうにつくんすよね?」

よもやと危惧していたことをはっきりと明言されて、気弱な文官たちが息を呑んだ。

階下の様子から目を離すことなく目を凝らしていたトララードは、黒髪の少女が出した的確な指示に、ふと表情を緩める。

「……なんだ、全布陣、覚えてるじゃないか」

そう呟いてから、部屋の中にいる全員に向けて、「ああ」と答えた。

「私たちは弱い。この騒動では必ず犠牲が出る。だから、この戦いに参加するかどうかは強制できない。だが、信じて欲しい、戦況は必ず向いてくる。それに、何より――北州の騎士が死を差し置いても貫くべきだった『正義』が、ここにある。今ここにしかないと、確信している」


***


隊列を乱して突っ切るように駆け抜ける、ひどく細身の一人。その動きに、まずウォルンフォラドが気づいた。反射的に構えなおそうとした剣を――その横顔の若さを見て、止める。ひどい新人だな、と顔をしかめて呼び止めるために口を開こうして、なびくタイに気づいた。

タイは文官の証。

現在、指揮はクウナとウォルンフォラドだけで執っているから、中央から連れてきた伝令は動かしていない。

彼はクウナの背後に迫る。クウナの手首に力が入るのをウォルンフォラドは見た。

「バカ、それ伝れ――」

ウォルンフォラドの叫びが届く前、振り向きざまのクウナの一閃。

鋭い切っ先が、伝令の前髪をかすめて、ぴたりと止まる。

「……ッ」

へたりこんだ丸腰の伝令に、クウナは「あれ?」とのんきな声をあげた。

「なんか変な感じだと思ったら。ごめんね、立てる? どうした?」

数回咳き込んだ文官は、クウナに手を引っぱり上げられるようにして立ち上がると、恐縮しきった顔で頭を下げた。

「は、はい、失礼しました。トララード中佐から伝言です。北州騎士団の文官の総力をもって、救援隊と物資支援の用意ができております。お邪魔でなければ……」

「うん、待ってた。助かるよ」

クウナはぱっと笑顔になった。

「全部よろしくって伝えてくれる? 自己判断でいい。あとの責任は私がとる」

「はいっ」

伝令は嬉しそうにうなずいた。

それを聞きつけた周囲の人間が、あっけにとられてどよめく。

「ぶ、文官が……?」

あらゆることに不干渉、北州騎士団においては戦闘だけでなくあらゆる意味で役立たず、被差別の代名詞――その『文官』が、こうまで指揮官に全幅の信頼を寄せられる光景は、北州にはない。

目の前の伝令だけが北州の人間の中でひとりだけ平然とした表情を浮かべていることに気づいて、クウナは頬を掻きつつ聞いてみる。

「想定済み?」

伝令は小さく、誇らしげに微笑んだ。

「あの方は謙遜のかたまりですから」

「あーそうだね、やっと本気が見れるわけか」

クウナは手近な位置に居た部下を一人呼んで、

「護衛ついたげて」

背を押して、送り返す。

「はいッ」

すぐ横に立った頼もしい体格の男を見上げ、伝令の緊張しきった青い顔にわずかに血色が戻った。


そして、彼が副棟に駆け戻った直後――次々と旗が上がる。

怪我人引き受け可の合図、武器交換可の合図、伝令待機の合図。

「こんな短時間で……?」

常識外の準備速度に疑いの目を向けるウォルンフォラドの横で、クウナは愉快そうに笑んだ。

「なるほど。本当に『一言だけ』待ってたってわけだね」

疑問符を浮かべたままちらりと見てくる疑問符だらけのウォルンフォラドに答えを告げる。

「こうなる日を待って、前々から準備してたってことだろうね」

「そんな人が? 心強い」


文官参戦の驚きは伝播して――

想像以上の膠着状態にその理由を探ろうとし、やがて上官側も気づいた。

「急造、不揃いの隊で……案外とねばるな」

「見ろよ、あれだ」

「どうして文官どもが向こうにいる?!」

「トララードが取り込まれたな」

「しぶとく足掻きやがって」

忌々しそうに歯噛みする高官たちの、余裕のなさをとりなすように、アゴロが鼻で笑った。

「あんなもの、戦力にならん。大した痛手ではないし――どれ、すぐに崩してやろう」

その指示を受けた数人の上官が、「まずは文官から蹴散らしてやる」と息巻いて動き出す。演習場を大きく迂回した小隊が、部隊の後方へと回り込まんと進む。

「させるか!」

両翼の指揮をとっていたコモとフェルがそれを防ごうと人を走らせる。

だが――ものすごい悲鳴とざわめきが斜め後方で上がる。

「何事だ?!」

慌ててウォルンフォラドが振り向いた。

状況確認から戻ってきた部下が、報告しますと言い置き、方角を叫んだ。

「右翼側の部隊が、馬小屋を壊したようです!」

半壊した木造の下から、板切れを吹っ飛ばして、無数の茶色が勢いよく飛び出してくる。近くの部隊の逃げ遅れが、容赦なく蹄に蹴り飛ばされて悲鳴を上げた。防いだはずの人の流れが止まらない。

クウナは盛大に顔をしかめる。

「相変わらずの下種だなぁ!」

「そうくるか、無茶な突破を」

ウォルンフォラドが歯噛みする。

後方の騎士たちが叫んだ。

「くそっ、そいつを止めろォ!」

「一人取り逃がしたっ」

ちょうど建物に入ろうとしていた文官の少年が、剣を構えて迫り来る上官の姿に腰を抜かして悲鳴を上げた。嗜虐的な笑みを浮かべた騎士が、意気揚々と建物に入ろうとして――

頭上から真っ直ぐに降ってきた煉瓦が、がつん、と男の頭部を直撃した。不測の攻撃に声もなく倒れこむ。目の前で崩れ落ちた大柄な体と、その頭頂部から流れ出した鮮血に驚いて、文官の少年が甲高い悲鳴をもらした。

「……え?」

誰もが呆然と、鈍器の降ってきた先を見上げた。

先ほどクウナが破って飛び降りた窓よりも遥か上――積雪を防ぐために傾斜の強くなっている屋根の上に、次の煉瓦を抱えて立っているのは、木綿の服の男の子。

「ミンリオ!」

クウナはぱっと顔を輝かせた。ミンリオはきょろきょろと地上を見回し、クウナを見つけて、ススだらけの小さな手で、騎士顔負けのりりしい敬礼をしてみせた。

そんな彼にクウナは敬礼を返して、ぐいっと口角を上げる。

「さぁて、打撃の従者(キッパー)もこちら側に付いた」

北州騎士団の上官たちが新たな標的を発見してざわめく。クウナの横にカロが寄ってくる。

「アルコクト中将、屋根への増援は――」

「いらないよ、大丈夫。煙突は狭くてあの子しかのぼれないし、あの子はいつものぼってるし、北の弓はあの高さまで届かない。……あ、それはいいから、ちょっと指令預けるね」

カチンと剣を収めて、クウナが先頭を離れた。

「中将、どこへ?」

気にするなと手を振る。駆け込んできたはぐれの馬に、横から駆け寄って、たくましい脇を2回叩いて、

「よっと」

鞍なしの駿馬にいきなり飛び乗った。

「おっとっと……どうどう、そう、良い子」

驚き暴れる馬をなだめるように栗色の首をなでてやってから、広い視界に伸びをして、また剣を抜いた。乱れきった陣形を落ち着いて眺め回してから――ある一点目がけて駆け出した。突然おそいくる蹄鉄に、否応なしに人垣が割れる。

「北州のみんなは班長の元に戻れ! フェルの隊は怪我人を後方へ!」

攻め込んできていた敵兵を斬り捨て、陣を立て直しながら後方に向かい――とある窓に向かって叫んだ。

「ねぇトララードさん! そんなにいいとこから見てるなら、そっから指示だしてよ!」

そうとは気づかないほど、僅かに開けられていた窓枠に向かって。

返答は静寂だったが、一度身をひるがえしたクウナの前で、その窓のカーテンが不自然な動きで揺れた。窓辺にゆらりと人影が映る。少し考える仕草を見せたかと思うと――カーテンが舞い、窓が開いた。

窓辺にたたずむ細身の青年が、階下で戦う少女に向けて、鋭く笑んだ。

「貴女のご命令とあらば」

快諾の返答は――服従の敬礼とともに。


***


一方の室内では。

「と、トララードさんっ」

『何が起きても絶対に顔を出すな』と厳命した張本人が堂々と姿を晒した不測の事態に、準備の手を止めた部下たちがおろおろと寄って来た。窓辺のトララードはうつむいていて、カーテンのタッセルを握り締め――

「全く、若者は発想が柔軟すぎるな」

――心底愉快そうな笑みをかみしめていた。

血のにおいがする風に、カーテンが揺れる。

ひとしきり笑ってから、ぽつりと、独り言のように呟いた。

「もし、私が階下の彼らのような武力を持っていたとしても、私はここに居ただろう。なぜならば、ここが一番、戦場の全容を把握できるから」

整いつつある陣形と人の流れに、トララードは素早く目を走らせる。部下たちを呼び寄せ、うち数人に史官役を命じた。

「皆、この戦いをよく覚えておきなさい、必ず次に生きる。――文官の知略こそが、戦いの優劣を決める時代が、ようやく来た」


***


甲高い笛の音が、寒空の空気を貫いた。

血なまぐさい空間をつんざく音に、ごく一瞬だけ全てが動きを止めた。

窓辺から陣形指示の笛を鳴らす青年を見上げて、クウナが嬉しそうに笑った。見覚えのある古い笛だ。クウナはすぐさま大声を張り上げて、周囲の部下たちに告げる。

「走れ伝令、みんなに伝えて! ただいまより本作戦の全体指揮官を、彼――トララード中佐に移す!」

突然最高権力を任命された文官の名に、北州の騎士たちが不安そうにざわめく。


トゥイジ側の前線に立つ一人の男は、険しい顔で窓辺の青年をにらみつけた。件の舞踏会以降、トララードを思うように利用できなくなった一人だ。腹心の部下を呼びつけ別働を命じる。

「覆面をつけた小柄な奴だ、暗器を所持している。見つけたら知らせろ、深追いはするなよ」

「はッ」

部下は陣営を抜け俊敏に駆け出していく。


そのすぐ右隣の部隊。指揮を取る男は窓辺の青年を見て、小馬鹿にしたように笑った。

「なぁに、あんな場所からの指示、手の内を晒すようなもんじゃないか。ひるむな! 進めェ!」


彼の意図と慢心を見透かしたトララードが、その部隊の動きを見て薄く笑う。

「……分かっていても止められない戦略だって、無数にあるんですよ、少佐」

部下の少年がどこかの部屋から発掘してきた双眼鏡を差し出す。

「ああ、ありがとう」

受け取ったトララ―ドは、それを使いしばらく陣営を眺めて2、3指示を出したあと、伝令の護衛として室内に控えていた見覚えのない武官たち――中央の騎士たちを、丁寧な手招きで呼び寄せる。

「何か」

「ええ。貴方たちの部隊の得意不得意を教えて欲しいのですが」


***


「……は?」

聞こえてきた笛の音に、意味の分かる中央の騎士たちだけが固まる。

「……小隊別の指示、だと?」

全体指令の後に続く、事細かな個別指令。

ウォルンフォラドが笑う。

「なるほど、よく見てる人だ」

少しはなれたところで、コモがぴゅうと賞賛の口笛を鳴らす。


***


「な、なぜだ、あんなガキどもに……?!」

眼前に広がる戦局に、一人の上官が酷く動揺していた。

あちらの部隊の大半の構成員にまともな訓練ひとつ受けさせてこなかったことは、彼らが一番よく分かっている。そしてそれがカギになることも、長い戦歴を持つ彼らには自明のことだったのだ。だから相手側の策略も何もかも見ようとしなかった。侮っていた。


今になってようやく目を向ければ――

檄を飛ばす見慣れない男、おそらくは中央州騎士団の騎士。

「いいか! 人数は足りてる、必ず二人以上でかかれ! 怪我人出しても運んでやらねーからな!」

こちらの駒は、丁寧に一人ずつ、数人がかりで退路をふさがれ挟み討ちにされていた。

ひげをぬらした冷や汗が襟元に落ちる。

数では圧倒的に負けている。だが、実力と経験と戦略で勝つつもりだった。それで勝てると思っていた。

だがもし――戦略でも負けているのだとしたら。


そうして、北州の上官たちは、ようやく。

鮮やかな手腕を前にして、文官が戦力になることを認めざるを得なかった。


***


ログネルは戦況を、ただ呆然と見渡した。

一ヶ月苦楽をともにしてその仔細を分かったつもりになっていたが、実はとんでもないものを隠していた少女。彼女の迷いのない勇ましい顔は、遠く離れた敵陣後方に待機しているログネルの位置からでも、はっきりと見て取れた。そして、彼女の采配によりあっけなく斬り拓かれ崩れた陣形。いつも高慢な態度を崩さなかった上官たちが、予想外の劣勢に慌てている。

かつて一度も見たこともない、だが皆が渇望していたその光景を前に、

「……――光明だ……」

ログネルは、呆然と呟く。


まずは、生きることが大前提。

弟を失った日に、俺たちはそう決意した。

――贖罪だけが俺を生かす。

そのはずなのに。そのはずだったのに。

少女の勇姿が、目に焼き付いて離れない。

剣を振りながら、あんな強さをずっと求めていた。俺はきっとあんなふうになりたかったーー。

再び見渡した敵陣の中で、大胆に突き進む一人の少年の姿を見つけたとき。

――ログネルは固く唇を引き結んだ。


一緒に行動していたG班の面々をはるか後方に置き去りにしたまま、ジュオはがむしゃらで剣を振っていた。細かいくらいの指示を飛ばしていた班長の声がいつの間にか聞こえなくなっていたことに気づいたのは、ついさっきだ。剣戟の合間に周囲を見回すが、見知った誰の姿も、いつのまにか見えなくなっていた。

(……くっそ、はぐれたか)

いつもしつこいくらいに構ってくる青年の姿は、最初からない。

あいつのせいだ、と内心で毒づく。先ほど、敵陣の後方に、馬鹿みたいな顔をして突っ立っているのを見かけた。

(なんなんだアイツ!)

苛立ちに任せて剣の柄を握り直す。飛びかかってきた一人の青年を斬った直後、背後から猛烈な勢いで駆け寄ってくるアゴロに気づく。

まずい。背中をとられた。

剣を引くが、間に合わない――

「ち……!」

血しぶきがジュオの視界を埋め尽くす。

無傷の(・・・)ジュオは目を見開いた。

「……だから、ちゃんと、視野を広くって、」

小さくそんなことを呟いたログネルが、仕方ないなぁと言うような、いつもの笑顔を浮かべ、ジュオのすぐ目の前で崩れ落ちた。

「ははっ、なんだこいつ!」

勝ち誇ったような顔をして笑うアゴロに、一瞬で迫ったジュオがものすごい剣幕でその胴を刺し貫いた。赤い剣を引き抜き、その勢いのまま、ログネルの頭部を蹴り飛ばす。

「おい! なんとしてでも死なねーんじゃなかったのか!!」

班長とアサトが人ごみを抜けてジュオに追いついたのは、その数秒後だった。

「おいジュオ、先駆けすぎだバカ!」

「う、うわあああログネルくん?!」

血だまりに沈む見知った顔を見つけて、アサトが甲高い悲鳴を上げる。

血だまりの傍らに、ジュオが膝をついてしゃがみこんでいる。薄らと目を開けている青年の名を、ジュオはいつものようにぶっきらぼうに呼んで。

「なぁ、やっぱ、ああいうのはお前には向いてなかったな」

「あはは……そう、かも」

参ったな、と小さな、泣きそうな声。

荒い息を数回吐いて、いつものように優しげな笑みを浮かべた青年は、そのまま――手を力なく、だらりと下ろした。


***


一方、前線。

クウナが自部隊を大声で呼んで一層奮起させた。

「行くよー!」

軍勢を引き連れて、敵陣へと颯爽と駆け込んでいく。


「うわあ……」

屋根裏の倉庫から次のレンガを持ち出してきたミンリオは、眼下に広がるその光景に、手を止めて歓声をあげた。

整然と並んでいたはずの戦隊が、見るも無残に崩れ去っている。両翼の隊列を蹴散らして押さえつけ、中央に大きな空間が拓けている。

そしてそこを駆け抜け、敵陣に突入した一隊がある。先頭にいるのはもちろん、ミンリオもよくよく見知った黒髪の少女。瞬く間に一陣・二陣を切り崩すと、なだれ込むように突っ込んでいく。彼らの向かう先には――手薄になったトゥイジ元帥の部隊ただひとつ。トララードは、指示の笛を鳴らす合間に部下の文官たちを呼び寄せ、「よく見ておくように」と伝えた。

「おそらく、これほどまでに迅速な斬り込み(アサルト)は、今後当分お目にかかれない」

クウナは馬を操り先陣を切って、華麗な剣さばきで一斉に斬りこんでいく。片手で、あっという間に数十人をなぎ倒した。

ひるんだ敵兵が間合いを空けて臆している間に、クウナは敵陣のど真ん中で馬からひらりと下りた。何事か叫びながら剣を振り上げ、一気に群衆の中を駆け抜ける。

「いけええ!」

ミンリオが叫ぶ。

そして――クウナの剣が、目を見開いたトゥイジの胴を深く切り裂いた。崩れ落ちる男の背後では、リュデがギーンの首に剣を突きつけている。各部隊のトップの名を呼び、次々と指示を飛ばす。

「弓兵、攻撃を中止しろ! 衛兵、正門の封鎖を解除!」

「――アルコクト中将! リュデ少将!」

そこへ伝令が駆け込んでくる。

「右翼、制圧完了しました!」

少し遅れて、同様に左翼からの一報が入る。

クウナが指示を飛ばし、逃げ出した部隊を追わせる。衛兵が総力を挙げて正門で押しとどめ、そこへ後方から部隊が合流して次々に捕縛する。

トララードの笛が、勝利を示す甲高い勝ち鬨の音を鳴らした。曇り空を突き刺すように、赤色の部隊旗がはためく。うおおお、と重なり響く、うなるような喚声が大地を揺るがせた。

中央の騎士たちが、失速した北州の上官たちを手早く捕らえていく。

「……お、終わったのか……?」

すっかり磨耗して使い物にならなくなった剣を落とし、イグヤがその場にへたりこむ。

跡形もなく崩れ去った敵陣を前に、歓喜の肩組みを交わすたくましい男たちの如才なさに、泥だらけの新人たちは呆然と呟いた。

「……これが、中央州騎士団……」

かつて幾度も絶望を味わい、歯向かうことを諦めた絶対的な権力が、惨敗し屈服している、夢にすら見なかった光景。

そして何より、彼らの中央で最も勇ましい顔をしている、見慣れた少女に。

輪の中から振り向いたクウナが部下の名を呼んだ。一番足の速いその青年に場所を告げて、

「そこにいるおばあさんを、騎士団医として呼び寄せて、北の子たちを診せてくれる?」

「はいッ」

すぐさま駆け出していく背を見送る。

ほっと息をついた瞬間、眩む世界。

「あー……」

やばい。視界が暗い。

クウナの震える手が、かろうじて届いた目の前のコートを引く。ウォルンフォラドの顔は見えなかった。

「……ウォンちゃん……あと、よろしく」

その言葉を最後に、クウナは意識を失ってぶっ倒れた。

「クー!」

「キューナ!」

「アルコクト中将!」


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