31.誕生日(後編)
「G班、整列ッ」
班長の声に、踏みしめられた砂利が一斉に鋭い音を立てる。
「ん? おい、ルコックドはどうした」
そう言って周囲を見回す副班長の前に、すっと挙がる手がひとつ。
「……あのう」
その声に、あれ、とイグヤが驚く。隣に立っていたのはいつもの少女ではなく、顔見知りの青髪の少年。
「ペヘル。F班は今日、市街地巡察だろ?」
イグヤの問いに黙ってうなずくペヘル。
彼の前にやってきた班長が、見慣れないつむじを見下ろして、まぁなー、とやる気なさそうに呟く。
「あれに遅れたところで、一人や二人、ばれないとは思うが」
「いいえ。ルコックドが交代してって、今朝、来て」
その言葉に、皆が二人の並ぶ姿を思い浮かべる。
ペヘルとキューナ。確かに、背格好は似ていなくもない。髪色も近い。
「お、アイツもついに脱走かー?」
面白そうにジュオが笑い、隣のアサトが悲鳴を上げる。
腕組みをしたヤサルタが不思議そうに首をかしげた。
「昨日、そんな様子なかったけどなぁー」
「この場合、とばっちり受けんのはペヘルか? それとも俺ら班員か?」
めんどくせぇ、と班長がうめき、癇癪を起こしたように自分の頭髪をかき回す。
「とりあえず、巡察が戻ってくるまでコイツでごまかすぞ」
そう言った副班長が、アサトが首に巻いていた襟巻きを取り上げて、キューナより少し毛先の短い髪のペヘルに放り投げる。受け取り損ねた布切れが顔面にぶつかって眼鏡がずれる。その位置を直しつつ、ペヘルは小さく礼を言った。
少女の突然の行動に、思い当たる節がなくはないのはイグヤ一人で。
「……いやまさかそんなこと、関係ねぇよな。俺誰にも言ってねぇし」
昨日のケンカ(というかなんというか)を思い出して、言い逃れのようにぶつぶつ呟く。その様子を、襟巻きを巻いて毛先を隠しながら、ペヘルが興味深そうに眺めていた。
***
「指揮官、これ、冬橙酒ですよ」
「なんだと?!」
一秒前まで、反抗的な市民の少年を斬り捨てようとしていた市街地巡察隊の指揮官は、固唾を呑んで事態を見ていた群集の向こうから聞こえてきた朗報に、嬉しそうな顔をして振り向いた。
邪魔な市民を押しのけて歩み寄ってきた無類の果実酒好きに、小柄な一般兵が黙って奥の棚を指さす。ずらりと並んだ金属缶に、指揮官は部下をいたぶるときと同じような上機嫌の笑みを浮かべた。3年の熟成を待つことなく、固く密閉された蓋の中央に騎士団の配給品である小型ナイフが突き立てられる。流れ出た金色の液体に、騎士たちが野太い歓喜の声をあげた。入口近くのカウンターで店主が頭を抱えてしゃがみこむ。
その姿を、棚の脇に立つ一人の騎士がじっと見ている。
指揮官は踊り出しそうな勢いで、店の出口に向けて前線よろしく太い腕を突き出す。
「ははっ、よーし、ご苦労! 全て運び出せ!」
その無慈悲な指示に、迅速に従う沈黙の騎士たち。
あっという間に商品棚は空になり、すし詰めになっていた騎士たちは外へと消えていく。
「あああ」
店主が隅で泣き崩れる。それを見た近所の資材屋の少年が、先ほど突きつけられた剣の怖さを思い返しながら、それでも本日二度目の死ぬ覚悟を固めて、去りゆく大男たちの背に向かって声を張り上げるべく、息を吸ったとき――
「えーっと、初物の冬橙酒、ガロン缶で54本。最近の相場だとこれくらいですかね」
店主の前に置かれていた古びた鍛金製のカルトンに、じゃらりと硬貨が落とされた。
「……へ」
固まる民衆。一人だけ店内に残っていたやけに小柄な騎士が、カウンターの前で身をよじって、着ている隊服のジャケットの襟首をごそごそやっている。騎士の隊服のあちこちに捕虜や隠密行動用の隠しポケットが仕込まれていることは、北州騎士団ではあまり知られてないらしい。中央州騎士団時代に散々貯めこんでいた階級手当てをまさかこんな形で使うことになるとはなぁ、後日経費というか罰金徴収で回収だなぁ、なんてぼやきながら縫製の隙間に爪の先を引っ掛けて内側のフックを外す。
「あったあった」
襟首から取り出したしわだらけの紙幣を手でぞんざいに広げ、仕上げとばかりに硬貨の山のてっぺんに乗っけて。
「じゃ、まいどありがとうございましたっ、これからもごひーきにっ」
黒縁めがねをかけた不審な騎士は、軽い挨拶とともに一礼し、颯爽と店を出ていった。ドアベルが場末感のある乾いた音を店内に響かせる。
ちょっと経ってから、
「……お買い上げ、ありがとうございました……?」
未だ混乱から抜け出せないままの店主が、長年染み付いた習慣の延長で、かろうじて呟いた。
***
日暮れ前。
すっかり酔いどれになった上官たちが調子外れの騎士団唱歌を歌いながら、色町や賭博場に散っていく。そのあとを慌てて追いかける、疲れきった顔の下級騎士たち。そろそろお開きだろうと判断して、列からこっそり外れたキューナは、手近な細い路地に身を隠した。
隊服姿のキューナを不安そうに見上げてくる足元の浮浪児たちに静かに微笑みかけて、彼らの寝床を荒らさないように暗い路地を抜ける。入り組んだ路地を歩きながら、さっきまでだらだらと歩かされた道を脳内で辿り、目的地を探す。
「ええと、なんだったっけな。整備区画のブラッカロフ通り……」
「お買い物ですか、騎士さん」
キューナを呼び止めた幼い声は、精一杯の平静さを装っていたけれどひどく震えていた。キューナは足を止める。
赤い服の、ショートヘアの女の子。細いむき出しの足の後ろに、何人かの幼子を連れている。皆、恐ろしく痩せている。
キューナはゆっくりと目を細め、先ほどの独り言よりも幾分か柔らかい口調で言った。
「うん。道、分かる?」
「右の坂を下りて、西方向に3ブロック進むと整備区画です。ブラッカロフ通りは、中央の一番大きな通り」
「坂下りて西ね、ありがと。助かった」
ポケットから出した硬貨を礼にと投げ渡す。硬貨を手にした女の子は、気前の良い上客だと気づいて、ぱっと顔を上気させた。
「よ、良かったら代わりに買ってき」
「それは遠慮しとこうかなぁ。大事な友人の、大事なものなんだ」
詐欺の常套句を遮って、キューナは「またね」と歩き出した。
突き当たりの大通りに顔を出して、騎士の姿がないことを確認する。突然変なところから現れた隊服にぎょっとなる市民たちを差し置いて、高級商店の並ぶ大通りに足を踏み入れた。
暖色のランプが照らす、しゃれた細工の扉を押し開ける。ジャケットの襟のふくらみに手を当てて、キューナは注文の言葉を口にした。
***
「はっぴーばーすでい」
エイナルファーデの手の上に、ころんと転がったファエネッタの練り香油。新品。
エイナルファーデはものすごい顔をして、ひたすら「え」を連呼する。それしかできない。
「……こ、これ、何?!」
「あれ、違った?」
「違くないけど! あたしが言ってたのは、これのことなんだけど……なんであるの? 新品でしょ、これ! どっから手に入れたの?!」
「買ってきた」
けろりと答えて笑う隣のキューナをまじまじと見つめてから、エイナルファーデは左胸を押さえて長く大きく息を吐いた。
「ああもう、ありがと。びっくりしたよ」
「それは良かった。ごめんね、本物の形見じゃなくって」
残念ながら、アトロシェチェの例の質屋は数ヶ月前に夜逃げして行方知れずになっていた。わざわざ休暇を取って周囲の町にまで聞き込みに行ってくれたという東州騎士団遊撃部隊の見知った面々に、キューナは心の中で礼を言った。目の前の友人が、小さな金属の容器を大切そうに両手に包み込んで、涙する姿を眺めながら、これが全部片付いたらフエフに会わせたいな、なんて考える。
***
翌日の夕食時間。
「キューナ、キューナぁっ」
演習終わりのエイナルファーデが食堂に現れたかと思うと、キューナ目掛けて一直線に飛び込んできた。反射的にスプーンを置き両手を広げて迎え入れて、とりあえずは抱きしめ返す。
「いーなー」
キューナの向かいで固いパンを噛み千切っていたヤサルタが、目の前でひっつく女子二人を眺めて、オッサンくさくぼやいた。
「練り香油、先輩たちに見つかっちゃったー」
取られちゃったよー、と涙声で訴えるエイナルファーデがもがくのを、避けるように体を傾けたイグヤが不機嫌そうに言う。
「んな高級品、持ってきたら当たり前だろ。俺でも盗む」
そんでメシ代に変える、と目の前の空になった食器を睨みつける。キューナから離れたエイナルファーデがイグヤを振り返って叫んだ。
「あれは特別なの!」
「だから盗まれたんだろ」
「……うー」
わあわあと繰り広げられるイグヤとエイナルファーデの応酬を、演習上がりなのに二人とも元気だなぁと聞き流しつつ、キューナは野菜くずの浮いた渋い味のスープを飲み干した。なにやら考え込んでいるその横顔に気づいたキホが、食事の手を止めた。
「ルコックド。まさか、取り返すのか」
「うーん」
「やめておいたほうがいい。バレて恨まれるのはハノアッジだ。どうせ何度取り返しても、この宿舎内にそういうものがあると知られた以上、同じことだし」
「そうなん、だよね……」
キューナの煮え切らない返事に、キホが念押しの説得を試みようと息を吸ったとき、イグヤに掴みかからんばかりに文句をぶつけていたエイナルファーデがくるりと振り返って、キューナの額を指先で押した。
「気持ちはありがたいけど、やめてねキューナ。どうせ、もう見つかりっこないもの」
「ん? どういうこと」
「あたしが見たのは、隣の部屋の先輩が持ってたのを、知らない上官の人が取り上げてるところ。廊下中に声が聞こえてたし、もう誰の手にあるかもわかんないよ」
「……悪夢だな」
心の篭ったキホのぼやきに、エイナルファーデが「ありがと」と苦笑する。
「そういうわけだから、もう諦めるから。ごめんね、せっかくの誕生日プレゼントだったのに」
イグヤが椅子を鳴らして立ち上がる。
「はああ?! お前があげたの? 金はどうしたんだよ」
「いいなー。俺にもなんかくれ」
ヤサルタが出した両手をエイナルファーデが叩き落として、またイグヤと3人でぎゃあぎゃあ言い始めた。
「……まったく」
キホが小さく呟いて、テーブルに散らばる3人分の空の食器を手早く積み上げた。それを持って立ち上がろうとしたキホを、
「あのさぁ」
「ん?」
食べかけの食事をほったらかして、窓の外を見ていたキューナが呼び止めた。
「キホの班、この前、どっかの貴族の舞踏会の警備だったって聞いたんだけど」
「ん? ああ」
「ポマード、残ってる?」
キホが手に持っていた食器を、呆れ顔とともにテーブルに戻す。
「あのな、ルコックド。それは、バレる」
キューナは窓を見たまま独り言のように答える。
「そうかなぁ。色と質感は似てるんだよね。におい付きやすいんでしょ? ちょっと混ぜてしっかり練っても?」
「やったことはないが……バレるからな」
「バレてもいいよ。さっきの話の感じだと、もうちょっと待てば、元々エイファの持ち物だったってことも分かんなくなるだろうし」
「……」
「ペヘル、てことで、あとでひとつ依頼するからね」
後ろに座っていた眼鏡の小柄な少年が、落ち着いた声で返事した。
「うん。それだけの高級品なら、どこかのタイミングで情報つかめると思うよ」
頼もしい言葉を聞いて食事を平らげたキューナは、キホの手元で積まれている食器を一人分、自分の皿の上に手早く移して、同じ高さにしてから立ち上がる。
「誰にだって、どうしても持っていたいもの、ひとつくらいはあるでしょ」
「……ハノアッジにとって、あれがそうだと?」
キューナは小さく微笑んで、厨房に向かう。
二人分に減った食器を前に、失った愛用の槍を思い出して、キホは小さくため息をついただけだった。
***
翌日の朝。
洗剤を入れる飾り気のない小瓶を揺らして、キューナが部屋に戻ってくる。
「はい、おまちど」
「え? あたし何も頼んでない」
有無を言わせず押し付けられた小瓶には、白い何かが詰まっていて。
「ちょっと嗅いでみて」
疑問符を浮かべたまま、エイナルファーデの指がコルクの蓋を押し開ける。途端に漂う芳醇な香りに、目を瞠った。




