喬介編「エピソード・オブ・エルグランド Part⑥」
——風の谷。
到着した喬介とアーシェラは、来る者すべてを拒むかのような強風を前に足を止める。
「凄まじい強風だ。風の谷の名に恥じぬ」
「喬介……わかっているわね?」
「あぁ。問題ない。動揺などしないさ」
この地に陸徒たちがいる。喬介はそう確信していた。しかし、ここで彼らに真実を伝えてはならない。
なぜなら、魔族復活を企む者に感づかれてしまう恐れがあるからだ。
奴らの焦点を陸徒側へ向けることで、こちらが影で動いて、プリウスの魔石を奪取。計画を阻止する。これが目的だ。
「それにしても、出発してからというものの、お前のしゃべり方には少し違和感だ。城にいた時と比べてな」
「私はこの国の女王よ。民には極力感づかれたくないもの」
「ふっ。そうか」
喬介は小さな含み笑いを返して、再び歩みを始める。
谷の奥地——突如感じる気配。
彼らの前に、黒いものが立ちはだかった。
「キラービートルね」
「……雑魚か」
そう言いながら、喬介は闇の大剣を振り下ろす。
だが寸でのところで角によって弾かれた。
「なんだと……ならばっ!」
喬介は、剣を弾かれた反動を利用し、体を捻って横薙ぎを繰り出す。
直撃。キラービートルは胴を分断されて消滅した。
「私の知るキラービートルの動きではなかったわ」
「モンスターの凶暴化が進んでいるという情報は、間違いないようだ」
そこへ、会話をするふたりのもとに、増援のキラービートルが次々と出現。
「何匹こようと同じだ」
喬介は剣を振りかぶった構えで敵陣へ特攻を仕掛ける。
「はあぁぁぁっ!」
気合いの篭った声で振り下ろされた大刃。紫の剣閃が、黒く蠢くものを両断。
次。そして次。と、喬介の流れるような連撃に、一分の隙もなかった。
最後に倒した亡骸から噴き出される黒い煙を背後に、喬介は剣を肩に載せてから言葉を漏らした。
「……この区域は、やたらとモンスターの凶暴化が進んでいるな」
面倒くさそうなため息を吐きながら、喬介は眉間に皺を寄せる。
「ますます、”アレ”がここにあるという信憑性を強めている気がするわ」
「同感だ。わざわざここまできた甲斐があったというものだ」
喬介は鼻を鳴らしながら応える。
するとそこへ、流れる素早い呪文の詠唱から、氷の矢が走る。
それは、喬介の背後にいる残党を捉えていた。
「なに油断しているのよ」
「……余計なことを」
油断などしていない。アーシェラがそれを掃討することも見越していた。
喬介は澄ました顔で剣を納める。
谷の最奥部へと辿り着いた喬介とアーシェラは、岩陰からその様子を見下ろしていた。
激しい風を切り裂くように、剣閃と魔力の光が交錯している。
「……やっているな」
喬介は短く呟く。
その視線の先では、巨大な影が翼を広げ、空中を飛ぶアクシオとシェリルを押し潰さんと暴れていた。
「苦戦しているようね」
「そのようだが、問題ない」
喬介は投げるように即答した。
「あいつらは、勝つ」
その言葉に迷いは一切ない。この戦いの先を見据えるような、そんな目をしていた。
次の瞬間、空気が震える。
陽光から放たれる一陣の矢。それが敵の急所を捉えていた。
「……決まるな」
喬介はそう吐いては踵を返す。
「行くぞ。ここからが本番だ」
背後で何かが砕けるような轟音が響いたが、彼は振り返らなかった。
谷の中腹部。
吹き荒んでいた強風がしばし身を隠す。訪れる静寂。
その時だった——
「来たか」
喬介の声が合図となり、アーシェラが動いた。
「待ちなさい!」
アーシェラの気高き声が響き渡る。
眼下から見える陸徒たちの困惑。
そして——喬介が続いて姿を現した。
「こんな場面でお前たちに会うとはな」
柄にもなく白々しい台詞を吐く。
懐かしさも、安堵も、そこにはない。
届いてくるのは、陸徒の疑念と警戒の目。
「お兄ちゃん!」
波美の、純粋な喜びを帯びた声。
喬介はわずかではあるが、動きを止める。
「喬介、余計なことは話す必要なんてないわよ」
「ああ。わかっている」
(波美……いや、迷いはない。俺は、俺の責務を全うする。それだけだ)
喬介は、拳を強く握りしめた。
「お前たちの持っているプリウスの魔石を、この俺に寄越すんだ」
その言葉に、凍りついたような空気が、陸徒たちの肌をかすめる。
「えっ、ちょ、ちょっとお兄ちゃん……なにを言っているの? だってプリウスの魔石はあたしたちの——」
狼狽する波美。直後、彼女の足元で小さな爆発が起きる。
一瞬、喬介はアーシェラへ鋭い視線を突きつけた。
だが——決意に揺らぎはない。
次の瞬間、喬介は動いていた。
「な、なにっ!?」
踏み込み。そして一閃が流される。
鳴り響く甲高い金属音。
(さすがだな、陸徒)
喬介は心の中で小さな笑みを零した。
(だが、お前の癖はわかりやすい)
容赦など、見せることもない。
背後では、魔術同士が激しくぶつかり合う音が聞こえてくる。
繰り返される攻防。陸徒は喬介の圧倒的な力を前に、反撃すら叶わない。
そこへ割り込む横槍——アクシオだ。
(陸徒。信頼できる仲間に囲まれているようだな。それがお前の強みだ)
喬介は表情を変えない。
そして放つ——闇の蛇。
決定打だった。その神経毒で、陸徒とアクシオの体は麻痺し、戦闘不能へと陥る。
(勝負ありだ)
喬介は勝利を確信し、プリウスの魔石を奪い取ろうと動く。
だが次の瞬間——
「もう、やめてぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
リアラが叫ぶ。そして、空気が裂けた。
轟音と暴風。瞬く間に視界が白く染まっていく。
「なにっ」
喬介は目を細める。
巨大な竜巻が、谷を覆っていた。その中心にいるのは、術を唱えたリアラと、陸徒たち。
「あの娘、まさかこのような術が使えるとは……喬介、こうなってはこちらの分が悪い。ここは一旦引くわよ」
「ちっ、もう少しでプリウスの魔石を奪うことができたものの……」
喬介が剣をしまうと、続いてアーシェラも魔術書を懐に収め、踵を返した。
谷を降りた先。ラクティスの町から少し離れた森の中で、喬介とアーシェラは佇んでいた。
「想定外だったわね」
アーシェラは唇を噛む。
「初手から失敗か。奴らの方が一枚上手だったようだ」
「次の大地の神殿は、少々面倒ね。ここはあの少年たちに任せて、我々は次へ先回りする」
「となると……エリシオンか」
「その前よ。エリシオンに行くには航路を渡る必要がある」
「……なるほど。港町」
「行き先はアヴァンシアの町。そこで待ち伏せする」
——港町アヴァンシア。
人気のない路地の先。そこで陸徒たちと再び遭遇する。
(ここは街中。立地としては条件は悪い。だが——)
この技を使えば造作もない。
そう判断した喬介は、逃走する陸徒たちの背後から踏み込み、剣を振るう。
生まれ出る闇の蛇。決して彼らを逃さない。
しかし次の瞬間——放ったはずの闇が、霧散した。
全員の動きが止まる。そして前に立つ影。
「随分と大層な技みたいだけど、アタイの双竜剣の敵じゃないね」
そこには紅と蒼の剣を携えた女剣士の姿があった。
(掻き消した……だと?)
喬介は状況を疑った。だがこれは現実。
(炎と氷の、剣。あれは……)
分析も束の間。
突然周囲の空気が変わり、霧が発生。視界が白く塗り潰される。
そして陸徒たちの姿が消え、気配も散った。
(追うべきか?)
一瞬の躊躇いが生まれたその時、周辺から喧騒が聞こえてくる。
「アーシェラ女王様だと……?」
「どこだ!?」
歓喜と羨望の声がざわめきとなり、一気に膨れ上がっていく。
「なるほど。あの女、機転が効くわね」
アーシェラが目を閉じ、諦めと取れるような笑みで喬介に近づく。
「こうなってしまっては、もう彼らを追うことはできない」
「完全に、"場"を潰されたということか」
そう言って喬介は目を伏せる。
(これで2度目の失敗か。ふっ、無様だな)
次なる地、エリシオンが最後のチャンス。
場所は火山。数多ある火山からどう絞ればよいか。
答えは簡単だ。
陸徒たちの後をつければいい。
——嶺王火山。
噴き出す溶岩の熱波漂う地。
喬介とアーシェラは、その岩上から戦況を見下ろしていた。
(……劣勢か)
陸徒たちの動きは鈍い。
このままでは全滅も時間の問題であろう。
(まぁ、この状況では無理もない)
「喬介、行くわよ」
「あぁ」
アーシェラが動き出す。
魔術書を開いた途端、輝きを放つ。
詠唱を開始。風が止んだ。
そこから繋げられる術。次の瞬間——空気が凍りついた。
熱が途端に消える。火山地帯のはずの大地に、氷が走る。極寒の支配。
(火山の環境そのものを変えた)
喬介は一抹の恐怖感を覚えた。その視界の先に映るもの。
そこには巨大な炎の獣が。完全に動きを止めていた。
氷の魔術の連続詠唱からの凍結。完全封殺。
「……さすがだな」
喬介は鼻を鳴らした。
——すると突然、地面が揺れる。
「……?」
体を走る嫌な感覚。
躍動する巨大な氷像。そして——氷が砕けた。
(復活……だと!?)
喬介は目を見開く。
直後、どこからか聞こえてくる爆発。その先は、アーシェラだった。
崩れた足場から落ちていくアーシェラに、炎が迫る。
(くっ、まずいな。だが間に合わん——)
閃光が走る。轟く爆音。
——そして訪れる静寂。
(……庇った、のか)
喬介の理解は一瞬だった。
だが炎の獣には、情けも容赦もなかった。
「ちっ」
反射的に喬介は地を蹴っていた。
靡く剣閃。しかし獣には通じない。弾かれ、岩壁に叩きつけられてしまった。
その直後、異様な気配が辺りから立ち込め、視線が引かれる。
(なんだ、あれは……)
言うなればそれは、黒。濃密な闇。
まるで人のものではない。その先にいる空也の姿が、歪んで見える。
「……殺してやる」
(……暴走?)
生み出された黒が膨張すると、一瞬で獣を飲み込んだ。そして、終わりが訪れる。
残ったのは静寂と——悲しみ。
(……終わったか)
アーシェラは遠くを見据えたように言った。
「確かめてみたくなった」
彼女の言葉の意図は理解していた。
だが喬介の中で、胸騒ぎが消えることはなかった。
そして、やがてそれは——現実のものとなる。
——スカイライン。
天高くそびえ立つ塔の最上階。そこに鎮座するは、崩れた巨大な水晶。
アーシェラの口から出た真実の言葉に、その場にいる者が驚愕する。
(アーシェラめ、この場で話す説得力の強さを知ってのことだったか)
だが、いずれにせよこれで終わる。
喬介は壁に寄りかかり、腕を組みながら安堵する。
その時だった。消えない胸騒ぎが形となって現れた。
(なにっ)
声が響き渡る。現れる銀髪の男。
一斉に地を蹴って攻撃を仕掛けた。
波美が走り出す。空間を縦横無尽に蹴った素早い動き。そして放たれる強烈な一撃。
だが次の瞬間——波美の姿が消える。
そして、視界の端で、彼女は崩れた。
(——!!)
喬介は声も出なかった。
それと同時に、彼の中で張り詰めていた糸が——切れた。
「うおぁぁぁぁぁっ!!」
響く怒りの咆哮。誰もが驚きを隠さずにいた。
喬介は地を蹴って一瞬で男に詰め寄る。
初手の一撃。速さも、間合いも、完璧だった。
——だが浅い。
「くっ……ならばっ」
喬介は柄を握り返す。
繰り出される、止めどない連撃。
剣を振るうたび、怒りが増幅していく。
それと同時に、喬介の中で何かが湧き上がった。
——委ねろ。
頭の中で囁く声。闇だ。
喬介は承諾した。突如、体から黒きオーラが立ち込める。
(これが……闇の剣の……)
濃紫の剣閃が走り、斬りつけるたびに闇が爆ぜる。
そして徐々に相手を傷つけ始めた。
だがその時——刃が止まる。
「……なんだ?」
目の前の男は、ただ指先で剣を掴んでいた。
(バカなっ)
力を込めるが、動かない。微動だにしない。
喬介の顔が、焦りの色で染められる。
「甘いな」
男の声と同時に、視界が弾けた。
喬介の足元から光が噴き上がる。
体が宙を浮き、制御することなど叶わない。
(……まずいっ)
だが時すでに遅く、喬介の体は天井を砕き、塔の外へ放り出された。
視界を埋め尽くす空。落ちていく。
喬介はこの時、初めての敗北を知った。
そして——初めて死を覚悟した。
(成すすべもない……)
遥か天空から急速度で地上目掛けて落下していく。
喬介は、迫りくる死の恐怖に耐えながらも、ただそれを待つことしかできなかった。
(これまでの人生を思い返す暇もないな)
喬介は静かに目を閉じた。
するとそこへ、喬介の中で再び声が聞こえてくる。
——死ぬのか。
先ほどのものと同じ声。
仕方ないさ。喬介が返す。
——ならば。
声が強くなる。
——その命、我に預けてみよ。
どういうことだ。喬介は問う。
——我は、暗黒竜。この力、お前に託してみよう。
声が消えた。次の瞬間、喬介の体を闇が覆う。




