第40話 山奥の工房は、魔王城に移転しました
正式任命騒動から数日後。
魔王城の一角で、ゲンは大きなため息をついていた。
「……おい、ルヴィア。話が違わねぇか」
ゲンは首の裏を掻きながら、隣を歩く黒髪の王をジロリと睨んだ。
「俺は『誰にも邪魔されない、静かで鉄に集中できる工房』を用意しろって言ったはずだぞ。なんで地下のド真ん中に案内されてんだ」
「何を言う。ここは正真正銘、誰にも邪魔されない特別な区画だ」
ルヴィアは悪びれる様子もなく、王としての威厳を保ったまま答えた。
「防音は完璧だし、城の他の区画からは完全に切り離されている。鉄に集中するには最高の環境のはずだ」
「それはそうだが……」
ゲンがぶつぶつと文句を言いながら、ルヴィアに案内されるまま重い鉄の扉の前に立つ。
ルヴィアが扉を開け放つと、そこには、かつての山奥のボロ小屋とは比べ物にならないほど巨大で、最新の火山炉と巨大な金床が備え付けられた、完璧な設備の大工房が広がっていた。
だが、ゲンの足が止まったのは、設備の立派さのせいではなかった。
新しい大工房の壁際。
そこには、場違いなほど古びた金床が一つ据えられていた。
表面には無数の打痕が残り、角は丸く潰れ、黒く焼けた跡が幾重にも重なっている。
山奥のボロ工房で、ゲンが何年も使い続けてきた金床だった。
「……おい」
ゲンの声が低くなる。
さらに。
扉の上を見上げる。
そこには、煤けて文字もかすれた古い看板が掛かっていた。
雨風に晒され。
山奥の工房の入口で、ずっとゲンを迎えてきた看板だ。
「これ……」
「勝手に持ってきたのは私ではないぞ」
ルヴィアが澄ました顔で言った。
「ガルドたちだ。お前が山へ帰ると言い出した後、古い工房まで出向いてな」
「親方の道具を置いてくる馬鹿がどこにいる、だそうだ」
ゲンはしばらく何も言わなかった。
古い金床。
煤けた看板。
どちらも立派なものではない。
最新の設備が並ぶこの大工房では、むしろ不格好ですらあった。
だが。
ゲンは小さく鼻を鳴らした。
「……余計なことしやがって」
その声に、本気の怒りはなかった。
そして。
ゲンが改めて工房の中を見渡す。
その巨大な空間に、数十人……いや、百人近い数の人間、魔族、亜人、獣人たちが、真新しい前掛けをつけて整列し、彼を待っていたのだ。
「……なんだ、こいつら」
ゲンが呆然と立ち尽くす中、列の最前列にいた老ドワーフのガルドが、誇らしげに胸を張って一歩前に出た。
「へへっ、驚いたか大工房長。あんたが『静かな工房』を欲しがってるって聞いてな。俺たちで、あんたが集中して技術を叩き込める『専用の弟子部屋』を用意させてもらったのさ」
「弟子部屋って……こんな数、聞いたことねぇぞ」
ゲンが列を見渡すと、そこには見覚えのある顔がいくつもあった。
魔力が弱いために『滓』扱いされて前線から捨てられた、若い魔族の見習い兵たち。
奴隷鉱山で鎖に繋がれ、背中に鞭の痕を残したまま、小さな手で真新しいハンマーを握りしめている獣人の子供たち。
先の戦いで片腕を失い、もう二度と剣を握れないと絶望していたはずの、元強硬派の老兵。
そして、人間側から武器を持つことすら許されず、迫害されて逃げてきた名もなき亜人たち。
誰もが、人間や魔族の古い価値観の中で「役に立たない」「価値がない」と使い捨てにされてきた者たちばかりだった。
だが今、彼らの瞳に絶望の色はない。
彼らは皆、ゲンの手仕事を見て、鉄の理屈を知り、「同じ品質で直せる技術」に自分たちの生きる道を見出した者たちだ。彼らは、ただの戦力としてではなく、自らの手でこの国を支える『職人』としての誇りを胸に、ゲンの教えを請うためにここに集まっていたのだ。
「……おい、リュシア」
ゲンは、列の横で満足げに頷いているエルフの助手を振り返った。
「俺は『一人にしてくれ』って意味で言ったんだぞ。こんなにゾロゾロと面倒見切れるかよ」
「無理ですね」
リュシアはフッと笑い、いつもの辛辣だがどこか温かい口調で言い切った。
「ゲンさんが作ったのは、ただの折れない槍や、死なない鎧だけじゃありませんから。……あなたは、一度捨てられた彼らの『居場所』を作ってしまったんです。だから、彼らがあなたを放っておくわけがありません」
それは、かつて研究院で成果を奪われ、不要な存在として捨てられかけたリュシア自身の言葉でもあった。
彼女もまた、この偏屈な職人の隣という居場所を見つけ、救われた一人なのだ。
「それに、大工房長としての仕事は山積みですよ。彼らに基礎から叩き込んでもらわないと、今後の防衛ラインの維持計画が成り立ちません」
「……」
ゲンは頭を掻きむしり、大きなため息をついた。
「全く……勝手に期待しやがって」
ぶっきらぼうな口調だったが、その声に本気の怒りは混じっていなかった。
「なら、私も時折、視察という名目でこの工房を見張りに来るとしよう」
ルヴィアが、王の顔から一人の女の顔へと変わり、少しだけ悪戯っぽく微笑んで加わった。
「お前がまた勝手に山奥へ逃げ出さないように、な」
「勘弁してくれよ……王様が工房をウロウロしてたら、こいつらが緊張して火の温度を間違えるだろうが」
「それはお前の指導次第だろう、大工房長?」
「ふんっ」
ゲンはこれ以上抵抗しても無駄だと悟り、腰の工具袋の位置を直して、ずらりと並んだ不揃いな弟子たちの方へと向き直った。
人間、魔族、亜人、獣人。種族も過去もバラバラな彼らが、これからは同じ鉄を打ち、同じように道具を直していく。
それは、強者だけが生き残るのではない、弱者が手を取り合って「滅びない」ための、新しい時代の始まりの光景だった。
「……おい、そこのガキ」
ゲンは列の端にいた獣人の子供を指差した。
「ハンマーの柄を握る位置が短すぎる。それじゃあ鉄に力が伝わらねぇ。もっと端を持て」
「は、はいっ! 大工房長!」
「大工房長じゃねぇ。……親方でいい」
ゲンはそう言い捨てると、巨大な火山炉の前へと歩み寄った。
その途中。
壁際の古い金床へ、ほんの一瞬だけ目を向ける。
山奥で。
誰にも知られず。
ただ鉄を打ち続けていた頃から使ってきた道具。
そして、扉の上には煤けた看板がある。
山奥の工房を捨てたわけではない。
炉も。
金床も。
そこで積み重ねてきた時間も。
ゲンはただ、自分の居場所をここへ持ってきただけなのだ。
彼は火山炉の前に立ち、慣れた手つきで新しい火を入れた。
ゴォォォォッ!!
大工房の底から、力強く、そして温かい炎の音が響き渡る。
山奥の静かなボロ工房は、なくなったのではない。
古びた金床と煤けた看板ごと。
数え切れないほどの命が集う、この騒がしい場所へ移ってきたのだ。
そしてそこには。
決して壊れることのない、無数の命の熱気に満ちた、騒がしくも確かな『居場所』があった。




