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第29話 勇者、聖剣の真実を知る


大工房の隅に敷き詰められた藁と毛布の上で、小さな寝息が幾つも重なっていた。


奴隷鉱山から救出された魔族や獣人の子供たちだ。彼らはミーシャが作った温かいスープを飲み、ようやく安堵の眠りについていた。


ゲンは作業台の明かりを頼りに、彼らの手足から外したばかりの手枷や足枷の残骸を睨みつけていた。


「……ひでぇ仕事だ」


ゲンはやっとこで粗悪な鉄のリングを掴み、苛立たしげに放り投げた。


「寸法も合ってねぇし、無理やりハンマーで叩き潰してカシメてやがる。外すことなんかこれっぽっちも考えてねぇ、命を使い捨てるための鉄だ」


「ゲンさん……」


リュシアが、新しい毛布を抱えながら悲しげに目を伏せた。


「みんな、まだ怯えています。でも、大工房の熱気とドワーフたちの声を聞いて、少しだけ安心したみたいです」



そこに、大工房の重い扉が開き、ザガンが足早に入ってきた。


「大工房長。厄介な客が来た。……人間側の勇者だ」


「なに?」


「単騎だ。国境で白旗を掲げ、抵抗する意思はないと言っている。貴様に……確かめたいことがあると」


ゲンは工具袋から手を離し、前掛けの埃を払った。


「通してやれ」


「簡単に言うな」


ザガンは苦々しげに鼻を鳴らした。


「すでに身体は改めた。聖剣は鞘から抜けぬよう、封印紐で縛ってある。ここまで常時護衛付きだ。陛下の特別な許可がなければ、大工房の土を踏ませるつもりもなかった」


「なら問題ねぇだろ」


「……貴様は本当に、そういうところだけ雑だな」


ザガンは呆れたように吐き捨てた。



国境で白旗を掲げたレオルドは、ザガンの手で身体を改められていた。


腰の聖剣は鞘ごと黒い封印紐で幾重にも縛られ、抜剣すれば即座に分かる。魔王軍の兵士たちに囲まれ、目隠しを外されたのは、大工房の重い扉の前だった。


ルヴィアが特別に許可しなければ、敵軍最高戦力である勇者が、魔王軍の軍事中枢たるこの場所へ入ることなどあり得なかった。



大工房に足を踏み入れたレオルドの姿は、以前の威風堂々たるものとは程遠かった。


純白の聖鎧は着ておらず、粗末な外套を羽織り、顔はひどく憔悴している。彼の心は、自壊した聖鎧の事実によってすでに限界まで軋んでいた。


「人間の、職人……。私は、あなたに……」


レオルドが重い口を開きかけた時だった。


毛布にくるまっていた幼い獣人の子供が、ふと目を覚ました。


眠たげに顔を上げ。


レオルドの腰に提げられた、豪奢な聖剣の鞘を見た瞬間。


「……っ!」


小さな身体が、激しく震えた。


子供は悲鳴すら上げられず、近くの毛布を掴んで後ずさる。まるで、目の前に鉱山の監督兵でも現れたかのように。


「いや……剣、いや……」


か細い声。


レオルドの足が止まった。


「……なぜ」


自分が人々を守るために振るってきた剣。


希望の象徴であるはずの聖剣を見て。


目の前の子供は、怯えている。


その事実を理解するより先に、レオルドの視線が、毛布にくるまる他の子供たちへと吸い寄せられた。


寝返りを打った獣人の子供の背中。


そこには、赤黒く腫れ上がった無数の鞭の傷跡が、生々しく刻まれていた。


「な……」


レオルドは息を呑み、一歩、また一歩と子供たちへと近づいた。


「彼らは……なぜ、こんな酷い傷を……」


ゲンは無言のまま、作業台の上に置いてあったソフトボール大の黒い石――黒核石の原石を手に取り、レオルドの足元に転がした。


ゴトリ、と鈍い音を立てて石が止まる。


「そいつの波長を探ってみろ。お前なら分かるはずだ」


レオルドは震える手で黒核石を拾い上げた。


そして、自身の腰に提げられた聖剣へ視線を落とす。


鞘は黒い封印紐で固く縛られている。


だが、そこから漏れ出す魔力の波長までは隠せない。


レオルドは手の中の黒核石と、自身の聖剣を交互に見比べた。


「これは……聖剣と、同じ魔力の波長……。まさか、聖剣の核となる素材ですか?」


「そうだ。人間側が『奴隷鉱山』と呼ぶ巨大な穴底で、そこの子供たちに掘らせていた石だ」


ゲンの声は、怒りではなく、冷徹な事実だけを突きつけるように響いた。


「防護服もなしに魔力溜まりの中で素手で掘らせ、倒れれば鞭で叩き起こす。そうやって魔族のガキどもの血肉をすり潰して掘り出されたのが、お前の腰にあるその綺麗な『正義の剣』だ」


「嘘、だ……」


レオルドの唇が震えた。


彼は手の中の黒核石を取り落とし、まるで汚物でも触ってしまったかのように、自身の聖剣から手を離した。


「教会は……大司教猊下は、魔族から人間を守るために聖剣を授けてくださった……。我らの戦いは、光のもとにある正義だと……っ!」


「正義ってのは、随分と高くつくもんだな」


ゲンはぶっきらぼうに言い放った。


「だが、鉄は嘘をつかねぇ。お前の剣がどうやって作られたか、目の前のガキの傷が証明してる。それが現場の真実だ」


レオルドは両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちそうになった。


彼が幼い頃から信じ、そのために命を懸けてきた崇高な教え。それが、罪なき弱者の搾取と虐待の上に成り立っていたという事実。


長年信じ切っていた彼の『正義』が、音を立てて完全に折れた瞬間だった。


「私は……私は……」


レオルドは虚ろな目で宙を彷徨わせた後、よろけるようにして背を向けた。


「どこへ行く気だ」


「……確かめなければ。アルヴァレムに戻り……猊下に、真実を……」


足取りはおぼつかず、今にも倒れそうだったが、彼は大工房の出口へと向かっていった。


ザガンの兵士たちが鋭い視線を向ける。


だが、ゲンもザガンも、彼を引き留めることはしなかった。


「……可哀想に。あの人、もう自分が何を信じたらいいのか分からなくなってますね」


リュシアが同情するように呟いた。


「知ったこっちゃねぇよ。自分が握ってる道具の意味くらい、自分で背負うのが使い手の責任だ」


ゲンは再び作業台に向かい、子供たちのための新しい、痛みのない靴の留め具を作り始めた。



* * *



同じ頃。


魔王領から遠く離れた聖王国アルヴァレムの中心、聖剣教会の最奥に位置する大聖堂。


ステンドグラスから差し込む色とりどりの光が、祭壇の前に立つ男の姿を照らし出していた。


豪奢な純白の法衣に身を包んだ、荘厳で慈悲深い顔立ちの中年男――大司教バルザックである。


「……ほう。奴隷鉱山が、たった数人の襲撃で陥落し、奴隷どもがすべて逃げ去ったと」


バルザックは、ひれ伏して報告をする神官に向かって、極めて穏やかな声で言った。


「はい。見張りの者たちの報告によれば、魔法の封印が物理的に『解錠』されており、鉱山そのものには一切の傷がなかったと。……例の、魔王軍に与する人間の鍛冶師の仕業かと思われます」


「なるほど。厄介な小賢しさを持った鼠ですね」


バルザックは祭壇の上のロザリオを撫でながら、微かに目を細めた。


「それに加え、勇者レオルドが軍を離脱し、単独で魔王領の職人と接触した痕跡があるとの報告も受けております。鉱山の事実を知られた可能性が……」


神官が言葉を濁すと、バルザックはふっと冷ややかな笑みを漏らした。


「……純粋すぎる剣は、わずかなヒビから呆気なく折れるものです」


慈悲深さを装っていた彼の声から、一切の温度が消え去った。


「彼は真面目すぎました。光を知る者は光だけを見ていればよいものを、裏側の影を覗き込もうとするとは。もはや、彼に神の加護たる勇者の資格はありません」


「では……」


「異端審問局を動かしなさい」


バルザックは静かに、だが絶対的な権力を持った響きで命じた。


「勇者レオルドは魔族に魂を魅入られ、神を裏切った反逆者となりました。彼が再びアルヴァレム領へ戻った瞬間、即座に捕縛し……異端として、ひっそりと処理しなさい」


神官が恐縮して退室すると、バルザックは再び一人で祭壇に向き直った。


「正義とは、私が決めるものです。教会の威信を揺るがす者は、勇者であろうと許しませんよ」


山奥の職人が突きつけた事実が、勇者の心を壊し、そして、聖王国という巨大な組織の暗部を本格的に蠢かせ始めていた。


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