第24話 勇者の鎧に入った亀裂
魔王領の防衛線、人間側との最前線に位置する巨大な岩の砦。
ゲンは砦の物見櫓に立ち、遠眼鏡越しに眼下に広がる戦場を視察していた。隣には、結界の維持と前線の魔力探知を任されているリュシアが控えている。
魔王軍の兵士たちは、ゲンが改良した『死なない鱗鎧』と『折れない短槍』を装備し、人間側の重装騎士団の猛攻を粘り強く凌いでいた。
「……ん?」
ゲンの遠眼鏡の先で、戦列の均衡が大きく崩れる箇所があった。
人間側の陣形の中から、一際眩い純白の聖鎧を纏った青年が単騎で突出してきたのだ。
勇者、レオルドである。
彼は神の加護を受けた聖剣を高く掲げ、凄まじい魔力の光と共に魔王軍の盾陣に斬り込んだ。
『退がれ、魔族ども! 神の御名において、この道を切り拓く!』
レオルドの剣閃は鋭く、そして重い。
だが、彼の剣に斬りつけられた魔王軍の兵士たちは、かつてのように一撃で両断されることはなかった。鱗鎧の曲面が剣の軌道を僅かに滑らせ、致命傷を避けているのだ。
「……おい、リュシア」
ゲンは遠眼鏡から目を離さず、ぽつりと呟いた。
「あの勇者様の着てるピカピカの鎧。お前の目にはどう映ってる?」
「え? ああ、聖鎧ですね」
リュシアは目を細め、魔力探知の精度を上げた。
「すごい魔力量です。神聖魔法の加護が幾重にも編み込まれていて、生半可な魔法攻撃なら完全に無効化する防御壁を形成しています。……正直、今の魔王軍の戦力じゃ、まともに傷をつけるのも難しいんじゃないでしょうか」
「そうか。お前ら魔術師には、あれが立派な鎧に見えるんだな」
ゲンは鼻で笑った。
「俺には、今にも泣き出しそうなガラクタにしか見えねぇよ」
「えっ?」
「あの鎧、腰のジョイント部分の動きがおかしい」
ゲンは遠眼鏡の焦点を微かに動かした。
「断言はできねぇが、歩くたびに左だけ動きが遅れてる。脇腹の装甲板も僅かに浮いてやがる。あれは中の留め具が死にかけてる時の揺れ方だ」
「留め具が……?」
「腐食してるか、過去の戦いで受けた衝撃が蓄積して、リベットが緩んでるか。どっちにしろ、まともじゃねぇ」
ゲンが見抜いたのは、鎧の内部そのものではない。
歩くたびに僅かに遅れる装甲板。
剣を振るたびに不自然に揺れる腰回り。
外側に現れた、ごく小さな挙動の乱れだった。
「それに、あの勇者様……剣に魔力を込めすぎるせいで、反動を鎧の同じ箇所で受け止めちまってる」
ゲンは目を細める。
「あのまま戦い続ければ、そう遠くないうちに自重と衝撃に耐えきれなくなって、装甲が弾け飛ぶぞ」
「そ、そんな……。でも、教会の最高戦力ですよ? 出発前に、ギルドの最高位の鍛冶師たちが点検くらいしてるはずじゃ……」
「してねぇんだろうな」
ゲンは遠眼鏡を下ろし、面倒くさそうに首の裏を掻いた。
「あいつら、自分たちの作った『神の加護』ってやつを過信しすぎてる。魔力が満ちていれば金属は劣化しないとでも思ってやがるんだろ。……アホらしい。鉄は嘘をつかねぇ。手入れを怠れば、必ず壊れる」
ゲンの言葉を証明するかのように、戦場の真ん中で異変が起きた。
『おおおおおっ!』
レオルドが、立ち塞がる魔族の重装歩兵に向かって踏み込む。
その瞬間。
腰の奥で。
ギ……ッ。
小さな、嫌な金属音が鳴った。
「……?」
レオルドの動きが、一瞬だけ鈍る。
左脇腹の装甲が、身体についてくるのが僅かに遅れたような感覚。
だが。
激しい戦場の只中で、その違和感に構っている余裕はなかった。
レオルドは聖剣へさらに魔力を込め、渾身の突きを放つ。
ガキィィィンッ!
甲高い金属音が響き渡る。
レオルドの聖剣が、魔族兵の鱗鎧に激突した。鎧の構造によって剣先は滑らされたものの、その凄まじい衝撃の反動が、レオルド自身の身体へと跳ね返った。
――バキンッ!
嫌な破断音が、戦場の喧騒を切り裂いた。
レオルドの左脇腹。
ゲンが指摘していた腰のジョイント部分の装甲板が、内部の留め具の限界を超え、弾け飛ぶようにして外れ落ちたのだ。
「なっ……!?」
レオルドの顔が驚愕に歪んだ。
絶対の防御を誇るはずの聖鎧が、敵の攻撃を受けたわけでもないのに、自らの放った一撃の反動で崩壊したのだ。
装甲が外れ、無防備になったレオルドの脇腹に、反撃に転じた魔族兵の槍の石突がクリーンヒットした。
「ぐはっ……!」
レオルドは血を吐き、大きく後ろへと吹き飛ばされた。
『勇者様!!』
慌てて駆け寄った聖騎士たちが彼を庇い、盾陣を組んで後退していく。
魔王軍の兵士たちは、無闇に深追いはしなかった。彼らはゲンの教え通り、無謀な突撃よりも陣形の維持と「死なないこと」を優先している。
戦線は再び膠着状態へと戻った。
一方、人間側の後方陣地。
治療用の天幕のベッドに横たわるレオルドは、治療院の神官による回復魔法を受けながら、茫然と天井を見つめていた。
脇腹の打撲は魔法で癒えつつある。だが、彼の中に芽生えた冷たい疑念は、魔法では決して消し去れないものだった。
「……なぜだ」
レオルドは、傍らに置かれた、装甲が剥がれ落ちた聖鎧をじっと見つめた。
出撃前、聖剣ギルドの鍛冶長は確かに言ったはずだ。
「大司教猊下の祈りが込められたこの鎧は、いかなる邪悪な刃も通さない、完璧な防具である」と。
だが、現実はどうだったか。
敵の刃を受ける以前に、鎧は自らの力に耐えきれずに自壊した。
ふと。
レオルドの脳裏に、数日前に防衛砦の門前で対峙した、あの薄汚れた前掛け姿の男の言葉が蘇った。
『表面は綺麗に磨き上げて誤魔化してるがな、中身はボロボロだ』
『鉄は嘘をつかねぇ。現場で無理をさせりゃあ、いつか必ず壊れる』
あの男――魔族に与する人間の鍛冶師は、聖剣の僅かな歪みと音から、その内部に亀裂があると見抜いた。
では。
この聖鎧の脆弱さも、彼には見えていたのだろうか。
「まさか……」
レオルドは小さく首を横に振った。
「教会の言葉が……ギルドの職人たちの仕事が、あの魔族に与する男の目に劣るというのか?」
それは、レオルドが幼い頃から信じて疑わなかった「神の正義」という揺るぎない世界観の根幹を揺るがす、恐ろしい疑念だった。
神の加護を受けた武具が、絶対の力を持たないとしたら。
自分たちが掲げる聖戦は、一体何の上に成り立っているというのか。
「……私は、何を信じて剣を振るえばいい」
治療院の静寂の中、勇者の純粋な信仰の壁に、初めてはっきりとした「亀裂」が走った。
それは、折れた聖剣の破片よりも鋭く、彼の心を蝕み始めていた。




