序章
しんしんと世界が終わりを告げる。大陸の中央都市も数多の種族が息してきた土地も全て、空から零れ落ちる白いものに包まれる。私自身ここに在ることもあやふやになっていく。忘却は無、無は死、死は……。寒さも感じない両手を見つめて、ふと空を見上げた。灰白色の空一帯の中で一つこちらを覗く丸い月があった——。
日没、路地裏の隅で美しいものを目にした。暗闇の中で全身血だらけの女が横たわり、空を見上げている。儚げな表情で見上げるその様は哀愁に満ち溢れていた。だから、自然と自分もそうしていた。青い感情と赤い感情が溶け合っている感覚に自然と鼓動が早くなる。
「……」
意識を戻して女に恐る恐る近づいていく。こちらに気づいているのか、あと一歩進めば殺されるか…。
それでも吸い寄せられるように足が進んでいく。距離を詰めていくと綺麗な銀髪がよく見える、血に濡れてより一層艶かしい。あと一歩…もう確実に彼女の視界に入るところまで来た。
「おい、お前…」
いつの間にか声が発せられて、緊張で固唾を呑んだ。
「生きているのか…」
ずっと聞こえていた彼女の微かな呼吸はいつ止まってもおかしくない。そよ風の騒々しさに鼓動が早くなると、綺麗な銀髪の前髪が揺れた。
「生きてるの……?」
開幕
——とりあえずこんな状況の時はすぐさま逃げる。中央都市の執行官どもに見つかっては厄介だ。体全体を布で隠し、焦る気持ちを抑えつつも今出せるギリギリのスピードで街中を駆ける。
「あんまり揺らさないで」
優しく抱き抱える腕の中で血まみれの女から発せられた音。見た目はひどい状態で内臓も傷ついている可能性があるため、出来るだけ気を遣ってはいた。この傷は複雑な事情がありそうだし、病院に行くのは躊躇われた。
この”中央都市”はあらゆる種族が暮らしている”ノイエヴェルト大陸”の中心に位置している。それぞれ獣人や魔族、吸血鬼など別々の土地を有しているがここでは様々な種族が出入りしている。よって犯罪や小競り合いが多発している中、これを取り締まるものがいなければ秩序は保たれない。
全身に鋼の鎧を纏いその中身は何一つわかりはしない兵士たち、それが執行官だ。そしてこの執行官を束ねる上位の存在が”大陸守護者”と言われる五人の中央都市最高の強者である。
基本的に大陸守護者は中央都市の外側の土地を監視している。都市内の事件は小さなものばかりがほとんどで執行官の手で収拾がつく。しかし、都市外での動向は目が離せない。多種族が生きるこの大陸に争いが起きないわけはなかった——。
道中執行官を目にはしたものの、なんとか気付かれることなく廃図書館に辿り着くことが出来た。あまりここには来たくなかったんだけど…致し方ない。
ドアの無い枠を通り抜けて奥に進む。昼間でも薄暗い部屋が今や真っ暗だ……それゆえ割れた窓から差し込む月光がよく映えている。本の置いていない棚を横目に奥のカウンターまで辿り着く。元受付と思われるカウンターの床下を開けると下に階段が続いてる。正直ここまで女を抱えて移動するのは重労働だった。自分の汗が彼女の顔に滴り落ちる。
「んっ……」
……反応があるということは大丈夫そうだ。階段を降りてしばらく歩いた通路の先に今回の目的地、鉄の扉がある。ノックもせずに中に押し入る。中は書斎というか社長部屋というか、中央に診察用のベッドがあるので病室というか……。壁一面にはいつのものかも分からない本がびっしり、床には散らばった紙たち。そしてそいつは俺を待っていたかのように——。
「鬼も角折るか」
はっはっは、と道家の如く笑っていた。
その女は楽しそうに俺のつま先から頭まで値踏みするように見つめている。実際サングラスをつけているので視線は視えないがこの女はそうだ、最近なんとなく分かってきた。この胡散臭そうな女は「北条 奈由夏」だ。ブロンドのショートカットにサングラス、服装はパンツスーツで黒いジャケットを羽織っておりスタイルの良い体がよく映えている。北条との付き合いはそこまで長くはないが何度か頼まれごとを受けているのでその悪賢い性格がよく分かっている。彼女に頼み事するということはそういうことになる。
「この女診てやってくれないか?血だらけで多分ひどい傷だ」
抱えていた女を部屋中央の診察用ベッドに預ける。寝ているのか死んでいるのか分からない程静かだった。
「あのな、前にも言ったがここは病院じゃないんだぞ。私は別に医者でもないんだし」
「分かってるけど、種族も状況もわからないやつを都市の病院に診せるわけにはいかないだろ」
中央都市の病院に診せるということは執行官の耳にも入るということだ。怪我の経緯まで聞かれる、本当に知らないんだが厄介ごとに巻き込まれるのは必須だった。
「……とりあえず、頼む」
この大陸ではよく見かける状況ではある。けれど、なぜか、よくわからないが足を止められたんだ。
「……ったく、これはツケだからな」
北条はサングラスを外して彼女をじっと見つめた。彼女の見た目は外見だけでは種族の判別がつかなかった。しかし、色白い肌になんとなく吸血鬼を連想していた。
「うーん…これは精密な血液検査でもしないとわからんなー。一応怪我の方も診てみる」
「よろしく頼むよ、終わったら知らせてくれ」
部屋を出て通路を進む、階段を上がり地上のカウンターに出る。やることもないので外に出て夜空を見上げる。
「そういや今日は満月か……」
満月の日は負の感情が高まり災い、不吉なことが起こると聞いたことがある。
「俺は人助けをしたんだぞ…不運になってたまるか」
悲観に浸りそうな心を空に向けると、暗い帷の中から光り輝く月がこちらを覗いていた。




