第九十話:白き盾の試練、濾過への光明
高出力スパーク連続発生装置の改良は、魔道具工房の技師長の卓越した技術により、レオナールの期待を上回る速さで進められた。当初の試作品で課題となった高出力域での段階調整や、警告ベル・表示盤の改善、そして何よりも安全性を高めるための魔力制御回路の多重化。レオナールがベルク紙に詳細な改善案を書き出し、技師長と数度にわたる綿密な打ち合わせを重ねた結果、ついに完成品と呼べる装置が、あの鉛とモルタルで厳重に遮蔽された実験区画に再び鎮座した。
完成した装置で、レオナールはギルバートと、そして時折興味深そうに(あるいは心配そうに)様子を見に来るターナー教授が見守る中、慎重に、そして何度も照射実験を繰り返した。その結果、最大出力である16384倍での連続稼働は、魔道具そのものには耐えられても、術者であるレオナールへの魔力的・身体的負担が無視できないほど大きいことが改めて確認された。数分間の照射でも、全身が重くなるような疲労感と、魔力が急速に吸い上げられるような独特の消耗感は、長時間にわたる実験には不向きであることを示していた。
「やはり、このエネルギーレベルでの連続運用は現実的ではないな……」
レオナールは、様々な出力レベルと照射時間を変えながら、自身の体感と、遮蔽壁内外に設置した光感知センサーの反応を入念に記録していった。そして、最終的に、彼が「実用的かつ持続可能な上限」として設定したのは、およそ13000倍という出力レベルだった。このレベルならば、数時間の連続運転を行っても、術者への負担は許容範囲内に収まり、かつ装置の安定性も十分に確保できると判断したのだ。
その13000倍出力をリミットとし、レオナールは本格的な滅菌効果の検証に着手した。最初のターゲットは、以前と同様、マルクスが培養した表皮ブドウ球菌と思われる細菌の懸濁液だった。これを石英ガラス製の密閉容器に入れ、遮蔽された照射野に設置し、13000倍出力で10時間という長時間にわたる連続照射を行った。
しかし、結果は芳しくなかった。照射後の懸濁液を栄養培地に塗抹し培養しても、依然として多数の細菌コロニーが出現したのだ。殺菌活性は、ほぼ見られないと言ってよかった。
「やはり、液体培地そのものへの照射では、効果が薄いか……」レオナールは、実験結果を前に深くため息をついた。
一方で、同じ細菌懸濁液を寒天培地の表面に薄く塗抹し、それを直接照射した場合には、全く異なる結果が得られた。比較的低エネルギーの出力で、わずか数十分照射しただけで、培地表面の細菌はほぼ完全に死滅し、コロニーの形成は全く見られなくなったのだ。
「この差は、一体何だ……?」レオナールは、二つの異なる結果を前に、思考を巡らせた。「液体と固体表面。その違いが、これほどまでに効果に影響を与えるとは。考えられるのは……」
「……水か。液体培地に含まれる大量の水が、発生した高エネルギーの『見えざる力』——おそらくはX線に近い性質を持つ放射線だろう——を吸収し、減衰させてしまっているのかもしれない。レントゲン写真で、水分を多く含む炎症部位や、あるいは心臓のような密度の高い臓器が、空気の多い肺野よりも白く、つまりX線を通しにくい形で写し出されるのと同じ原理だ。寒天培地の場合は、細菌が表面に露出しており、水による吸収の影響を受けにくいため、比較的低エネルギーでも効果が見られたのだろう」
その考察は、彼の中でストンと腑に落ちた。そして同時に、この高エネルギー照射による滅菌というアプローチの限界も見えた。液体培地の大量滅菌には不向きであり、仮に24時間連続照射を続けたとしても、水による吸収効果を考えれば、結果が劇的に変わるとは思えなかった。
「放射線滅菌という道は、現時点では、液体培地の大量処理という目的には適さない、と判断せざるを得ないな。器具の表面殺菌や、あるいは特定の耐性菌への最終手段としては有効かもしれないが……。やはり、抗菌薬のスクリーニングを本格的に進めるためには、まず濾過による滅菌技術――フィルトレーション――の確立こそが本命か」
レオナールの結論は明確だった。高エネルギー発生装置の研究は、将来的なX線診断装置などへの応用も視野に入れ、基礎研究として継続する価値はある。だが、喫緊の課題である液体培地の滅菌については、別の道を優先すべきだった。
そんな試行錯誤を繰り返しているうちに、約束の一月は瞬く間に過ぎ去り、商業省での引き継ぎを終えたクラウスが、正式に物質科学研究センターの研究員としてレオナールのチームに合流する日がやってきた。抗菌薬スクリーニングの基盤技術はまだ未完成の状態ではあったが、新たな仲間、それも精密測定の専門家という心強い戦力が加わることは、レオナールにとって大きな喜びだった。
クラウスの歓迎会も兼ねたささやかな宴の後、研究室にはレオナール、ターナー教授、マルクス、そして新加入のクラウスという四人が顔を揃えていた。今後の研究方針について、改めて確認と役割分担を行うためだ。
「さて、クラウス君も加わってくれたことだし、我々の研究体制も新たな段階に入る」ターナー教授が、センター長として、やや改まった口調で切り出した。「現在の主な研究テーマは、私が主導している『元素の地図作り』、そしてレオナール君が中心となって進めている『抗菌薬作り』と『鎮痛薬作り』の三本柱、ということになるな」
レオナールは頷き、それぞれの進捗と今後の課題について説明を始めた。
「元素の地図については、引き続き先生のご指導のもと、皆で協力しながら進めていきたいと考えています。ローネン州での経験から、未知の元素、あるいは既知であってもその毒性や生体への影響が不明な元素の特定は、極めて重要であることが明らかになりましたから」
「うむ。あれは、我々にとっても大きな教訓だった」ターナー教授も同意した。「クラウス君の精密な質量測定技術は、この研究においても大きな力となるだろう」
「次に、抗菌薬作りですが」レオナールは続けた。「これが現在、最も大きな課題を抱えています。まず、アオカビなどが産生するかもしれない抗菌物質を評価するためには、その物質を抽出する液体培地そのものを、確実に滅菌する方法を確立しなければなりません。先日の高エネルギー照射実験の結果からも、液体培地の大量滅菌には、やはり濾過が最も現実的であると考えられます。ベルク紙では限界がありましたが、より微細な孔を持つフィルター素材の開発が急務です」
彼は、新しく加わったクラウスに視線を向けた。
「そこで、クラウスさん。あなたには早速、このフィルター素材の開発に取り組んでいただきたいのです。ギルバートに、製法や材質の異なる様々な素焼きの器——例えば、目の細かい粘土を低温で焼いたものや、特殊な鉱物粉末を混ぜて成形したものなど——を、王都中の工房から集めさせています。それらの器が、液体から細菌やカビの胞子をどの程度取り除くことができるか、その濾過性能を評価していただきたい。マルクスさんが培養してくれている非病原性の細菌懸濁液を使い、濾過前後の生菌数を比較する、といった方法で検証できるかと考えています」
「素焼きの器による濾過、ですか。なるほど、材質や焼成温度によって孔の大きさが変わるため、フィルターとしての可能性がある、と。非常に興味深いテーマです。お任せください。私の持つ測定技術と、これまでの度量衡管理の経験を活かし、最適な素材と条件を見つけ出してみせます」クラウスは、実直な顔つきに決意を滲ませ、力強く応じた。彼の几帳面さと精密さがあれば、この地道な検証作業も着実に進むだろう。
「ありがとうございます。マルクスさんには、引き続き、私が以前お願いした、様々な感染症が疑われる患者さんから、原因となっている可能性のある細菌を分離・培養し、その性状を記録していただく作業をお願いします。将来的には、それらの病原性細菌に対する、アオカビ培養上清の効果をスクリーニングしていくことになります。そのためにも、まず安全な培養環境と、確実な滅菌法が必要なのです。そして、染色法についてですが、先日、アシュトン先生にも私が開発した核染色法や色素のスクリーニング方法をお送りし、ご意見を伺っているところです。こちらでも、並行して、クロマトグラフィーの技術を応用し、より選択性の高い細胞染色用色素の分離・精製を、マルクスさんと共に進めていきたいと考えています」
「承知いたしました。病原微生物の収集と培養、そして色素の探求。薬師としての知識が活かせる分野ですので、全力を尽くします」マルクスも、温和な笑顔で頷いた。
最後に、レオナールは鎮痛薬作りについて言及した。
「アヘンの研究については、マルクスさんのご尽力のおかげで、先日、教会に正式な研究計画書を提出し、現在、その審議が進められていると伺っています。許可が下り次第、まずはクロマトグラフィーを用いて、アヘンに含まれる多数の成分を分離し、それぞれの鎮痛効果と副作用を動物実験などで評価し、最も治療効果が高く、かつ安全性の高いフラクション(画分)を同定することを目指します。そして、可能であれば、その有効成分を結晶として単離し、より純粋な形で利用できるようにしたい。これもまた、クラウスさんの精密な手技と、マルクスさんの薬化学的な知見が不可欠となるでしょう」
三つの大きな研究テーマ。それぞれが密接に関連し合い、そしてそれぞれの専門家がその能力を発揮する。新しい仲間クラウスの合流は、レオナールの研究チームに新たな推進力をもたらし、彼の目指す「魔法医療」の実現への道を、また一歩、確かなものへと押し進めるはずだった。研究室には、それぞれの課題に取り組む決意を新たにした四人の静かな熱気が満ちていた。




