第八十七話:不可視光の片鱗
高エネルギースパーク発生装置の試作を魔道具工房の技師長に依頼してから、わずか三日後のことだった。レオナールが物質科学研究センターの自室で、アオカビの培養上清の濾過方法について、ベルク紙に複雑な構造のフィルター素材のアイデアを書き留め、その実現可能性について頭を悩ませていると、ギルバートがやや興奮した様子で息を切らせて駆け込んできた。
「レオナール様! 先ほど、魔道具工房の技師長殿から使いの者が参りまして、『試作品が、ほぼ形になった。一度、ご確認いただきたい』とのことでございます!」
「もうか!?」
レオナールは驚きと共に、思わずペンを取り落としそうになりながら椅子から立ち上がった。技師長の卓越した技術力と仕事の速さは前回の恒温装置の件で理解していたつもりだったが、予告されていたとはいえ、あの複雑な要求仕様の装置をこれほど早く形にするとは、彼の予想を遥かに超えていた。あの「見えざる力」の探求への第一歩が、すぐそこに迫っている。彼の胸は、未知への期待と、それに伴う科学者としての純粋な興奮で高鳴った。
「分かった。すぐに工房へ向かう。ギルバート、準備を頼む」
魔道具工房に到着すると、技師長はいつものように金属部品と設計図に囲まれながらも、どこか誇らしげな、そしてわずかに疲労の色を浮かべた表情でレオナールを迎えた。彼の職人としてのプライドと、この数日間の奮闘ぶりが窺える。工房の一角には、黒曜石のような鈍い光沢を持つ特殊合金と、乳白色のセラミック素材で組み上げられた、高さ五十センチメートルほどの堅牢な円筒形の装置が鎮座している。その側面からは、魔力供給用と思われる太い水晶のケーブルが数本伸び、先端には細かな調整ダイヤルとレバーがいくつも並んだ操作盤らしきものが接続されていた。装置全体からは、制御された高エネルギーを扱うための、一種独特な機能美と威圧感が漂っている。
「おお、レオナール様、お待ちしておりましたぞ。早速ですが、こちらがご依頼の『高出力スパーク連続発生装置』の試作品でございます」
技師長は、装置の滑らかな金属部分を、まるで愛しい我が子でも紹介するかのように、誇らしげに手のひらで軽く叩きながら説明を始めた。
「まず、魔力量の設定でございますが、若様がおっしゃった通り、あの『光が出なくなる程度の魔力』を基準の『1』といたしました。そして、出力の上限ですが、これは正直かなり悩みました。若様のご要望は『魔道具の安全性と、技師長のご判断にお任せ』とのことでしたが、あまりに未知数の領域でしたのでな。結局、一般的な魔術師が無理なく、かつ安全に供給できるであろう魔力量…そうですね、平均的な人間が連続して安定的に出力できる魔力量の、おおよそ半分程度までとし、それを上限として設定しております。具体的には、基準値の16384倍までをリミットとさせていただきました」
「16384倍……!」
レオナールは息をのんだ。彼が提案した2の14乗という、対数スケールでの段階的増強を忠実に再現した結果だろう。想像を絶するエネルギー量だ。前世の記憶にある、放射線発生装置の出力とは比較のしようもないが、この世界の魔力という未知のエネルギーが、これほどの規模で一点に集中された時、一体どのような現象を引き起こすのか。期待と同時に、その制御の難しさと潜在的な危険性に対する畏怖の念も感じずにはいられなかった。
「正直なところ、若様に言われた通り、まだ4倍までの出力テストしか行えておりません。」技師長は、少しばかり慎重な表情で続けた。その目には、未知の領域に踏み込む技術者特有の興奮と、同時に潜む危険への警戒が混じっている。「ですが、現状の設計と素材の耐久性、そして魔力供給の安定性を考慮いたしますと、16384倍の出力であっても、魔力量的に、おそらくは…まあ、多分大丈夫なのではないかと。魔道具そのものが即座に破損したり、暴走したりするような兆候は、少なくとも理論上は見受けられません。とはいえ、実際にその出力で作動させた場合の周囲への影響は、全くの未知数ですが」彼の言葉の端々からは、職人としての矜持と、安全への最大限の配慮が感じられた。
「十分です、技師長。素晴らしい出来栄えです。素材の選定、魔力回路の設計、そしてこの精密な加工。これならば、計画通りに実験を進められそうです」レオナールは、装置の精緻な作りに感嘆しながら礼を述べた。この魔道具は、彼の探求にとって、まさに強力な武器となるだろう。
「それから、若様」技師長は、何かを思い出したように、作業台の引き出しから手のひらサイズの小さな、黒水晶のような板でできた魔道具を取り出した。表面には微細な魔法陣が刻まれている。
「実は、この装置の試運転中に、一つ興味深いことがありましてな。これは、ほんの数年前に開発されたばかりの、比較的新しい技術なのですが、光を感知する魔道具でして。特定の強さ以上の光に反応して、この水晶板が微弱な魔力を帯びる、という仕組みなのです。先日、『光らないスパーク』を発生させている状態で、試しにこれを近づけてみたところ……明確に反応があったのです。それも、かなり強い反応が」
「光センサーが…反応した?」
レオナールは、その報告に内心で大きな衝撃を受けていた。彼の仮説が、予期せぬ形で裏付けられたのかもしれない。だが、表情には出さず、あくまで冷静に、そして科学的な好奇心を示すように尋ねた。
「それは非常に興味深い現象ですね。おそらく、我々人間の眼が認識できる光の範囲には限りがあり、あのスパークは、我々には見えないだけで、実際には何らかの『光』、あるいはそれに類するエネルギーを放出しているのかもしれません。その『見えない光』に、そのセンサーが反応した、ということなのでしょう。それはつまり、私が今回探求したい『見えざる力』の本質に、極めて近いものである可能性を示唆しています。スパークが光らなくなる現象は、従来考えられていたような、単なる魔力の浪費や、制御の失敗といったものとは全く異なる、より深遠な物理現象の一端である可能性が示されたのかもしれません」
レオナールの声には、抑えきれない興奮が微かに混じっていた。
内心では、別の、より具体的な可能性に考えが及んでいた。
(光センサー!この世界に、既にそのような魔道具が存在していたとは!しかも、目に見えないはずの高エネルギー状態のスパークに反応した…?それは、つまり、高エネルギーの電磁波、例えば紫外線よりもさらに波長の短い、X線にも反応する可能性を示唆している!これがあれば、もしかしたら、物質の透過性の違いを利用した画像診断装置、つまり、前世で言うところのX線撮影装置や、あるいは放射線を検知・測定するガイガーカウンターのようなものも、原理的には作れるかもしれないぞ!)
それは、彼の「魔法医療」構想にとって、計り知れないほどの大きな一歩を意味していた。診断技術の革命。その可能性に、彼の胸は高鳴った。この偶然の発見は、まさに天啓と言えるかもしれない。
「左様でございますか。やはり、若様は既にご存知でしたか。いやはや、我々職人には到底及びもつかない発想ですな。このセンサーも、元々は強力な照明魔法の光量測定や、あるいは特定の魔法障壁のエネルギー漏洩検知などに使われるもので、まさか『光らないスパーク』に反応するとは、我々も全く予想しておりませんでした」
技師長は、レオナールの言葉に改めて感心したように頷いた。彼の探求心の深さと、知識の幅広さに、改めて敬意を抱いたのだろう。
「ともかく、この魔道具、お持ち帰りになりますかな? 最終的な調整や、遮蔽機構の設置などは、若様の研究室の方で行われると伺っておりますが」
「はい、ぜひ。早速、実験の準備に取り掛かりたいと思います。この光センサーも、もし可能であれば、いくつかお借りすることはできますでしょうか? 『見えざる力』の性質を調べる上で、非常に重要な手がかりになるかもしれません」
「おお、そうでございますか! もちろんですとも。このセンサーはまだ試作品の段階で、いくつか予備もございます。どうぞ、お持ちください。若様のような方にお使いいただけるなら、このセンサーも本望でしょう」
技師長は快く申し出てくれた。
レオナールは、完成したばかりのスパーク連続発生魔道具と、数個の光センサーを、ギルバートと共に、物質科学研究センター内の、彼専用の研究個室に隣接する小規模な実験準備室へと慎重に運び込んだ。二人掛かりとはいえ、魔道具そのものは見た目よりも軽量化されており、成人男性二人ならば十分に運べる程度の重量だった。
「ギルバート、例のものを手配してくれ。鉛の厚板と、それからモルタルを大量にだ。この装置の周囲を、完全に覆う必要がある。そして、作業は細心の注意を払って、決して装置に衝撃を与えないように」
レオナールは、ギルバートに、その声に普段以上の緊張感を込めて指示を出した。
「かしこまりました。鉛とモルタルでございますね。すぐに最高品質のものを選び、専門の職人を手配いたします」
ギルバートは、主人の真剣な表情に、これから始まる実験の重要性と、そしておそらくは未知の危険性を感じ取り、迅速に行動を開始した。
レオナールは、運び込まれた魔道具を改めて見つめた。黒曜石のような金属の輝き。それは、未知の力を解き放つための、静かなる祭壇のようにも見えた。これから、この装置を使って、高エネルギーの「見えざる力」を制御し、そしていつの日か、医療へと応用する。その遠大な計画の第一歩が、今、まさに踏み出されようとしていた。鉛とモルタルによる厳重な遮蔽壁が完成すれば、いよいよ最初の照射実験が開始されるだろう。彼の心は、わずかな不安と、それを遥かに凌駕する期待、そして科学者としての純粋な探求心で満たされていた。そして、あの小さな光センサーが、その探求の羅針盤となるかもしれないという、新たな希望も抱きながら。




