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血液内科医、異世界転生する  作者:
Principal Investigator
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第七十五話:夜景の中の密談、外科への道筋

宮内大臣が立ち上がり、朗々とした声で告げた。

「皆様、宴も酣ではございますが、これよりは隣の『月のテラス』にて、立食での歓談の席をご用意しております。どうぞ、今宵の夜景と共に、更なる語らいをお楽しみくださいませ」

その言葉に、会場は再び華やいだざわめきに包まれた。重厚な扉が静かに開かれ、人々は三々五々、隣接するより広々としたホールへと流れ始める。レオナールも、父アルフォンスや、いまだ美食の余韻に浸っているターナー教授と共に、その流れに身を任せた。


案内されたホールは、先ほどの晩餐会場の荘厳さとは異なり、より開放的で洗練された空間だった。天井は高く、壁面には淡い色彩の抽象画が飾られ、柔らかな魔法の光が間接照明のように室内を満たしている。中央には、芸術品のように盛り付けられたカナッペやプチフール、そして色とりどりの果物が並ぶビュッフェ台が設えられ、その周りでは既に多くの人々がグラスを片手に談笑を始めていた。そして、このホールの最も大きな特徴は、壁一面がガラス張りになっており、その向こうに広大なテラスが続いていることだった。


テラスに出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫で、レオナールのわずかに火照った思考を冷ましてくれる。眼下には、王都アステリアの夜景が広がっていた。前世で見た大都市の、それこそ地上から星空を映したかのような人工的な光の洪水とは比ぶべくもない。家々の窓から漏れる生活の灯り、街路を照らす魔法の街灯、そして遠くに見える建物から放たれる荘厳な光。それらが織りなすのは、どこか温かみがあり、それでいて広大な、この世界ならではの夜のパノラマだった。空には無数の星が瞬き、まるで王都の灯りと競い合っているかのようだ。


(美しい……。だが、この平和な光景の裏にも、ローネン州のような悲劇や、あるいはゴードンさんのような、まだ手の施しようのない病に苦しむ人々がいるのだな……)


レオナールは、しばし夜景に見入っていたが、すぐに現実に引き戻された。立食形式に移ったことで、人々の動きはより自由になり、彼への挨拶の波は、むしろ勢いを増していたのだ。


「ヴァルステリア公子、先ほどは陛下と大変親しげにお話しされておられましたな。いやはや、お見それいたしました。我が娘も、公子のような聡明な方に少しでもあやかりたいと申しておりまして…」

「レオナール様、先のローネン州でのご尽力、我が商業ギルドでも高く評価しております。つきましては、ヴァルステリア領との新たな交易路について、一度ご相談させて頂きたく…」

「これはレオナール殿。特別研究科の構想、実に素晴らしい。我が魔法省としても、今後の連携について大いに期待しておりますぞ」


次から次へと、途切れることなく続くお歴々の挨拶。その多くは、国王の覚えもめでたい若き才能への賞賛と、自らの利益に繋げようという下心が透けて見えるものばかりだった。レオナールは、内心のうんざり感を悟られぬよう、努めて穏やかな笑みを浮かべ、一人一人に丁寧に対応していく。前世の経験から、こうした社交辞令の応酬には慣れていないわけではないが、いかんせん数が多すぎる。そして、相手が皆、王国の中枢を担う大物ばかりとあっては、ぞんざいな扱いは許されない。


(……少し、疲れたな。同じようなお世辞と、遠回しな要求の繰り返しだ。彼らは、今回の研究内容や、本当に目指していることよりも、『ヴァルステリア家の公子』という立場や、『国王陛下に認められた若き才能』という看板にしか興味がないのだろうな……)


そんな彼の様子を察してか、父アルフォンスが時折助け舟を出し、巧みに会話を引き取ってくれたり、ギルバートが絶妙なタイミングで新しい飲み物を勧めて、わずかな休息の時間を作ってくれたりした。その細やかな配慮が、今のレオナールにとっては非常にありがたかった。


(父上も、こうして日々、多くの貴族や役人たちと渡り合っておられるのだな……。領主という立場も、楽ではない)


そんなことを考えていると、ふと、テラスの隅で、夜景を眺めながら静かにグラスを傾けているファビアンの姿が目に入った。彼は、喧騒の中心から少し離れた場所で、まるで何かを待っているかのように佇んでいた。


(今しかない……!)


レオナールは、近くにいた貴婦人への挨拶を適当なところで切り上げると、父に軽く目配せをし、人混みを縫うようにしてファビアンの元へと急いだ。


「ファビアン殿。お邪魔してもよろしいでしょうか」


声をかけると、ファビアンはゆっくりとレオナールの方を振り返った。その表情は、先ほどまでの宴席でのものと変わらず冷静沈着だが、その瞳の奥には、レオナールを見定めているかのような、鋭い光が宿っていた。


「レオナール公子か。いや、邪魔ではない。むしろ、君が来るのを待っていたところだ」

その言葉は、まるでレオナールの考えを見透かしているかのようだった。

「確か、勅許奏聞の儀が終わった後、控えの間で、君から外科医術について、より詳しい話が聞きたいという申し出があったな。あの時は時間がなく、この晩餐会の席で、と約束したはずだ。多くの挨拶で疲れているところだろう。まずは、労わせてくれ。よくやったな、レオナール公子。君の功績は、本当に素晴らしいものだった」

ファビアンの労いの言葉は、社交辞令ではない、心からのもののように感じられ、レオナールの疲労感をわずかに和らげてくれた。


「ありがとうございます、ファビアン殿。そのお言葉だけで、疲れも少し和らぐようです」レオナールは苦笑しつつ、本題に入った。「それで、早速で恐縮ですが……以前、北東辺境領の外科的な技術について断片的な情報をいただきましたが、その後、何かお分かりになったことはございますでしょうか? あの時、ちゃんとした情報が得られれば、改めて君に伝える、とおっしゃっていましたが……」


ファビアンは、レオナールの真摯な眼差しを受け止めると、ふっと息をつき、テラスの欄干に片肘をついた。その視線は、眼下に広がる王都の夜景へと向けられている。


「あれから、私なりにいくつかの筋を辿って、改めて詳細を調べてみた。以前話した内容は、まだ不確かな情報も多かったからな。だが、ようやく確度の高い情報が集まってきたと言えるだろう」

彼の声は、周囲の喧騒から隔絶されたかのように、静かで低い。


「君が求める『外科』の技術だが、やはり、私が以前伝えた通り、王国の北東部、隣国との緊張が絶えない国境地帯に存在する。具体的には、アンブロワーズ伯爵領だ。あの地は、長年にわたり、武力紛争の最前線であり続けてきた。必然的に、戦傷者の治療、それも王都の薬師では到底対応できないような、重篤な外傷への対処が、彼らにとって死活問題となってきたのだ」


レオナールは、息をのんでファビアンの言葉に耳を傾ける。


「そして、その技術の担い手だが、領主家そのものではない。領都アンジェに本拠を置く、ある商家…名を『グライフ商会』という。彼らが、実際にはその外科技術を保有し、実践している。表向き、グライフ商会は隣国との交易、特に武具や魔法素材の取引で財を成した大店だが、その裏では、歴史的に紛争が絶えない土地柄を利用し、一種の『事業』として、戦傷者の治療…創傷の縫合、骨折の整復、四肢切断といった外科的処置を専門に請け負ってきたようだ」


「商家が、外科を事業として……?」レオナールは、その事実に改めて驚きを禁じ得なかった。死と隣り合わせの技術が、商業活動として成り立っているという現実に、倫理的な葛藤を覚えつつも、同時に、そこにこそ技術が磨かれる必然性があるのかもしれない、とも感じた。


「うむ。そして、さらに興味深いのは」ファビアンは続けた。「アンブロワーズ領は、地理的な要因から、古くから様々な種族が混住している。亜人のコミュニティも少なくないと聞く。そのグライフ商会では、外科治療の担い手として、多くの亜人が雇用されているという情報がある。理由は定かではないが、彼らが持つ特有の身体能力…例えば、猫人族の優れた視力や手先の器用さ、あるいはドワーフ族の強靭な体力や精密な金属加工技術などが、外科手術という繊細かつ体力を要する作業に適していると判断されたのかもしれないな。あるいは、彼ら独自の治癒魔法や薬草知識が、その技術体系に取り入れられている可能性も否定できん」


(亜人が外科を……。確かに、彼らの身体的特性は、特定の医療行為において、人間以上の適性を示すかもしれない。これは、非常に重要な視点だ)


「そして、最も重要な点だが」ファビアンの声が、さらに一段低くなった。「アンブロワーズ領では、現領主であるアンブロワーズ伯爵の特別な許可のもと、限定的ながら人体解剖が行われている。それも、グライフ商会が主導する形でな。戦死者や、時には法的に処刑された罪人の遺体を用い、人体の内部構造を詳細に研究し、その知見を外科技術の向上に直結させている。君のヴァルステリア家の書庫にもあったという、あの精密な解剖図。あれも、おそらくはグライフ商会が作成し、何らかのルートを通じて王都に流通したものだろう。彼らは、その解剖図を定期的に発行し、一部は高値で取引されているという話だ」


「解剖が……行われている……」レオナールの声が、わずかに震えた。前世では当たり前だった人体解剖が、この世界では禁忌に近い行為とされている。その禁忌を破り、実際に人体の内部を観察し、記録している者たちがいる。そして、その成果が、解剖図という形で、既に彼の知識の一部ともなっていたのだ。


「聞くところによれば」ファビアンは、レオナールの反応を確かめるように、ゆっくりと言葉を続けた。「一部の『傾奇者かぶきもの』…つまり、常識にとらわれない知識欲の強い貴族や富裕な学者、あるいは腕の良い薬師などが、グライフ商会に多額の謝礼を支払うことで、その解剖に『参加』、あるいは見学することも可能らしい。もちろん、全ては秘密裏に行われ、公になることは決してない。だが、もし君が、その『対価』を支払い、かつ彼らに認められるだけの『何か』を示すことができるならば……あるいは、君もその貴重な機会に浴することができるかもしれん」


ファビアンの言葉は、レオナールにとって、暗闇の中に差し込んだ一筋の強烈な光だった。外科技術の習得。そのための解剖学の知識。彼が渇望していたものが、具体的な形で、手の届くかもしれない場所に存在している。


「アンブロワーズ伯爵は、なかなかに合理的で、進取の気性に富んだ人物だと聞く。君がローネン州で成し遂げた功績や、君の持つ『特別研究科』という新しい研究の場、そして君自身が持つであろう新しい知識には、大いに興味を示す可能性がある。だが、彼もまた、自領で行われている解剖や外科といった技術が、王国の法や教会の教えに照らして、極めて『異端』であることを理解している。表立ってその技術を外部に広めたり、安易に部外者を受け入れたりするようなことは、まずないだろう。もし君がグライフ商会やアンブロワーズ伯爵に接触しようと考えるならば、それ相応の覚悟と、極めて慎重な交渉、そして何よりも、彼らが君を『信用に値する人物』だと認め、協力を惜しまないと思わせるだけの『価値』を示す必要があるだろうな」


ファビアンの情報は、詳細かつ具体的で、そして多くの示唆に富んでいた。アンブロワーズ領、グライフ商会、亜人の外科医、そして禁断の解剖。それは、レオナールが目指す「魔法医療」の創設という壮大な目標において、避けては通れない、そして極めて重要な道筋を示していた。


「ファビアン殿……」レオナールは、込み上げてくる興奮と感謝を抑えながら、言葉を紡いだ。「その情報は……私にとって、何よりも得難い、貴重な道標です。本当に、ありがとうございます。このご恩は、決して忘れません」


彼の声には、揺るぎない決意が込められていた。王都の夜景が、彼の瞳の中で、未来への希望を映して、より一層鮮やかに輝きを増したように見えた。この宮中晩餐会は、単なる祝宴ではなかった。それは、レオナールの人生における、新たな、そして極めて重要な扉を開くための啓示の場となったのだ。


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