第七十四話:王宮の祝宴、交錯する思惑と次なる一手
勅許奏聞の儀式が厳粛に執り行われた日の夕刻。レオナールは、父アルフォンス、そしてターナー教授と共に、王宮から正式に招かれた晩餐会へと向かった。儀式を終えた安堵感と、これから始まるであろう新たな研究生活への期待、そして何よりも国家的な栄誉を賜ったことへの緊張感が、彼の胸の中で交錯していた。
侍従に案内された晩餐会の会場は、王国の威光を内外に示すに相応しい、壮麗な大広間だった。磨き上げられた大理石の床は鏡のように人影を映し、天井からは無数の魔法灯が組み合わされた巨大なシャンデリアが、星々のように眩い光を放っている。壁面には、アステリア王国の歴史的場面を描いたと思われる壮大なフレスコ画が広がり、その色彩の豊かさと構図の力強さは、見る者を圧倒する。会場の隅々には、精巧な細工が施された魔法仕掛けの噴水が清らかな水の音を響かせ、芳しい花の香りが微かに漂っている。まさに、贅を尽くしたという言葉が相応しい空間だった。
宮内省の役人に導かれ、レオナールたちが案内されたのは、大広間の中でも一段高くなった主賓席に近い、明らかに上座と分かるテーブルだった。席次も事前に決められているようで、アルフォンス、レオナール、そしてターナー教授は三人並んで着席することになった。周囲を見渡せば、宰相閣下をはじめとする各省の大臣、王族に連なる有力貴族、そして宮廷魔術師団の重鎮らしき顔ぶれなど、まさに王国の中枢を担う人々が顔を揃えている。その厳粛かつ華やかな雰囲気に、レオナールは改めて自身の立場と、今日の儀式の意味の大きさを感じずにはいられなかった。一方で、エルミーラさんたちローネン州再調査団の技術班のメンバーは、その功績こそ認められているものの、身分の違いからか、会場の中ほど、やや離れた席に配置されているのが見て取れた。彼らは少し緊張した面持ちで、しかし誇らしげに周囲の様子を窺っている。
やがて、国王エルネスト三世が姿を見せると、会場は静まり返り、厳かな雰囲気の中で晩餐会が始まった。落ち着いた、しかしどこか祝祭的な響きを持つ管弦楽の生演奏がBGMとして流れ始める。次々と運ばれてくる料理は、いずれも最高級の食材を使い、宮廷料理人たちの粋を集めたであろう逸品ばかりだった。色鮮やかな魚介のマリネ、黄金色に輝くコンソメスープ、そしてメインディッシュとして供されたのは、じっくりと時間をかけて火を通されたのであろう、柔らかな仔牛肉のローストだった。
(この肉の火の通り具合……おそらく低温で長時間加熱したのだろうな。経験則として、食中毒を起こさないぎりぎりの温度帯と時間を把握しているのか、あるいは何か特別な魔法を使っているのか……。いずれにせよ、科学的な根拠がなくとも、経験の積み重ねというのは侮れないな)
レオナールは、そんなことを考えながら、ナイフとフォークを進めた。
隣のターナー教授は、目の前に並べられる美食と、注がれる芳醇なワインに、早くも目を輝かせている。レオナールも何度か経験しているが、こうした場での教授のはしゃぎっぷりは、もはや毎度お馴染みの光景であり、一種の御愛嬌とも言えた。その表情は普段の研究室での険しさとは打って変わって、まるで子供のようである。「うむ!この鳥肉の焼き加減、絶妙ではないか!皮はパリッとして、中は驚くほど柔らかい!そしてこのソースとの相性も抜群だ!」などと、普段の寡黙さが嘘のように、一つ一つの料理に感嘆の声を上げている。まさに美酒美食に心奪われているといった体で、その様はどこか微笑ましい。やがて、彼は隣に座る、学者然とした雰囲気の老貴族(どこかの大臣だろうか)と、何やら専門的な話で盛り上がり始めた。老貴族も、ターナー教授が熱っぽく語る「根源粒子」の話や、物質の成り立ちに関する新しい考え方に、目を輝かせて聞き入っている。意外なことに、この世界の権力者の中にも、純粋な知的好奇心を持つ人物はいるらしい。
デザートの皿が運ばれ、食事が終わりに近づく頃になると、会場のあちこちで席を立ち、挨拶に回る人々が増えてきた。レオナールたちのテーブルにも、ひっきりなしに来客が訪れる。その多くは、レオナールの功績を称える言葉と共に、彼を自らの派閥に引き込もうとするような、あるいは何らかの支援を申し出ることで恩を売ろうとするような、政治的な意図を隠さない者たちだった。
そんな中、国王から直々にお呼びがかかった。レオナールは父アルフォンスと共に、緊張した面持ちで玉座の近くへと進み出る。
「レオナール・ヴァルステリア公子、そしてアルフォンス辺境伯。本日は誠に慶賀の至りであった。特にレオナール公子、そなたの若き知性と勇気は、多くの民を救い、王国に大きな希望を与えてくれた。心から感謝する」
エルネスト三世は、儀式の時とは打って変わって、柔和でフランクな口調でレオナールを労った。その言葉には、一国の王としての威厳と共に、一人の人間としての温かみが感じられ、レオナールの緊張も少しだけ和らいだ。父アルフォンスもまた、息子の功績が国王に直接称賛されたことに、深い感動と誇りを覚えているようだった。
「それで、レオナール公子」国王は、興味深そうな目でレオナールを見つめた。「そなたの奏聞にあった『特別研究科』では、具体的にどのような研究を進めようと考えておるのだ? ターナー教授と共に進めている物質の根源に関する探求も興味深いが、そなた個人として、特に探求したい分野などがあれば、聞かせてもらえぬか?」
国王からの直接の問いかけに、レオナールは一瞬言葉を選んだ。彼の最終目標である「医学と魔法の融合」をどこまで話すべきか。彼は、国王の真摯な関心を感じ取り、自身の目指す方向性の一端を、慎重に、しかし熱意を込めて語ることにした。
「はっ。陛下よりそのようなお言葉を賜り、恐悦至極に存じます」レオナールはまず恭しく礼を述べた。「私が『特別研究科』において探求したいと考えておりますのは、生命そのものの理、そして、人々を苦しめる病の原因を深く理解し、それらに対処するための新たな知識と技術の体系でございます。ターナー先生との物質研究も、そのための重要な基礎となると考えております。具体的には……」
彼は、ヴァルステリア領の診療所で目の当たりにした、手の施しようのない病に苦しむ人々の姿や、ローネン州での経験、そしてそれらを通して感じた既存の医療の限界について、率直に語った。そして、その限界を打ち破るために、細胞や微生物といった微小な世界の探求や、外科的なアプローチの必要性、さらには魔法を応用した新しい診断・治療法の可能性といった、彼が抱く壮大な構想の輪郭を、国王に伝えた。
国王は、レオナールの言葉に静かに耳を傾け、時折深く頷いた。その表情からは、若いレオナールの持つ、常識にとらわれない発想と、人々の苦しみを救いたいという真摯な思いに対する、深い理解と期待が感じられた。
「……なるほど。生命の理、病の克服か。実に壮大で、そして意義深い目標だな。そなたのその若さで、そこまで深く物事を見据えているとは、頼もしい限りだ。特別研究科が、そなたのその高き志を実現するための、良き土壌となることを願っておるぞ。何か困ったことがあれば、いつでもファビアンを通じて朕に伝えるが良い」
「もったいのうございます、陛下」
国王との会話は、レオナールにとって、自身の目標を改めて確認し、そして国家の最高指導者から直接的な理解と激励を得るという、計り知れないほど貴重な経験となった。
しかし、国王陛下への挨拶を終えると、そこからはまさに挨拶回りの連続だった。宰相閣下、各省の大臣、有力な貴族の当主たち。上座に近い席にいたこともあり、彼らは次から次へとレオナールとアルフォンスの元を訪れ、儀礼的な称賛の言葉や、時候の挨拶、そして時には遠回しな自領への利益誘導の願いなどを口にする。レオナールは、その一人一人に、ヴァルステリア家の公子として、そして今回の功績を挙げた者として、礼を失することなく、しかし自身の考えをしっかりと持って対応した。
(……やれやれ、これはなかなかに骨が折れるな)
内心では、そう呟かずにはいられなかった。次から次へと現れるお偉方、繰り返される同じような会話、そして笑顔の裏に隠された様々な思惑。前世でも学会や病院内のパーティーなどで似たような経験はあったが、国家の中枢となると、その規模も複雑さも段違いだ。彼は、表面上は穏やかな笑みを崩さず、父アルフォンスと連携を取りながら、この社交の戦場を乗り切ろうとしていたが、じわりじわりと精神的な疲労が蓄積していくのを感じていた。
(早く立食形式に移ってくれないものか……。ファビアン殿にも話を聞きたいのだが……)
レオナールは、遠くのテーブルで他の武官たちと静かに談笑しているファビアンの姿を横目で見ながら、そんなことを考えていた。彼の宮中晩餐会は、まだ始まったばかりだった。




