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血液内科医、異世界転生する  作者:
Principal Investigator
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第六十一話:冬の王都、元素の地図と遠き報せ

王宮での濃密な分析任務を終え、王立アステリア学院に戻ってから数週間が過ぎた。季節は冬。王都は冷たい空気に包まれ、寄宿舎の窓からは時折ちらつく雪が見えた。ローネン州での調査から続く長期の不在は、彼の学業に大きな遅れをもたらしており、レオナールはその補填に追われる日々を送っていた。幸い、副学長の計らいで公休扱いとはなったものの、二年次の膨大な課題レポートや補講ノートの作成は必須であり、暖炉の火が燃える自室でベルク紙の山と格闘する時間が続いていた。


そんな缶詰状態の日々にも、ようやく終わりが見え始めていた。そして、新年を越えれば、三年次への進級と専門課程の選択が待っている。

(政務科、騎士科、そして領地経営科……。俺の目標に直結する課程はないが、選ばねばならない。父上の期待、ヴァルステリア家の将来を考えれば、やはり領地経営科が最も現実的だろう。魔法科や騎士科ほど時間に縛られず、研究を続ける余裕もあるはずだ)

彼の心は、ほぼ領地経営科へと傾いていた。貴族としての責務を学びながら、空いた時間でターナー教授やアシュトン博士と共に、自らの真の目標である研究を進める。それが、今の彼が取れる最善の道だった。


学業の遅れを取り戻す傍ら、彼の周囲には常にファビアンが手配した護衛の気配があり、彼らは定期的に外部の情報をもたらした。ある日、課題の合間に暖炉の前で一息ついていると、護衛チームの一員が静かに近づき、低い声で報告を始めた。

「レオナール様、ローネン州の件ですが、続報が入りました。我々の分析報告と、ファビアン様を中心とした宮廷からの働きかけが功を奏し、蒼鉛鉱山は先日、ついに完全に操業を停止したとのことです。ローネン子爵家、及びゴルディン商会は、現在、王国の厳しい監視下に置かれております」

「……そうか。鉱山は、止まったのだな」

レオナールは、静かに頷いた。ローネン州の人々を苦しめていた汚染源が、ついに断たれた。それは、多くの犠牲と努力の上に勝ち取られた、大きな前進だった。安堵と共に、わずかな達成感が胸に広がる。だが、彼は知っていた。ゴルディン商会のような巨大な組織が、これで完全に沈黙するとは考えにくい。根本的な解決——汚染された環境の浄化や、住民への補償、そして責任の追及——は、これから始まる長い道のりなのだ。

「ありがとう。引き続き、情報の収集を頼む」

彼は短く礼を述べ、護衛を下がらせた。ローネン州の状況が改善に向かっているという事実は、彼の研究への意欲をさらに掻き立てた。


課題に目処が立ち始めると、レオナールは再び『アステリア学院 物質科学研究センター』——あの真新しい実験棟——に足を運ぶ時間が増えた。そこでは、ターナー教授と共に、新たな探求が始まっていた。ローネン州の事件で未知の毒性粒子(相対質量約75の根源粒子As-003)を特定した経験は、彼らに物質の根源に対する理解を深めると同時に、さらなる体系的な知識の必要性を痛感させていた。


「先生、やはり我々が発見してきた『根源粒子』を整理し、その性質を一覧化する必要がありますね。それぞれの相対質量、反応性、そして既知の化合物での存在形態などをまとめた表があれば、今後の研究の大きな助けになるはずです」

真新しい実験室で、レオナールはベルク紙 に記した表を示しながら提案した。目指すは、異世界版「元素周期表」の完成だ。


「うむ、『元素の地図』か。悪くない響きだ。よし、やろうではないか」

ターナー教授も、ローネン州の事件を通して、この基礎研究の重要性を再認識しており、意欲的だった。

二人の地道な作業が、再び始まった。過去の実験データの再検証、様々な物質サンプルの分析、精密な質量測定、そして複雑な計算。最新の設備とベルク紙を駆使し、彼らは一つ一つの「根源粒子」のプロフィールを埋めていく。


「この金属光沢を持つ粉末は、炎にかざすと鮮やかな緑色を呈する。相対質量は約64……やはり銅(Cu)で良いか?」

「こちらの無色の液体は、沸点が低く、特有の匂いがある。炭素と水素の複合粒子、いわゆる『有機物』の一種でしょう。これを分離・分析する技術も必要になってきますね」


時には魔法的な性質(特定の魔法に対する反応性など)も参考にしながら、彼らは未知の元素地図を着実に描き進めていく。それは、前世の知識というアドバンテージがありながらも、この世界の法則性を手探りで確認していく、骨の折れる作業だった。


レオナールは、この基礎研究に没頭しながらも、常にその先を見据えていた。

(この地図が完成すれば、物質への理解は飛躍的に深まる。それは薬の開発、毒物の解明、そして生命現象そのものの理解に繋がるはずだ。ローネン州のような悲劇を繰り返さないためにも、そして、いつか母のような病に立ち向かうためにも……この知識は不可欠なのだ)


冬の日は静かに過ぎていく。積み重なった学業の課題はようやく終わりが見え、レオナールの意識は再び、ターナー教授と共に進める元素の地図作りへと深く向けられていた。真新しい実験棟の窓の外では雪が舞い落ちているかもしれないが、研究室の中では、世界の根源を解き明かそうとする静かな熱気が満ちている。彼の作る元素の地図は、まだ空白ばかりだ。


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