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血液内科医、異世界転生する  作者:
ローネン州の真実
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第四十六話:技術継承の始まり

新しい実験棟の骨組みがほぼ完成し、内装や設備の搬入が始まろうかという、そんなある日の午後。再び、研究室の扉がノックされた。以前の宮廷文官やファビアンの訪問とは違い、どこか実務的な、複数人の気配を感じさせるノックだった。


「どうぞ」

レオナールが応じると、扉が開き、ファビアンの部下と思われる文官に先導され、男女合わせて五人の人物が入室してきた。彼らは皆、王国の紋章が入った実用的な制服や、あるいは薬師や錬金術師を思わせる動きやすい服装に身を包んでおり、その表情は真剣そのものだった。歳は二十代から四十代くらいまでと様々だが、いずれも知的な鋭さと、専門家としての自信を窺わせる。彼らは、混沌の名残をとどめる研究室を一瞥したが、特に動揺する様子もなく、レオナールとターナー教授に向かって一様に敬礼した。


五人の中から一歩前に進み出たのは、落ち着いた雰囲気を持つ三十代半ばほどの女性だった。彼女はレオナールたちに改めて丁寧に一礼すると、代表して口を開いた。

「ターナー教授、レオナール公子。ご紹介に預かりました、エルミーラと申します。我々五名は、勅命に基づき、ファビアン様の指揮下でローネン州再調査団に加わり、この度、先生方からクロマトグラフィー技術の指導を賜るべく派遣されて参りました」


エルミーラと名乗った女性の言葉遣いは丁寧で、理路整然としていた。彼女の後ろに控える四人——うち二人は男性、二人は女性——も、真剣な眼差しでこちらを見ている。薬草や鉱物に詳しそうな者、精密な魔道具の扱いに長けていそうな者など、ファビアンが言っていた通り、それぞれの専門分野で選抜された人材であることが見て取れた。


「我々の任務は、先生方が開発されたこの画期的な分析技術を可能な限り速やかに習得し、ローネン州から送られてくるサンプルを正確に分析することにあります」エルミーラは続けた。「既に、ファビアン様が手配された先遣隊が現地入りし、汚染が疑われる地域の水や土壌、そして住民の方々からの検体採取を開始しております。順調にいけば、数週間後には第一弾のサンプルが王都に到着する見込みです」


「数週間後……思ったよりも早いな」ターナー教授が眉をひそめて呟いた。


「はい。事態はそれだけ喫緊であるとのご判断です」エルミーラは頷いた。「つきましては、大変恐縮ながら、それまでに我々が基本的な技術を習得できるよう、ご指導をお願いしたいのです」


そして、彼女は少し言い淀むように、しかし明確に付け加えた。

「それから、一点、重要な申し送り事項がございます。今回の調査におけるローネン州からの公式サンプルの分析につきましては、様々な事情——証拠保全の観点や、後の報告における客観性担保など——から、我々、調査団に所属する者のみが直接手を下すこと、と定められております。先生方には、技術指導と分析結果の解釈に関する助言をお願いすることになりますが、実際の操作は我々が行う、ということで……ご理解いただけますでしょうか」


それは、レオナールとターナー教授が直接、公式サンプルに触れることはできない、ということを意味していた。レオナールは内心、(やはり、そうなるか。公的な調査となれば、手続きの厳密さは当然だ)と納得した。ターナー教授は少し不満そうな顔をしたが、勅命が絡む国家的なプロジェクトである以上、異を唱えることはできないと理解しているようだった。


「承知いたしました。手続き上の必要性については理解します。我々は、皆さんが正確な分析を行えるよう、持てる知識と技術を惜しみなくお伝えしましょう」レオナールが応じると、エルミーラは安堵の表情を浮かべた。

「ありがとうございます。それでは、早速ですが、ご指導をお願いできますでしょうか」


こうして、急遽、ターナー教授の研究室を借りる形で、クロマトグラフィー技術の集中講義が開始されることになった。

まずは座学からだ。レオナールが中心となり、ベルク紙に図を描きながら、クロマトグラフィーの基本原理——固定相と移動相、物質の吸着と分配、分離が起こるメカニズム——を丁寧に解説していく。ターナー教授も、時折、物質の性質や溶媒の選択に関する専門的な補足説明を加える。派遣されてきた五人は、皆、真剣な表情で聞き入り、熱心にメモを取っていた。彼らの質問は的確で、それぞれの専門分野(薬学、錬金術、魔道具学など)の基礎知識がしっかりしていることが窺えた。


「——つまり、分離したい物質の性質に合わせて、この固定相と移動相の組み合わせを最適化することが、最も重要になります。例えば、水に近い性質を持つ物質と、油に近い性質を持つ物質とでは、適した組み合わせが異なります。水に近いものを分離したい場合は……」レオナールの説明に、五人は深く頷き、議論を交わし始める。


座学で基本的な理解を得た後、いよいよ実習に移った。ターナー教授の研究室の、比較的スペースのある実験台が、臨時の実習台となる。まずは、以前レオナールたちが論文作成の際に用いた夜想花の色素分離を、手本として見せることにした。カラムの準備、試料の添加、溶媒の流し方、そして色の帯が分離していく様子。五人は食い入るようにその手技を見つめていた。


「では、実際にやってみましょう。カラムの充填から。焦らず、均一になるように……」

レオナールとターナー教授の指導のもと、五人は慣れない手つきでカラムクロマトグラフィーの実習を開始した。最初は戸惑い、失敗もあったが、彼らはすぐにコツを掴み始めた。白いカラムの中で、夜想花の色素が美しいグラデーションを描きながら分離していく様子を見て、彼らの顔には驚きと興奮の色が浮かんだ。


「おお……! 見事に分かれていく……!」

「これが、クロマトグラフィー……!」


新しい知識と技術に触れる喜びが、研究室の空気を満たす。外ではまだ新棟建設の騒音が響いていたが、研究室内では、ローネン州の悲劇を解決するための、静かで熱心な技術継承が、確かに始まっていた。数週間後に迫る、第一弾サンプルの到着に向けて。

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