第1話 入学試験
私が久保田君と初めて会ったのは中学三年の二月。高校の入学試験会場だった。
一科目目の数学の試験が始まり、周りからカリカリと答案用紙に記入する筆記具の音だけが聞こえてくる。私も必死に答案用紙に答えを書き込んでいた。
試験時間が残り十五分を切ったあたりで全問の回答を終え、見直し作業に入る。三箇所、答えを間違えている事に気づき、答案用紙を破らない様に消しゴムで丁寧に消した。指先の力を抜いて消しゴムを掴んでいたため、消しゴムが紙に引っかかって指から消しゴムが離れていく。コロコロと消しゴムは転がり机の上から床へと落ち、隣の机との間の通路の真ん中で転がりを止めた。
私はパニックに陥った。手を上げて試験官を呼び、消しゴムを拾って貰えばいいだけなのに。それが出来ずに唯々固まっているだけだった。答えを間違えてると分かっているのに、このまま試験が終わってしまうと少なくても二十点を見す見す失ってしまう事になる。致命傷となるかもしれない。このままではいけないと分かっているのに…入試のプレッシャーに押しつぶされている私がいた。
このまま試験が終わるのかと己を恨めしく思い始めた時、前に座る男の子が不意に手を上げた。試験官が彼の机の横に来て、小声で彼と話をし始めた。試験官は腰をかがめて落ちている私の消しゴムを拾うと私の机に置き、無言で去っていった。私は何が起きたのか理解が出来ず、ただ呆然としてしまった。
「残り十分です。」
試験官の声にハッと我に返った。目の前に消しゴムがある。慌てて間違っている箇所を消して、正しい答えを記入していく。残り二分、一分…
「時間です。筆記具を置いて下さい。」
試験官の合図で会場にいる全員が筆記具から手を離す。なんとか訂正は間に合った。試験官が全員の答案用紙を集めると出ていった。
次の国語の試験開始まで二十分弱の休憩となった。
私は立ち上がると前の席に座る男の子の横に立った。
「あの…」
私が声をかけると男の子は私の方を向いた。私は息を飲んだ。一言で言うと美形。キリリとした眉。少し目尻が上向な切れ長の目。日本人には珍しく鼻が高い。口角の上がった薄い唇。一つ一つのパーツは特徴があるのに顔のバランスとしては纏まりがある、いわゆる醤油顔。
「何かな?」
彼がぶっきらぼうに答えた。鋭い眼光が私を捉える。気絶しそうだった。頬が赤くなるのが自覚できた。
「さ、先ほどは…あ、ありゅがとうごぢゃいましゅ。」
私は噛んでしまった。
彼は笑う事なく、平然としていた。
「気にしなくて良い。礼は要らない。困った時はお互い様だ。」
「でも…」
私は会話が終わってしまうのが嫌で、なんとか続けようとした。
「久保田君。」
私の後ろから彼に声をかける女の子の声。振り向くとそこには中学生とは思えない美人が立っていた。
涼しげな切れ長の奥二重。鼻は高く、薄めの唇は卯月型でキリリと引き締まっている。腰まである艶やかな黒髪を赤いリボンでハーフアップにまとめている。竹取物語や源氏物語にでも出てきそうな和風美人。
私は思わず見惚れてしまった。
「吉田か。なんだよ。」
「何よ!面倒臭そうにしないで欲しいわ。」
「別に面倒って訳じゃないぞ。」
「わかってるわよ。それより、この子は誰かしら?同じ中学の子では無いわね。」
私が着ている制服はセーラー服。吉田という彼女が着ているのは濃紺のブレザー。ブラウスに赤いリボンタイという出で立ち。隣町の公立中学の制服だった。
「私は佐伯貴子と言います。」
別にフルネームで答える必要は無かったのに…美男美女を目の前にして緊張していたのか私?
「私は吉田楓。このムスッとしてるのが久保田紀夫君。」
「ムスッとしてるのは生まれつきの顔のせいだ。」
「で、佐伯さんは久保田君に何用なんですか。」
「じ、実は…」
「おい。俺を放置するな。」
「久保田君は黙ってて下さい。佐伯さん、どうぞ。」
「はい。実はですね…」
私は消しゴムの一件を吉田さんに話した。
「ふーん。久保田君、立てましたね?」
「何を?」
「なんでもないです。」
吉田さんが私の顔を見てハァと溜息を吐いたのを記憶している。
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