13: もう捨て身でいくしか
「その会社が新たに発表した消毒薬を使用すると、術後の経過が見違えるほど良くなったそうです。メルハスでは王都中央病院で採用されていますが――」
驚愕と不安から始まったデートだけれど、フェルナンド様の巧みな会話術のおかげで私の気持ちは上向いてきていた。
薬ではなく体を切って悪いところを治してしまう外科技術は、この国ではまだ安全に行えるところは少ないし、そこでの手術はとんでもなく高い。けれど隣国では普及が進み、技術も日々進歩して安全性も向上してきているそうだ。彼の話す隣国最先端医療の話は興味深くて思わず聞き入ってしまう。
なんて、有意義な移動時間を堪能していた私だけれど、ふとあることに気がついた。
フェルナンド様の顔色、ずいぶん悪くないか? と。
キラキラ眩しい美貌と笑顔に誤魔化されていたけれど、よく見るとその目の下には隈があるし、髪にも艶がない。前に会った時よりも全体的に翳りがあって、うまく隠しているけど疲れが察せられた。
デートなんてしている場合ではなく、今すぐ帰って休むべきではないかと心配になってくる。
「あの、フェルナンド様。とてもお疲れなのではありませんか?」
思わず話をぶった斬って質問すると、フェルナンド様は少し驚いた様子ながらも、柔らかく笑った。
「確かに少し仕事が立て込んでおりましたが、よくあることですから。心配には及びませんよ」
心配には及ばないどころか、よくあることなんて言われると余計に心配になってくる。
けれどデートの中止を提案する前に、彼が言葉を重ねた。
「ですが今回のデートは、ゆっくりできる場所を選ばせてもらいました。目的地は歌劇場なんです。カーディス家が年間契約しているボックス席があるので、そこで昼食をとった後にオペラ鑑賞を楽しもうかと。昼公演は貴族の利用が少ないですし、早めに入って遅めに出れば、人目につくこともないでしょう」
「歌劇場……」
手紙でデートはどこがいいかと聞かれたので「人目につかない場所」とリクエストをしていたのだけれど、彼は私の希望通り人目につきにくく、かつ座っていられる負担の少ないデートを考えていたらしい。さすがだと感心してしまう。
「この数週間、あなたとのデートを励みに激務に耐えたのですから、楽しんでいただけると嬉しいです」
そしてこんな言われ方をされてしまうと、デートの中止も言い出しにくい。ずるいなぁと思いつつもとりあえず様子見することとした。
「私の希望を聞いてくださってありがとうございます。フェルナンド様も、ゆっくり過ごせるとよいのですが」
「こちらこそ、お気遣いありがとう。もし途中で寝てしまってもどうかお許しくださいね。過去に見たことのある演目なので、少し意識を飛ばしても後で感想を語り合うことはできますから」
茶目っ気のあるウインク付きのセリフに、こちらも笑顔を返す。
むしろ見たことのある演目ならぐっすり寝ていてほしいと思うけれど、完璧主義な気配を感じるフェルナンド様はデート中にうたた寝なんて意地でもしない気がして、どうしたものかとこっそりとため息をついたのだった。
わー、広い。
会場に到着して、年間契約席――すなわち金持ちしか入れないタイプのボックス席――に、初めて足を踏み入れた感想がそれだ。
6〜8人くらい座れそうなテーブルセットに、大きなソファ。応接ルームか何かかと思ってしまう。肝心の観劇スペースは一番奥にあるけれど、人目を避けるためか今はステージに面した部分にカーテンがかけられていた。
まだ開幕の1時間半くらい前とのことで、人気はほぼなく会場全体が静けさに包まれている。興味を抑えられなくてちらりとカーテンの先を覗いてみると、ステージもよく見えた。
ドレスコードの厳しくない昼公演は裕福な平民の利用が多く、貴族は好んで利用しない。そのうえフェルナンド様の手配は完璧で、歌劇場の正面ではなく裏手に馬車をつけ、人に会わないようボックス席まで係の人が案内してくれる徹底ぶりだった。
明かりが落とされてからカーテンを開ければ、きっと周辺の観客からは私の顔を識別できないし、顔見知りに目撃される可能性はとても低いはず。一段と気持ちが軽くなって、フェルナンド様を振り返った。
「素敵なお席ですね。連れてきてくださってありがとうございます」
「あなたが気に入ってくれたのならよかった。付き合いで契約しているものの、母がたまに利用する程度であまり活用できていないんです。昼公演はほぼ空いている状態ですから、また2人で来ましょう」
「はい」
さりげないお誘いに頷いていると、控えめなノック音が響き、フェルナンド様が手配してくれていた昼食が届いた。幕間の休憩時間にいただくような軽食がメインだけれど、むしろ雰囲気が出て楽しい。
でも私は軽めのワインを頼んだのに、フェルナンド様は意外にもノンアルコールのドリンクを選んでいた。
やっぱり、疲れてるんだろうなぁ。
会話はリードしてくれるし気遣いも欠かさないし、本当に隙を見せない人だと感心するけれど、意識して見ていれば気が付くこともある。
悩みつつも和やかに食事を終えて、さりげなく時計を確認すると、開幕までは半時以上あった。そして少し視線を動かすと、数人並んで座れそうな大きなソファが目に入る。
明日も仕事だと言う彼を、ここで少しでも休ませた方がいい気がした。
「フェルナンド様。開幕まではまだ時間がございますし、ソファで横になられてはいかがですか? お疲れのようで心配になってしまいます」
「おや、そんなに顔に疲れが出ていますか?」
私の提案に、困ったような表情で顔に手を触れた彼は、けれどすぐににこやかな笑みを浮かべる。
「でもせっかくの初デートで眠ってしまうなんてもったいない。それにあなたと話していると、眠るよりもよほど体調が良くなっている気がするんです」
それは絶対に気のせいだ。
休むのを拒否する彼を前に、こっそりため息をついた。
確かに、そんなに気心知れているわけでもない相手の前で無防備に寝るなんて、嫌かもしれない。でも起きていると気を使い続けるだろうし、私も彼の体調がすっごく気になってしまうのだ。
ちょっと悩んで、えいやと立ち上がる。彼みたいな人にこちらの意見を通そうと思えば、もう捨て身でいくしか手はない。女は度胸よエイリーン!
「では、せっかくのデートですもの」
己を鼓舞しながらソファに近づいて、一番端に腰掛けた。そしてポンポンと自分の膝を叩く。
「ただ休むのではなく、膝枕なんていかがですか?」
口に出した自分のセリフに全身を掻きむしりたくなりながらも、さらに言葉を続けた。
「それとも、私なんかに膝枕をされるのは、お嫌でしょうか……」
彼の性格からして、女性に恥をかかせるようなことはしないだろう。むしろここまでして断られたら、私は恥ずかしさのあまりデートから逃亡する自信があった。
断わられたらとっても傷つきますという視線を彼に向けて、その反応を待つ。この策が成功しても失敗してもそれなりにダメージを負うことになる私には、彼が反応するまでのその一瞬が、すごく長い時間に感じられたのだった。




