表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/45

【第38回】筆休みの講釈。

エッセイコラム「筆休みのぼやき」の第38回です。

今日のテーマは「講釈」。

よろしくお願いします。

 どうも、鍋島五尺と申します。



 さて、第38回です。

 5月5日から始まる新連載「供千様」に向けての1週間毎日エッセイ投稿・カウントダウン、5日目!

 連載まで早くも残り3日です。

 一日の終りに「筆休みのぼやき」をよろしくお願いします!!


 そして昨日、新連載に向け、「供千様」プロローグを公開致しました!

 もう既にお読みいただけたでしょうか。

 まだ読まれていないそこのあなた、本編のカギを握る重大なプロローグですので、お見逃しのないようにお気をつけください。


 プロローグってもしかしたら初めて書いたかもしれない。

 そもそも短編小説が多いですからね僕の場合。


 少しばかりおじさんの講釈にお付き合いください。

 テーマは「なぜ長編小説にはプロローグがつくのか。」

 その答えは、長編小説には流れがあるからです。

 では短編小説には流れがないのか。

 正直、僕はないと思っています。

 その理由は短編小説と長編小説が持つそれぞれの特性にあります。


 あくまで僕個人の解釈ですが。

 長編小説というのは”あるもの”に焦点を当てた作品です。

 それは人だったり動物だったり、はたまた無機物だったり。

 その”あるもの”にカメラを当てて、動画的な構成を取るのが長編小説です。

 短編小説というのは”あるとき”に焦点を当てた作品です。

 長い世界の歴史の中のとある一瞬。

 その”あるとき”をシャッターに収めるような、写真的な構成を取るのが短編小説です。


 とはいえ短編小説にも時間の流れは存在します。

 でも人間が感じることのできる時間の縮尺は限られてる。

 千年を超えれば無限に等しいし、1分を切れば一瞬に等しい。

 だから短編小説にある時間の流れは無視できる、というわけです。



 ということで、今回は講釈を垂れました。

 すまんかった。


 最後に今一度予告を。

 5月5日から始まる新連載に向け、本エッセイ「筆休みのぼやき」毎日投稿!

 そして昨日、5月1日には新連載「供千様」のプロローグを投稿致しました!

 是非お見逃しのないよう、お気をつけください。


 投稿の際は必ずSNSで告知をしております。

 小説家になろうの作品ページの一番上、作者マイページから僕のTwitterに飛べます。

 フォローいただけばリマインドにもなるのでおすすめです。

 ぜひよろしくお願いします!


 ここまで読んでくれてありがとうございました。

 それじゃあまた明日。


 鍋島五尺でした、ばいばい!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ