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64:見えない傷


 ピクシー事件が終結して数日後、アレンはいつも通り平穏に村で暮らしていた。畑を耕し、村長の相談に乗り、健康な汗を流す。至って平和な時間が流れている。そんな彼は今日もまた家の庭で剣の鍛錬を行っていた。しかしいつもと違うのはその場に居るのが娘のリーシャだけではなく、ダンの息子であるダイも並んで木剣を振っている事であった。


「ダイ、動きが鈍くなってるぞ。そろそろ休憩したらどうだ?」

「ま、まだやれます……っ!」


 アレンは切り株に座りながらその様子を見守りながらそう声を掛ける。するとダイは汗を流しながらひいひい声を漏らし、辛そうな表情を浮かべながらも気を引き締め直して木剣を鋭く振るう。既に彼は何時間もこの特訓を続けており、腕はパンパンになっている状態であった。だがそれでもダイは歯を食いしばってそれをやり続ける理由がある。


「ダイもう疲れたのー?男の子なのにだらしなーい」

「ぬぐぐ……!」


 ダイの横では本物の剣を軽く振り続けるリーシャの姿があった。ダイと違って疲れた様子など微塵も見せず、むしろ父親に指南されながら特訓出来るのを楽しむ余裕すら見せている。これがダイのやめられない理由だ。

 リーシャは先程から自分と同じくらいの回数の剣の素振りを行っている。それも木剣の何倍の重さがある本物の剣を使って。汗一つ掻かず軽々と振るその姿を見せられれば流石に大人しいダイでも引けない所があった。いくらリーシャが幼い頃から剣の特訓をしていたとは言え、男として情けない所は見せられない。せめて木剣程度の素振りを何百回もして弱音を吐くような事はしたくなかった。が、やはりまだ未発達のダイの子供の身体では限界があり、やがて木剣を持つ事すら出来ない程腕に力が入らなくなり、崩れるようにその場に膝を付いた。


「はぁっ……はぁっ……!」

「お疲れさん。もう十分だろう。リーシャも一旦休憩しよう」

「はーい」


 膝を付いているダイの肩をぽんと叩き、アレンは休憩するように指示を出す。リーシャもアレンの言う事にはきちんと従い、最後に鋭い一振りをし終えると満足そうな表情を浮かべて近くの切り株に剣を立てて自身も座った。ダイもふらふらになりながら切り株に座り、アレンから渡された水筒に口を付ける。冷たい水を飲むと全身の固まった筋肉が落ち着くのを感じた。


「はぁ……またリーシャに勝てなかった」


 たらふく水分を補給をした後、一息ついたダイは悔しそうに肩を落としながらそう言う。リーシャに負けたのは今回の素振りだけではない。ダイは他の特訓もアレンに指南を受けているが、その全てにリーシャに敵わずにいた。以前模擬戦をした時も力及ばなかった為、その悔しさは素直に大きい。


「いやいや、今回は良かったぞ。やっぱりダイには才能ある。ダンも昔から運動神経が良かったし、獣人持ち前の腕力もあるからな。良い素質持ってるよ」

「そ、そうですか……」


 落ち込んでいるダイを励ますようにアレンはそう言う。実際アレンの目から見てもダイは才能があった。リーシャと同じ量の鍛錬にも付いて来るし、動きも悪くない。剣を振る時も一振り一振りに熱意を込めて振っている為、その鋭さは徐々に研ぎ澄まされて行っている。何より獣人特有の運動センスの高さは抜群であった。勇者であるリーシャと一緒に居るから霞んでしまうが、ダイはきっと将来優秀な剣士へと成長するだろう。多くの新米冒険者を見て来たアレンはそう確信していた。だがダイは嬉しそうな顔をしながらもやはり女の子のリーシャに勝てない事への悔しさを払拭する事は出来ず、視線を下に落としてしまう。


「へへーん、まだまだ弟弟子には勝たせないよ。歳下でも私の方が姉弟子なんだからね」

「うぐ……分かってるよ」


 隣でブラブラと脚を動かしながらリーシャがからかうようにそう言う。ダイは素直にそれに従うしかなかった。歳下とは言えリーシャは幼い頃からアレンに剣を教わっており、むしろダイは最近剣に興味を持ち始めてアレンに教えを乞うようになった。そういう意味ではリーシャは先輩であり、剣術の姉弟子なのだ。リーシャはこの話題でダイをからかうのが好きなのか、事あるごとに自分の姉弟子という立場を使ってダイを顎で使ったりしていた。からかわれるのはシファで懲りているダイはいつかリーシャに勝って見せて立場を逆転させてやると腹の中で企んでいる。最もその実現性は限りなく低いが。


「ところで師匠、シェルさんってこの村に住む事になったんですか?父さんから聞いたんですけど」


 休憩の最中にふと気になる事を思い出したダイはシェルの今後の事を尋ねた。シェルが村に住むと言う話は父親のダンから聞き、ダンは村長から聞いていた。客人で一ヶ月もこの村に居たシェルの今後の事は一時リーシャ達の引き留め作戦に参加していた為、ダイも気になっていた。


「ああそうだよ。家の横に工房を建ててそこで魔術の研究をする予定らしい」

「そうなんですか。それは村の皆も喜びますね」

「ああ。シェルが居ると色々助かるからな」


 シェルは村人達とも仲が良く、困っている事があったら助けてくれる。アレンと同じく腕が立つ為魔物が出た時でも対処してくれる為、村人達には頼りになる存在であった。故にこの村に残ってくれるというのは本心から嬉しく、ダイも軽い気持ちで良かったと言葉を零す。するとその隣ではリーシャがどこか疲れたような顔をしていたが、何故そんな顔をしているのか分からないダイはきょとんとした表情を浮かべる。

 アレンにとってもシェルが村に居てくれる事は嬉しい。リーシャとルナの事は自分一人じゃ守り切れない事がある為、シェルのような事情を知ってくれている人は助かる。それに彼女は自分の口で傍に居たいと言ってくれたのだ。それがどういう意味なのかアレンは真に理解はしていなかったが、純粋に嬉しいと思えた。


「さて、それじゃ特訓を再開しようか。次は模擬戦だ」

「よーし! ダイ、手加減しないからね!」

「ッ……もちろん!」


 それからしばらくして体力も完全に回復した後、アレンは切り株から身体を起こしながら特訓の再開を告げる。次の課題は模擬戦となり、リーシャは用意してあった木剣を手に取るとブンブンと振り回しながら意気込む。ダイも改めて木剣を掴み、集中力を高めて構えを取った。

 結局その後の戦いでもダイがリーシャに勝つ事は出来ず、殆どリーシャの圧勝であった。そして特訓も終わり、アレンにお礼を言った後、ダイは自分の家に戻る為に村の道を歩いていた。その隣では何故かリーシャも一緒。アレンがお見送りをしてあげなさいと言った為、仕方なく付いて来ているのだ。


「ダイはねー、思い切りが足りないんだよ。私と模擬戦してる時剣を当てるの躊躇してたでしょ?怪我させちゃうとかって。そういうのが駄目なんだって」

「うっ……それくらい僕も分かってるよ」


 帰り道ではリーシャが今日の模擬戦の反省点をダイに伝える。ダイはまだ戦闘になれておらず、リーシャと違って魔物との戦いも経験した事がない為、他者に対して剣を振るうという行為に慣れていない。その為例え模擬戦であろうともリーシャとの剣の打ち合いの際にはどうしても一歩踏み込めない所があり、それがリーシャに勝てない大きな要因となっていた。その事はダイ自身も自覚しており、早く克服しなければと思っている。

 ふとダイは歩いたままリーシャの方に顔を向ける。ダンと同じくボサボサの紺色の髪をしているが、比較的整った顔つきをしているのは人間の母親譲り。真っすぐな瞳をリーシャに向け、彼は少し悩みながらゆっくりと口を開いた。


「あのさ……最近ルナ何かあった?」

「……え?」


 ダイからの予想していなかった質問にリーシャは勢いよくダイの方に顔を向ける。その黄金の瞳は僅かに戸惑う様に揺れていた。


「何で、そう思うの?」

「シファがルナと話してた時ちょっと暗かったって。僕にはいつも通り大人しいだけに見えたけど、シファはエルフだからね。何か感じたのかも」

「…………」


 どうやらシファからの情報らしく、以前シファが魔法の事で少し話したい事があるからと言って家に尋ねて来た時があった。その時にシファはルナとの会話に違和感を覚え、その事をダイに伝えたようだ。リーシャはあの時の事かと思い出し、気まずそうに頬を掻く。その様子を見てダイもやはり何かあったのかと心配そうな表情を浮かべた。


「この前のピクシー事件で何かあったの?例えば嫌な事とか……」

「あー……うん、まぁちょっとね。でも大丈夫だよ……ルナは強い子だから」

「それは僕も知ってる」


 確かにこの前の事件でルナは傷ついた。一時は暴走するまで事態は深刻化したが、アレンの訴えで何とか事なきを得た。だがそれでもルナに一つの残酷な決意をさせる事となり、少なからずリーシャはその事を気にしていた。ダイ達にはその事を知って欲しくない為、リーシャは誤魔化すように適当な言葉を述べるが、ダイは真っすぐな瞳でリーシャの事を見つめた。そんな真面目な顔で見られるとリーシャも言葉に詰まり、困ったように口をパクパクと動かす。


「二人は凄く強いよ。男の僕でも敵わないくらいリーシャは剣術が強いし、エルフのシファよりもルナは魔法が得意だ。僕達なんかじゃ全然敵わない」


 ダイはリーシャとルナがどれだけ強いかを知っている。あの強気なシファですらその事は認めるくらいだ。子供の彼らでも二人の才能は飛び抜けている。いくら幼い頃からアレンに剣術を習っているとは言えリーシャは単身で魔物を退けるくらいの実力を持ち、才能があるからと言って大魔術師と語り合えるくらいの魔法の技量をルナは持っている。これは普通の子供からすれば異質な事だ。最早嫉妬すら飛び越え、感動する程である。


「でもそれでも、僕達は友達だ……だから何か困った事があったら相談してくれると嬉しいな」

「……ッ」


 ダイの言葉はリーシャの胸にズキリと痛みを与えた。仕方がない事とは言え、リーシャは自分達の正体をダイとシファに隠している。二人が言いふらすなんて事はないだろうが、それでもどこから情報が洩れるかは分からないし、危険な目に遭う可能性もある。それ故にどうしても勇者と魔王である事は村人達にも隠さなければならない。だがそうする事で自分達は友達に隠し事をしているという罪悪感が少なからずともあった。リーシャは今回それを改めて痛感する。ダイはただ純粋に相談してくれと言ってくれてるが、その純粋さがリーシャには逆に眩しかった。


「ありがとう……ごめんね、心配掛けて。でも大丈夫だから」

「そっか。なら良いんだけど」


 リーシャは何とか動揺している事を悟られないように笑みを浮かべながら答える。しかし後ろに組んでいる手は僅かに震えていた。その事に気づかないダイは重く考えずになら良いと言って視線を前に戻す。リーシャはほっと安堵の息を吐くと同時にまたチクリと胸に痛みが走った。

 そうこうしている内にダイの家の前へと着く。家の中からはダンが女房にくどくど文句を言われてる声が聞こえて来た。大方またダンが何かやらかしたのだろう。その事にダイは呆れながらもいつもの光景なのでそれが返って安心するのか、どこか嬉しそうに頬を緩ませていた。


「それじゃ、付き添いありがとね。リーシャ。次の模擬戦の時こそ勝ってみせるよ」

「うん……精々期待して待ってるよ。ダイ」


 ひらひらと手を振ってダイはリーシャにお礼を言って家の扉を開ける。リーシャも次の模擬戦を約束しながら手を振り、ダイに別れを告げた。そしてダイが家の中に入るのを見届けると、リーシャはクルリと身体の方向を変えて自分の家へと向かって歩き出す。空は薄紫色に染まり、村は少しずつ影に覆われて行った。所々置かれている松明が道しるべ。リーシャはゆっくりとそのほの暗い道を歩んで行く。


(もっと強くならなくちゃ……ルナを、皆を守れるくらい……!)


 帰り道にリーシャはそんな事を心の中で抱き、拳を強く握り締める。

 自分がこんな不安を抱くのは力が足らないからだ。弱いから外敵から身を守る事が出来ず、周りにも正体を隠さなければならない。圧倒的な力さえあれば敵に怯える事なく、堂々と生きる事が出来る。子供のリーシャはそう極端に考え、より一層力を求めるようになった。

 その小さな背中は普通の子供には耐えられない程の責任が伸し掛かっている。リーシャはその重みに気づいていなかった。それが普通だと思い込んでいた。自分がどれだけ重い決断を下しているのかも知らず、彼女は自身を追い込みながらその細い手足で他者を守ろうとする。夕暮れと共にリーシャは淡々と軽い足取りで道を歩いて行った。


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