39:夜の対談
朝方降った雨で畑は泥だらけになっていた。脚を踏み入れればまともに動く事が出来ず、一歩進むごとに大きく体力を消耗する程。それでも野菜達は地中に根を張り、しっかりとその場に残っていた。アレンはそれを脚が泥だらけになりながら確認し、ほっと胸を撫でおろした。
「よしよし、駄目になったものはなさそうだな……とりあえず一安心だ」
久方ぶりに激しい雨が降った為少々心配だったがそれも杞憂だったようだ。アレンは泥だらけの畑から脚を取り、草むらの上で泥を払った。一個一個確認したので少々腰が痛み、彼はううんと唸りながら腰を伸ばす。
すると丁度道の向こう側からダンがやって来た。彼も一仕事終えた所なのかズボンには僅かに泥が付いていた。
「よぅアレン。畑の確認かい?」
「ああそうだ、ダン。何とか無事だったよ」
「そんなら何よりだ」
ダンの質問にアレンは頷いて答え、そいつは良かったとダンも笑みを浮かべる。
幾分か貯蓄があるとは言え畑は村人にとって財産だ。それなのに出来上がっていた野菜が全て駄目になったら堪った物ではない。自分一人なら何とかなるかも知れないが、今のアレンには食べ盛りのリーシャとルナ、それに大切な仲間であるシェルも居る。最もシェルは大人なので大丈夫だと思うが、それでもアレンはリーシャとルナの為にまだまだ頑張る必要があった。
「そう言えばさっきリーシャちゃん達が森から帰って来てたぞ」
「ん、もうか?リーシャの事だからもっと長く居ると思ったんだが……」
ふとダンが教えてくれた情報にアレンは首を傾げる。
リーシャとルナが朝方森へ出かけたのは知っていた。リーシャが朝方にちょっと出掛けてくると言ったからだ。その散歩でもしてくるかのような軽い言い方には少々アレンも心配したが、問題はないようだった。そしてアレンはリーシャの事だから森で遊んだり修行でもしているんだろうと思っていたのだが、意外にも早く帰って来たらしい。
「にしてもまさかお前が子供達に森へ入る事を許すとはなぁ……特にリーシャちゃんなんか昔のお前を見ているようだぜ」
ダンは首に手を当てながら思い出すようにそう言う。それを聞いてアレンはいささか複雑そうな表情を浮かべた。
確かにリーシャはただ遊ぶ為だけでなく魔物達と戦い、もっと強くなる事を目的としている。それが勇者としての本能なのかは分からないが、そのがむしゃらに強さを追い求めようとする姿が昔の自分と重なった。それを喜ぶべき事なのか注意すべき事なのか、アレンには分からなかった。
アレンはバツの悪そうな顔をしながら手を当てて首を捻り、口を開いた。
「いつの話をしているんだ?お前は」
「ああ、実はリーシャちゃん達に昔のお前の事を聞かれてな。つい思い出しちまったんだ」
「リーシャ達が、俺の事を……?」
ダンからの思わぬ言葉にアレンは目を見開き、意外そうな表情を浮かべる。
別にリーシャ達が自分の知らない所で調べ事をしていた事に怒っている訳ではない。ただ自分がいつも身近で育てて来た子供の知らない情報を聞き、何となく驚いてしまったのだ。
「何でもあの子達、昔のお前の事が気になるらしいぜ。まぁ子供心ってやつだろ」
アレンの反応を見て面白がっているのかダンは両手を横っ腹に当て、笑いながらそう言う。それを聞いてアレンもああなるほどと頷き、口元に手を当てた。アレン自身にも思い当たる節があったのだ。
(そういえばあの子達には昔の俺の話を全然してこなかったな……)
別にやましい過去があって言わなかった訳ではない。ただ少し前まで二人が拾った子供であり、勇者と魔王である事を打ち明けていなかった為、自身の身の上を話したらボロが出ると考え言わなかったのだ。アレンはよくよく考えたら自身が冒険者である事しか二人に教えて来なかった事に気づく。リーシャ達が気になって当然だ。
「一応村の連中は何も言わなかった。あの事を言っても良いか分からなかったからな」
「ああ……そりゃ助かる。まぁルナの場合は大丈夫だと思うが……」
「ん?どういう意味だ?」
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
どうやらダンや村の人達はアレンの事に気を遣ってくれたらしく、勝手にリーシャ達に教えるような事はしなかったらしい。確かにアレンの過去にはやましい事はないが、それでもあまり表には言いふらせない理由がある。その事はアレン自身も理解しており、この問題をどう解決すべきかと悩んだ。
「じゃぁ俺は家に戻るよ。着替えなきゃならんからな」
「おうそうかい。じゃぁまたな」
それからアレンは泥だらけの服を着替えようと思い、一度家に戻る事にした。ダンと別れ自宅へと続く道を歩く。その道中アレンは先程のダンから聞いたリーシャ達の事を考えていた。
まさかリーシャ達が自分の昔の事を調べているとは意外だった。てっきり二人はそういう事は気にしない思っていたのだが、よくよく考えればそんな事はない。今までの二人が勇者と魔王の事でいっぱいいっぱいだっただけで、その問題が解決した今、自分達の現状について気になるのは当然だ。そしてその疑問は自分達を拾い育てたアレンのルーツへと当てられる。アレンは一度二人にきちんと説明する必要があるかと考えた。最も、勇者と魔王である二人に語れる程壮大なエピソードを自身が持っている訳でもないのだが。
そうこう考えている内にあっという間に家に着き、アレンは扉を開けて中へ入る。すると玄関に見知らぬ者の靴がある事に気が付いた。シェルの物ではない。大きくて分厚く、冒険者や戦士を職業としている者の靴だ。
妙に思ってアレンが奥へと進むと、居間の方から何やら話し声が聞こえて来た。リーシャとルナの物、そして男の野太い声だ。大分歳を感じる声色だが、それでも大声で笑ったりと中々元気のありそうな人物である。すると丁度角からシェルが顔を出した。
「あ、先生。お帰りなさい」
「ああ、ただいま、シェル。誰かお客さんか?」
「え、ええ、まぁ……」
状況からして誰かが尋ねに来たのは間違いない。シェルも角から身体を出して持っているお茶の乗ったお盆を見せた。しかしアレンが客かと尋ねるとどこか複雑そうな表情を浮かべ、困っているようだった。その妙な反応にアレンは首を傾げる。
「と、とにかく会ってください。懐かしい人ですから」
シェルはそう言うと無理やり引っ張ってアレンを居間へと連れて行った。状況が読めないアレンは困惑しながらも居間に連れ込まれ、ある光景を目撃する。
そこではソファに座るリーシャとルナの姿があり、何やら目を輝かせていた。その向かい側の席には白髪を後方に伸ばすように整え、しわは多いがまだまだ元気さを見せつける笑い振りを見せる老人が座っていた。アレンはその人物の事をよく知っていた。
「お願い教えてよおじさん! 父さんの昔の話~!」
「お願い……おじさん」
「ガハハハ! 嬢ちゃん達も中々必死だな。そんなにあの坊主の過去が知りたいのか?」
その人物にリーシャとルナは何やら質問をしているらしく、詰め寄る様に顔を寄せて訴えていた。それを見て老人の方はおもしろおかしいのか盛大に笑っていた。そしてふとアレンの存在に気が付くと、彼はしわだらけの頬を引き攣らせてニヤリと笑い、アレンの事を見た。
「よう坊主、久しぶりだな」
「グラン……?」
忘れるはずもない。その人物はかつてアレンと同じく冒険者をしており、アレンにギルドに関しての知識を色々と教えてくれたグランであった。まだ現役で冒険者をやっている事は知っていたが、まさかこんな辺境の村にまでやって来るとは思わず、アレンは年甲斐もなく大層驚いた。
「うぇっ……と、父さん」
「お、お帰りなさい……お父さん」
アレンが帰って来た事に気が付くとリーシャとルナは自分達が質問していた所を見られて不味いと思ったのか、露骨に焦った態度でおかえりと言った。アレンは別に気にしていない為、そこは軽く返事を返しておいた。
「グラン、どうしてここに……?」
「なぁに。用事のついででちょっとな。お前とガーディアンが居るとは知らなかった。妙な偶然もあるもんだなぁ。ガッハッハ!」
思わずアレンが尋ねるとグランは実に彼らしい答え方をした。
大方依頼か何かの仕事中に偶々近くの村に寄ったとかそういう類であろう。アレンもグラン相手ならそれ以上詮索する必要もないと思い、それで納得する。
「何でも森で寝ているところを偶然リーシャちゃん達と出会ったらしいです。また魔物の前で寝てたんですってよ。この人」
「ガハハハ! ストーンゴーレムくらい儂なら寝ながらでも倒せるわ! ハッハッハッ!」
グランの傍にお茶を置きながらシェルはそう説明する。
何でもリーシャとルナがグランを見つけた時、彼はストーンゴーレムの足元で眠っていたらしい。普通の人が聞けばその危険過ぎる行為に恐ろしがるだろうが、グランをよく知るアレンは相変わらずかと苦笑していた。
「相変わらずみたいだな。グラン」
「お前は随分とおっさんになっちまたなぁ。坊主」
「六十を超えてる貴方には言われたくないな」
アレンは懐かしそうにそう挨拶をするとグランはアレンの事を坊主と言いながらそう感想を零した。アレンからすれば自分よりもグランの方が大分歳よりである為、おっさんにおっさんと呼ばれたくはなかった。だが同時にそれだけ長い年月が経ったのだと感じ、急に寂しさも覚える。それだけグランとの出会いはアレンにとって大きな物だった。
「ねぇねぇ、父さんって昔冒険者やってた頃グランおじさんに色々教えてもらってたって本当?」
「ああ、そうだな。まだ俺が新米だった頃は色々と教えてもらったよ」
「ガッハッハッハ! あの頃が懐かしいなぁ。お前もまだこーんな小さかったってのに」
ソファから降りてアレンの元に駆け寄りながらリーシャがそんな質問をする。するとリーシャの頭を撫でてやりながら懐かしむようにアレンは答えた。するとグランも同意し、大袈裟に手をテーブルから少し上くらいまで出し、アレンはこんな小さかったなどと言いながら笑った。
「でもあんまり、強そうには見えない……」
「おいおい、黒髪の嬢ちゃんの方は中々辛辣じゃねぇか! まぁそう言われても仕方ない恰好はしてるけどよ。ガッハッハ!」
ソファにじっと座っているルナはグランの事を顔を俯かせながら見てそう感想を呟く。それに対してグランは怒る訳でもない相変わらず豪快な笑いを飛ばし、自身の額をペシペシと叩いた。どうやら本人もみすぼらしい恰好をしている事には少しは自覚があるらしい。それならば直して欲しいというのがアレンとシェル本音だが、それをしないのがグランだという事も二人は十分承知していた。だから敢えて何か言うような事はしない。
「それでな坊主、実はこの村に一日居る事になったんだが、坊主の所に泊めて欲しいんだ」
「ああ、別に構わんよ。部屋なら余ってるんでな」
パンと膝を叩いてグランは本題へと入る。どうやら泊まれる場所を探していたらしく、アレンも別に断る理由がない為それを快く了承した。
「うっ……父さんの前だと迂闊にグランおじさんに聞けないね」
「何とか父さんが見ていない所でこっそり聞き出そう……」
グランが泊まると知るとリーシャとルナは何やら顔を寄せ合ってヒソヒソ声で話し合っていた。アレンの前ではグランからアレンの過去を聞き出す事が出来ないと思い、悩んでいたのだ。とりあえずアレンが見ていない所で聞こうという事になったが、時間制限は明日までしかない。それまでに聞き出せるか二人は不安だった。
それからアレンはシェルと一緒にいつものように食事の準備を始めた。今回はお客も居る為豪勢な料理を作ろうとアレンは提案し、グランの好きな肉料理を作る事にした。その間リーシャとルナは何やらグランと話をしていたが、グランは何やらもったいぶっているらしく、珍しくリーシャが弄ばれていた。アレンは昼間にダンからリーシャ達が自分の過去を調べているという事を聞いていた為、大方グランから聞き出そうとしているのだろうと予測した。
そうしている内にあっという間に食事の用意が出来、机を囲んで皆席に着く。
「ガハハハ、坊主の料理を食うなんざ何年振りかね。相変わらず美味いじゃねぇか」
「そりゃどうも」
グランは笑いながらそう言ってアレンが作った肉料理を口にする。一口で大分大き目のサイズの肉を食べたが、彼はむせる様子もなくぺろりと食べてしまった。
あれから随分時が経つというのに、相変わらずやる事がむちゃくちゃな人だ、とアレンは心の中で思う。
そうして皆で食卓を囲みながら料理を食べ、あっという間にアレンが用意した料理は空っぽの皿となる。育ち盛りな子供二人に元々大食いのグランが居る為、皆残さず食べてくれる。アレンも作った甲斐があるものだと嬉しそうに笑った。
そして料理を食べ終えた後、リーシャとルナも寝る準備を始める。最近はシェルと一緒にお風呂に入ったりもしていた。
「それじゃ父さん、おやすみなさい」
「おやすみなはぃ……むにゃ」
「ああ、お休み。リーシャ、ルナ」
眠たげに欠伸をするリーシャと既に半分口が回っていないルナにおやすみと言い、二人が寝室に入って行くのを見送る。シェルも既に寝床に着いた為、アレンは家の明かりを消しながら居間へと戻った。すると居間ではまだ寝ずにソファに座っているグランの姿があった。テーブルの上には持参していたのかお酒が置かれている。アレンははてと首を傾げながらグランの方へと歩み寄った。
「グラン、まだ寝てなかったのか?」
「ああ……坊主とちょいと話したい事があったんでな」
「俺と……?」
てっきりもう寝たと思っていたグランがまだ起きている。しかもこの様子だと自分を待っていたかのようだ。その違和感を感じ取り、アレンは少し心構えをしながらグランの向かい側のソファへと座った。
「まさかお前が子供を持つとはなぁ……感慨深いもんだ。初めて会った時の坊主は生意気なもんだったのに」
「昔の話だろ」
「いやいや、儂ぁ結構疑問に思っとんだぞ?坊主」
昔の事を思い出しながらグランはそう語り出す。アレンもまだ村を出たばかりの時の事を思い出し、少し恥ずかしそうに頬を掻きながら答えた。だが急にグランの目つきは変わり、昼間騒いでばかりだった様子を一切見せず、真剣な表情とアレンの事を見て来た。そしてアレンに一つの疑問を投げ掛けた。
「昔は世界の全てを憎んでるようだったお前が……二児の父となる。昔の坊主を知ってる奴なら考えられんわな」
そう言って昼間の豪快な笑い方とは違い、何か品定めをするのを楽しむように薄っすらと笑みを浮かべながらグランはお酒の入ったグラスを傾け、琥珀色の液体を口に含んだ。アレンはただそれを黙って見つめていた。




