37:居眠りの男
翌日、シェルと協力関係を結んだリーシャとルナはひとまずいつもの日課を行う事にした。今回は久々に二人で森の中に入り、危険な魔物が居ないかなどを確認する。番犬としてクロも同伴していた。
「ワフワフ」
「クロ、はしゃぎ過ぎると泥だらけになっちゃうよ」
朝方に雨が降った為泥で足場が悪くなっており、リーシャとルナはうっかり転ばないよう気を付けて一歩一歩前に進んで行く。しかし魔物のクロはそんな事気にせず、むしろ跳ねる泥に楽しそうに走り回っていた。
「もー、歩き辛いなぁ。靴に泥も付くし、今日の森は最悪ー」
「だったら別にわざわざ森に来なくても良かったじゃん……いくらお父さんの許しを得たとはいえ」
うっかり木の根に足を躓かせ、転びそうになったリーシャは慌てて体勢を立て直してそう不満を零す。そんなリーシャを見て自分から言い出した癖にとルナはジト目で見つめた。
実はリーシャとルナはようやくアレンから森への外出許可を与えられたのだ。勇者と魔王だと確信を持てた為、アレンもいい加減二人の実力を信じるようになったのだろう。ただしそれでも心配ではある為、なるべく早く帰ってくるという条件付きである
「だって仕方ないじゃんー。何か森の魔物達が騒がしいからさー」
クルリと後ろを振り返り、頭の後ろで手を組みながらリーシャはそう言う。その言葉を聞いてルナも眉を曲げて不安そうな表情を浮かべた。
朝方リーシャは森から妙な気配を感じ取った。危険は感じなかったが、どこか首を傾げるような何とも言えない気配を感じ取ったのだ。それをルナに伝え、ルナも魔族の時のような恐ろしい気配を感じなかった為、リーシャの言う事に疑問を感じてそれを確かめに行く事にしたのだ。
「また面倒な事にならないと良いけど……」
「ホントにねー」
つい先日魔族の侵入があった為、これ以上騒ぎが起こって欲しくないと願うルナは胸に手を当てながらそう呟く。その表情は幼い子供ながらも強く訴えており、リーシャも軽い口調ではあるがそれに同意するように深く頷いていた。
それから二人は警戒しながら先へと歩き続ける。時折動物や魔物が徘徊しているのを見かけたが、見た事ある生き物である為、然程気にせず先へと進んだ。
「シェルさん、上手く村の人達にお父さんの事聞き出してくれるかな……」
「大丈夫だよ。もしもの時は父さんに直接聞いてくれるって言ってたから」
ふと歩きながら顔を俯かせてルナが不安そうにそう呟いた。
昨日約束したシェルの事で幾つか気になる事があるようだ。やはりデリケートな問題を扱っている分、人を頼りにしたのは不味かったかと少し後悔しているらしい。それを安心させるようにリーシャは明るい声で答えた。
「……リーシャも最近シェルさんと仲良いよね。最初の頃は反発してなかった?」
「えっ……あ~、まぁね」
ルナは顔を上げると前方のリーシャの顔を見ながらそう尋ねた。
初めの頃はシェルが自分とルナの正体を知りながらも何もしてこない事から不審がり、色々と警戒していたリーシャだが、最近はそんなシェルとも大分打ち解けている。その事が気になってルナが質問するとリーシャは少し恥ずかしそうに首に手を当てた。
「だってほら、シェルさんって本当に父さんの事尊敬してるじゃん。魔族とも戦ったって言ってたし……だから本当に良い人なんだろうなぁ、って思い始めて」
「ふ~ん……そっか」
リーシャ曰く、シェルは信用に値する人物だと判断出来たらしい。確かに何か裏があるとは思えない程彼女の行動は献身的だ。リーシャ達の日常を壊さない為に正体の事は最初秘密にしてくれ、村にやって来た魔族とも戦ったとアレンから聞いた。そしてその辺りの事件の事も魔術師協会にはリーシャとルナの正体の事は秘密にして報告するという気の回し振り。最早聖人と言っても過言ではないだろう。それだけの事をしてくれたら流石のリーシャも信じるしかなかった。
「ん、足跡発見」
一度立ち止まり、腰を曲げてリーシャは地面に残っていた大きな足跡を観察した。ルナも近くに寄ってそれを観察し、クロはそんな二人の傍に寄りつつ辺りを警戒するように見回っていた。
「見かけない足跡だね」
「コカトリスのとも違う……よそ者かな?」
「うん、多分」
足跡の形状を観察してこれが森に住んでいる魔物達の物ではないと判断し、リーシャとルナは顔を見合わせてよそ者の魔物が入り込んだのだと結論を出した。だとすればやる事は一つである。そのよそ者を追い出す事だ。今頃森の環境はそのよそ者の魔物のせいでめちゃくちゃになっている。もしも危険性の高い魔物だったら村まで入ってくる可能性だってある。故に早急に対処する必要があった。
「じゃぁ探して対処しよう。暴れてたりしてなきゃいいけど」
「そうだね。足跡を追おう」
目標が決まった二人は足跡を追う事にし、それぞれ歩き始めた。クロも足跡をくんくんと鼻で嗅いだ後、そそくさとルナの後を追った。
幸いにも泥のせいでぐちゃぐちゃになっているが足跡はしっかりと残っている為、痕跡を探す事は容易い。二人はどんどん森の奥へと入って行き、やがて足跡の主を発見した。
「居た……」
ルナは小声でリーシャにそう言って近くにあった草むらへと隠れた。足跡の主は丁度木々に囲まれた開けた場所を歩いており、その魔物を見てリーシャは思わず目を見開いた。
「うぇ~……! 何あれ……?」
「ストーンゴーレムだよ。身体が岩で出来てるの」
視界の先で重い地響きを鳴らしながら歩いていたのはストーンゴーレムであった。人型ではあるがその大きさは辺りの木々と同じくらい高く、その身体は硬そうな岩で覆いつくされている。首がなくて顔と胴体が一体化している為、その顔も怪しく光る小さな目玉が一つ埋め込まれているだけで何とも禍々しい雰囲気を醸し出している。
「あんなでっかい怪物が森に入ってくるなんて……」
「ゴーレムはこれと言った意思もないし長時間掛けて大陸を渡る魔物だからね……あの子が森で暴れたら厄介だよ」
ゴーレムはその強靭な身体から環境の変化に左右されず、どのような場所でも活動出来る。その為よく草原を歩いているゴーレムが目撃されたり、海を渡っているゴーレムの報告が上がったりする。故にこの森にゴーレムがやって来るのもおかしくはないのだが、それでもこれ程までに強力な魔物がやって来るのは色々と不味かった。リーシャはそっと腰の鞘から聖剣を引き抜いた。
「……あれ?」
そしていざゴーレムに戦いを挑もうとリーシャが草むらから身体を起こしたその時、彼女はゴーレムの足元の方で何から妙な光景を目にした。眉にしわを寄せ、そして慌てて草むらの中に戻るとルナと顔を見合わせた。
「どうしたの?」
「なんか……ゴーレムの足元に変なのが居る」
ルナが心配そうな表情を浮かべてそう尋ねると、リーシャは何とも言えない複雑そうな表情でそう答えた。リーシャの妙な反応を見てルナも一体何を見たのかと気になり、草むらから顔を出してゴーレムの足元凝視した。するとそこには、雨で濡れた芝生の上にも関わらず豪快ないびきを描きながら寝ている男の姿があった。ボロボロのマントを羽織っており、一見するとただの変な人にしか見えない。実際変な人なのかも知れない。
「お、男の人……?旅人、とかかな……?」
「だからって何であんな所で寝てるの?! ゴーレムに踏みつぶされちゃうじゃん!」
リーシャは拳を作ってやりきれないようにブンブンと振りながらそう叫んだ。
確かにこんな森の中であんな無防備に寝るのは自殺行為である。危険な魔物なのにすぐ襲われてしまうだろう。それでもあんな眠り方をするという事はよっぽど自分の実力に自信があるのか、知識がない馬鹿かのどちらかである。いずれにせよ、今のこの状況は危険に変わりはない。リーシャ達のやる事は一つだった。
「ええい、やるっきゃない。行くよルナ!」
「ッ! う、うん……!」
覚悟を決めたリーシャはそう言って立ち上がり、聖剣を強く握り直した。ルナも横に居るクロに指示を出し、リーシャと共に草むらから飛び出す。
まずはゴーレムの注意を引く為に二手に分かれ、リーシャは剣での攻撃を、ルナは魔法での攻撃を担当した。ゴーレムの身体は簡単にはヒビの入らない岩でコーティングされている為、生半可な攻撃ではダメージ通らない。リーシャは一撃で仕留める気で跳躍し、振り上げた聖剣を思い切りゴーレムの背中に斬り付けた。
「グゥ……」
「うっ……か、硬ぁ!?」
ギィンと鈍い音と共にリーシャは弾かれた聖剣を慌てて持ち直して地面へと着地する。無事ゴーレムの注意を引く事は出来たが剣がゴーレムの身体を切り裂く事はなく、僅かに岩にヒビが入っただけだった。
「ゴーレムの岩は長年魔力が練り込まれて強固になっているの。簡単にはダメージは入らない」
「先に言ってよぉ……」
後方に居るルナの説明を聞きリーシャは痺れている手を痛そうに撫で、もう一度聖剣を構え直した。切れ味の良い聖剣でもヒビが入る程度の頑丈な岩なのだ。相当な硬さなのだろう。リーシャはより強く、より早く次の一撃を放つ為に意識を集中させた。
「ウゴゴゴゴ……ゴァ!!」
「……おっと!」
当然ゴーレムの方も反撃して来る。丸太のごとく太い腕を振りかぶってリーシャに岩の拳を振り下ろし、リーシャ潰そうとする。しかしリーシャは華麗にその場から跳躍してその一撃を避けた。ズンと重たい音と共に地面がめり込み、ゴーレムが唸り声を上げる。
「うっわ……あんなの喰らったらぺしゃんこになっちゃうよ」
へこんでいる地面を見て自分があの一撃を喰らったらどうなってしまうのかを想像し、リーシャは身震いした。だが同時に避けられる攻撃である事を理解し、対処の余裕はあると笑みを浮かべる。
「影よ、闇よ、咎人を……縛り上げろ!」
後方でタイミングを見計らっていたルナも動き出し、地面に手を付くと詠唱を始め、そこから影の鎖を出現させた。その無数の鎖はゴーレムへと放たれ、手足を縛り付けた。動きの鈍いゴーレムはすぐにそれを振り払う事が出来ず、されるがままに拘束されてゆく。
「ナイス、ルナ!」
「あんま保たないよ……!」
「十分!」
動かなくなったゴーレムを見てすぐさまリーシャは走り出し、跳躍する。狙うは先程と同じ箇所。ヒビが入った岩。振り上げた聖剣をリーシャは疾風のごとく振るった。
「そいっ!」
まずは一撃。先程とは違って風を斬るように鋭い音と共にゴーレムの肩の岩が斬り飛ばされ、地面へと転がる。ゴーレムは呻き声を上げるが、それでもルナの影の拘束からは逃れられず、身体を暴れさせている。更にそこへリーシャはゴーレムの眼前へと着地し、とどめとばかりに聖剣を構えた。
「これで決めちゃうからね……ガラクタの聖剣!」
リーシャの呼びかけに答えるように聖剣は黄金色に輝き、力が溢れ出る。そしてリーシャが聖剣を振り抜くと、黄金の衝撃波が放たれ、それがゴーレムを包み込んだ。
気が付いた時にはルナの影の拘束もなくなっており、ゴーレムは木々にぶつかって仰向けに倒れ込んでいた。それを見てリーシャは少し疲れたようにふぅと息を吐き、持っていた聖剣を地面にトンと刺した。
「ぷはぁ……やっぱお腹空いちゃうなぁ。この技使うと」
「お疲れ、リーシャ」
聖剣に腕を乗せて体重を預けているリーシャの元にルナも歩み寄り、お疲れと声を掛けてその肩を叩く。リーシャもそれに答えるように笑みを浮かべた。
「これでゴーレムも森から出ていくかな」
「多分ねぇ……まぁ駄目だったら今度は森の外まで吹き飛ばすよ」
ここまでコテンパンにすればゴーレムもこの森から去ると思うが、もしもの場合は今度は本気で吹き飛ばすと主張するリーシャ。実は先程の衝撃波も本気ではなく、あくまでゴーレムを倒すまでの一撃であった。もしもリーシャがその気になれば出力を最大にし、ゴーレムを吹き飛ばす事など造作もなかったのだ。だが出来るだけ森への被害を考慮し、このような結果になった。そして問題が解決した二人はふとある方向に目を移した。
「にしてもこの人……全然起きなかったね」
「うん……」
「ぐがー……ごがぁぁっ……んぐぐ」
二人の目線の先、そこには先程までゴーレムの足元で眠っていた男の姿があった。
あれだけ派手にリーシャ達が戦ったのにも関わらず未だにこの男は目を覚ましておらず、相変わらず豪快ないびきを掻きながら眠っているのだ。流石のリーシャとルナも異質さを感じ取り、どう対処すれば良いのかと困っていた。
「どうする?……この人?」
「どうしよう……?」
眠っている男を見下ろし、顔を見合わせてリーシャとルナはそう疑問を口にする。近くに寄って来たクロそんな二人の心配などいざ知らず、可愛らしくワンと吠えた。




