裏切者2
「はあ……はあ……」
這いずるように倒れた馬車から出れば、そこは急勾配の崖に近い斜面の下だった。
周囲を見渡してみたけれど、足を折ったらしい馬がもがいているだけで御者の姿は見えない。
何だってこんな場所に。馬車を最初に襲った衝撃からして、何かに乗り上げて制御を失ったのか。
「ッ……みんな」
現状の確認も大事だけれど、他に優先することがある。
意識のない他の三人をどうにか引きずり出して怪我の確認をする。
三人とも頭を打ったのか目覚める気配はない。エリーとエドバルドは出血までしてる。
「……」
三人の前に膝をつき、意識を集中する。
己の中の魔力を感じ取り、汲み上げ、周囲に魔方陣を描いていく。
クライン式魔法の基礎の一つ。治癒の魔法。
オリヴィアさんに言われて魔力を感じ取り操る訓練をしていたせいか、以前の僕とは別人みたいにそれらの行程は上手くいった。
「……ッ、駄目だ!」
でも所詮は初歩的な治癒魔法だ。浅い切り傷のような表面的な傷は治ったけれど、折れた骨のような重傷には効果が薄い。
こんなものは魔法ではなく魔術、しかも強い信仰心を持つ高位の神官だけが使えるという神聖魔術でないと治せないだろう。
まただ。また僕は足りない。
足りないからそうやって失って……。
「いや……」
別に三人は死んだわけじゃない。
頭を打っているのは心配だけれど、すぐに医者にでも診てもらえば問題はない。
なら一刻も早く助けを呼ばなければならない。
そうようやく考えが纏まったところで――。
「驚いた。劣等生だと聞いたが、魔法に関してはやるじゃないか」
背後からどこか神経質そうな男の声がした。
「貴方は……」
「信用ならん。兄の言うことは。だが陛下の命でもある」
エルヴィン卿。ヨーン様と謁見したときにヴァルトルーデ卿と共に傍に控えていた、ロイヤルガードの一人がそこに居た。
「……」
「逃げるか。なるほどヴァルトルーデが買うだけの理由はあるか」
向かい合ったまま距離を取る僕に、エルヴィン卿は感心したように言う。
助けを求めることはできなかった。
彼が、彼の兄であるラウホルツ候が嫌いだからとかそんな理由じゃない。
彼は、エルヴィン卿は僕に殺気を向けてきている。
間合いに入れば容赦なく切り捨てられるであろう、濃厚な殺気を。
「何で……」
「裏切り。おまえがカンタバイレと通じている。俺はそう聞いた」
「そんな!?」
どこから湧いて出た疑惑だそれは。
それにそんな疑いをかけられたにしても、事の次第を明らかにする前に殺されるはずがない。
そもそも友好国であるカンタバイレと僕が通じていたと言っても、何か悪だくみをしているはずが……。
「南部のスタルベルグがカンタバイレ軍に占拠された」
「な……」
言われた言葉が頭に入ってこない。
カンタバイレが? ピザンに侵攻?
あのつい先日まで笑顔で僕と対していたソフィア様が戦争をしかけてきた?
「そもそも僕がカンタバイレに行ったのは陛下の命令で……」
「出してない。陛下はそんな命令。少なくとも俺はそう聞いている」
「……え?」
カンタバイレへの外交使節が陛下の命令じゃない?
でもヴァルトルーデ卿は確かにそう言って。
ヴァルトルーデ卿も騙されていた?
どちらにせよ……。
「……嵌められた?」
「だろうな。ヴァルトルーデか。陛下か。それとも兄か。心情的に一番怪しいのが俺の兄だというのが笑えん」
その言葉通り、エルヴィン卿は顰め面のまま吐き捨てるように言った。
「そして陛下の判断も笑えん。戦争を回避せず、むしろ乗る気ときている。おまえの口を封じるのも、分かりやすい怒りの矛先を作り国内を煽るためだろうよ。カンタバイレをそそのかした裏切者がいるとな」
「……」
それが本当ならば、僕を嵌めたのが誰かなんて最早関係ない。
ヨーン様は僕を切り捨てた。そしてこの忠実なる騎士ならば、それが陰謀だと分かっていても従うだろう。
「シュティルフリート。だからおまえは……」
「そこまでだエルヴィン」
何も言えない何も考えられない。
そんな僕にエルヴィン卿が何かを言おうとしたところで、しわがれた男の声がそれを遮った。
「誰が無駄話をしろと言った。陛下の命を忘れたか」
「……忘れてはいない」
いつの間に近づいて来ていたのか。エルヴィン卿の背後に広がる森から一人の初老の男が現れた。
白髪交じりの焦げた土色の髪に、深い皺の走った顔。背には巨大な戦斧が二つ。
「……ヴェルナー卿」
「覚えていたか。祖父殿の葬式以来かテオドール」
どこか寂し気に、その男は言った。
忘れるはずがない。いや忘れてもすぐに知ることになっただろう。
お爺ちゃんやヴァルトルーデ卿、エルヴィン卿と同じロイヤルガードの一人。
お爺ちゃんが死んでからはロイヤルガード筆頭とされているこの国で最も高位の騎士。
「エルヴィン。貴様はそこに居る子供たちを運べ」
「それは後でもいいのでは?」
「駄目だ。ヴァルトルーデの弟も居る。何よりそこの娘は魔術師であり生家もジレントと深いつながりがある。万が一のことがあればジレントの不興を買いかねん」
「……了解」
明らかに不服そうに、エルヴィン卿は承知した。
それは僕を直接斬れなかったからか、それとも。
どちらにせよ、エリー達は殺される心配はないようだし、ヴェルナー卿は僕の救いの主というわけではないらしい。
その事に安心して絶望した。
「さて。私はエルヴィンと違って事情を話してやる慈悲などない。疾く死ねテオドール」
エルヴィン卿が三人を背負い姿を消すと、ヴェルナー卿は感情を悟らせない冷たい声でそう言った。
「……何で?」
「嵌められた理由か? 私は知らん。だが一つ確かなのは、この状況を覆せないのはおまえが弱いからだ」
そう言うと、本当に無駄話をする気はないのか、ヴェルナー卿は手を振るみたいな軽快な動作で背負った戦斧を握り僕の頭目がけて振り下ろしていた。
落ちてくる刃がやけにゆっくりに見えた。
僕が弱いからこうなった。
暴論だけれど一理あるのだろう。
もしお爺ちゃんか父さんが同じ状況に陥ったのなら、この場でヴェルナー卿を退け泥をすすってでも生き延び、何としても己の身の潔白を証明したに違いない。
しかし僕にそんな強さはない。
強くはないから、嵌められたと後から気付く間抜けな事態になる前に、もっと根回しなり警戒なりしておくべきだったのか。
騎士として弱い上に政治的な立ち回りが下手な間抜けか。
なるほど僕は死んでも仕方ない駄目領主だったのかもしれない。
「だからって――」
弱いから仕方ないのだと――。
「納得できるわけがないだろ!」
諦めたくないから強くなりたいと僕は願った。
「むっ!?」
いつの間にか背中から僕の手の中へと滑り込んできていた聖剣が、ヴェルナー卿の戦斧を弾き返していた。
それに少し驚いて見せたヴェルナー卿が、すぐさま飛び退って距離を取る。
「聖剣か。この土壇場で抜くとは、やはりシュティルフリートの血か」
そう言って戦斧を構え直すヴェルナー卿。
そこに油断はない。僕のような子供相手に、付け入る隙すら見せてくれない。
「面白い。聖剣の守護者よ。その血の使命、私がここで終わらせてやろう」
「僕は……諦めない!」
背後は崖で、対するはロイヤルガード筆頭ヴェルナー・フォン・アッヘンバッハ。
口にした決意が紙のように頼りない、絶望的な戦いが始まった。




