裏切者
色々と予想外なことも多かったけれど、カンタバイレへの書簡も無事渡し終え、僕たちはピザンへと戻った。
国境までは再びルーベンさんたちが護衛してくれたのだけれど、会ったときは面食らったあの話し方にも別れるころには慣れてしまったから不思議だ。
最初は警戒していたエリーも、ルーベンさんが女性的な趣味にも理解が深いためか最後には普通に話すようになっていた。
エリーの男嫌いセンサーが反応しなくなったということは、内面は本当に女性らしいのだろうかルーベンさん。
「しっかし折角他国の王都に行ったっていうのに、一泊だけでとんぼ返りかよ。必要経費とか国が出すんだろ? ケチだな」
「阿呆。今回の外交使節は火急のものでシュティルフリートも正式な外交大使というわけではない。そんなものに一々時間と金をさくわけがないだろう」
「へいへい。そうですか」
国境まで迎えに来てくれていたヴァルトルーデ卿の馬車の中で、すっかり馴染んできたエドバルドとギュンターがそんなやり取りをしている。
エドバルドの態度が軟化したのも、この旅での大きな収穫といえるだろうか。
まあ道中馬車に揺られてばかりで、ギュンターが以前言っていたような冒険とは程遠い旅だったけれど。
「みんなこのまま騎士学校まで行って解散で良い?」
「おう。……いや、俺は王都の入口で降りるわ」
「好きな場所で降りろ。どのみち馬車は私が実家まで乗って帰る」
「うん。ありがとうエドバルド。ヴァルトルーデ卿にも今度改めてお礼に行くから」
「……ああ。ん? どうした?」
急に馬が嘶き、馬車が止まってしまう。
何事かと小窓を覗くけれどその狭い視界からでは外の様子はあまり分からない。
外に出て確認しようか。そう思ったところで、勢いよく馬車の入口が開いた。
「無事か!?」
「え? ヴァルトルーデ卿!?」
現れたのはヴァルトルーデ卿だった。しかし様子がおかしい。
まるで全力疾走でもしてきたみたいに息はあがっていて、その顔にいつもの余裕の色はない。
加えて所々血が滲んで裂けた服に、頬には小さな切り傷。
明らかに刃物でつけられた傷が全身に広がっていた。
「あ、姉上!? その怪我は!?」
「うろたえるなかすり傷だ! それよりも時間がない。今すぐに反転してカンタバイレへ戻れ!」
「姉上何を……?」
食ってかかろうとしたエドバルドを腕を伸ばして止める。
不満そうにしているけれど、それ所ではない。
「それは完全に国境を越えて国を出ろということですか?」
「そうだ! いいか。誰に何を言われても馬車を止めるな!」
最後の叫びは御者に向けたものだろう。
それだけ言うとヴァルトルーデ卿は馬車の入口を閉めてしまい、命令を受けた御者が馬車を転回させ始める。
「どういうこと?」
「分からない。分からないけど、ヴァルトルーデ卿が意味のないことをさせるとは思えない」
「……姉上」
反転した馬車が走り始め、エドバルドも意気消沈したように席に戻る。
何が起きたのだろうか。僕らがピザン国内に居てはまずいこと?
いずれにせよヴァルトルーデ卿があれほど慌てていたということは、指示に従わなければ危険だということだろう。
しかし嫌な予感は治まらない。
ヴァルトルーデ卿は詳しい説明を一切しなかった。僕たちが混乱するのは目に見えていたのに。
それは説明する暇がなかったのもあるのだろうけれど、説明したら僕たちがさらに混乱するような内容だったからでは?
ヴァルトルーデ卿が軽傷とはいえ怪我を、ロイヤルガードが負傷するような事態というのも気になる。
確かなことは何も分からないのに、嫌な考えだけが次々と浮かんでくる。
駄目だ。考えるだけ無駄だ。
とにかくカンタバイレに入って――。
そう考えていた次の瞬間、馬車が跳ねた。
「きゃあ!?」
「何だ!?」
それまでガタガタと揺れていた馬車が、巨人にでも蹴り飛ばされたみたいに上へと跳ね上げられた。
そうなると当然車体はバランスを崩し、隣に座っていたエリーが僕の方目がけて落ちてくる。
「エリぃい!?」
「て、テオ! 大丈……」
お互いの名前を呼ぼうとして、また別の方向から衝撃がきて口が塞がれる。
縦横斜め。シェイカーに入れられたカクテルみたいに馬車ごと僕たちは振り回され、そのたびに椅子や壁、天井に体を打ち付けられる。
「つ……エリー!?」
しかしそんな中、僕だけは多少はマシだったに違いない。
最初に僕目がけて落ちてきたエリーに、そのまま守られるように抱きかかえられていたから。
優秀な魔術師であるエリーならこの状態でも身を守る術があるのでは。
そんな期待は過剰で、この揺れの中で魔術を発動させられるほどエリーは度胸の据わった人間ではなかったし、呪文だって唱えようとしても舌を噛んだだろう。
僕たちの中では文句なしに一番強いだろうエリーだって、まだ守られるべき子供だ。
そしてそんなエリーより子供な僕は、ただ成すがまま彼女に守られることしかできなかった。
「……エリー」
ようやく揺れのおさまった馬車の中で、僕は意識が定まらないまま呆然と呟いた。
頭だけはエリーに抱えられてほぼ無傷だったけれど、手足は折れなかったのが不思議なくらいだし、全身打ち身だらけだ。
ゆっくりと体を起こして、他の三人へと声をかける。
「ギュンター……エドバルド……」
だけどそんな声に応える人は誰も居なくて。
横倒しになった馬車の中で、意識が残っていたのは僕だけだった。




