一隻の南蛮船
時に天正八年。
百年にわたる乱世は、中央に巨大な勢力を築き上げた織田家によって終止符が打たれようとしていた。しかし、奥羽や九州など畿内から離れた地域では、依然として戦乱が続いている。九州では大友・龍造寺・島津の三大勢力がしのぎを削っていた。
九州は肥前国、その北西端に位置する平戸島にて。
「あれか……。なかなか立派な南蛮船じゃねえか」
一隻の南蛮船が漂着しているとの報せを現地の漁民から受け、松浦家の侍が十人ばかり、様子見に訪れていた。肥前国の大部分は龍造寺家が治めているが、ここ平戸島や九州本土の一部では、松浦家が辛うじて独立を保っている。
最近は落ち目であるものの、平戸は南蛮貿易の拠点の一つである。松浦家当主・松浦肥前守隆信は南蛮貿易で大きな富を為した。故に当地の人々は南蛮船をよく見慣れていた。
「あれが流れ着いたのはいつ頃だ?」
「つい昨日の夜のことにございます」
「左様か。ならば生きている者もおるやもしれぬな」
南蛮船など見慣れたもの、とは言っても、人の気配がないのは不自然で、侍達は様子を窺う。外から見たところ、特に生者がいる気配はない。中の様子を窺おうと、ちょうど南蛮船の舷側から垂れ下がっていた網を伝って、五人が甲板に上がった。
南蛮船なら全員が何度か見たことがあり、特に戸惑うことなく船内に入ろうとするが、その時であった。ある侍が船内に人が立っているのを見つけた。薄暗い階段の下に、一人の人間が立っている。
「おい、あいつ何だ? 動く気配もねえが」
「気味が悪いな……」
生きているようで身体は前後に揺れているが、何をするでもなく、ただただそこに立っている。侍は意を決して呼び掛けてみることにした。
「おい! お前! 言葉は分かるか!」
南蛮の軽装をした男は、ようやく侍達を見上げた。だがその目は血走っており、とてもまともな人間であるようには見えない。
「何だこいつ……」
「様子が妙だ。気をつけろ」
「南蛮人なんぞ頭のおかしい連中ばかりだろ」
「おい! こっちに来い! 来ないなら――」
まさにその瞬間であった。男は突如として階段を駆け上がり、侍の一人に飛びかかった。
「うわぁっ!! 何だ貴様!?」
男は到底マトモとは言えない状態であった。まるで餌を目の前にした飢えた犬のような形相で侍にのしかかり、獣のように歯をむき出しにし、涎を垂らしながら噛みつこうとする。
「貴様ッ!!」
同僚の侍が直ちに男を殴り飛ばした。流石は戦に慣れた強者達である。男は五尺ほど転がりながら吹き飛ばされた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。一体あいつは――ッ!?」
殴り飛ばされ顔の左半分を血に染めながらも、男は金切り声にも似た、この世のものとは思えない雄叫びを上げ、再び侍達に襲い掛かってきた。
「クソッ! こんな奴に使いたくはなかったが」
侍の一人が刀を抜き、男の胸から腰に至るまで一気に袈裟斬りにした。男は倒れる。だが上半身を血塗れにしながらも、男はゆっくり立ち上がり、侍達を睨みつけて雄叫びを上げた。
「な……なんだ、こいつは……」
「ば、化け物だ!!」
「狂ってやがる! 殺せ!」
侍達も余裕をなくして一斉に刀を抜き、男に斬りかかった。ある者は再び上半身を斬り裂き、ある者は体に刀を突き刺した。男は血を吐き、それでも呻き声を上げながら侍に掴みかかろうとする。
「どうして動けるんだ!!」
「死ねぇ!!」
最後の一人が男に斬りかかり、その首を斬り落とした。首が落ち、切断面から大量の血が流れ落ちて、ようやく男は死んだ。
侍の一人がその首を持ち上げる。近くで見ると、ますます人間の首であるとは思えないほど、醜くおぞましいものであった。
「ようやく、死んだか」
「何なんだ、こいつは……」
「わかるわけねえだろ。だが、こんなのが野放しになってたってことはだな……」
これは船内にいた。それにも拘わらず、船内の何者からも攻撃されていなかった。そこから考えられる可能性は二つ。一つは、船内の人間がこの男に殺され尽くした可能性。もう一つは、全員がこの男のようになっている可能性だ。
後者を想像した侍は青ざめた。そしてその恐怖は、現実となってしまった。
突如として足元に小刻みな振動が走る。それはまるで、大勢の人間が甲板を踏み鳴らしているかのようだった。
「お、おい、まさかこれって……」
「入り口を閉じろッ!!! 急げッ!!!」
「ッ……!」
一番近くにいた侍が船内への戸を閉めようとした。だが彼は、船内から自分を見上げる、血走った目をした数十の人間と目が合ってしまった。
「こ、こんなに!?」
「何をして――」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
次の瞬間、化け物の群れが船内から溢れ出した。戸で押さえつけるなど不可能だ。その数は五十ほど。とても侍達だけで対応できる数ではない。
「逃げろッ!! 逃げろッ!!」
「クソッ! クソッ! 何なんだッ!!」
「く、来るなああああ!!!」
人の姿をした獣の群れは侍達に襲い掛かり、瞬く間に喰らい尽くしてしまった。
それを眺めていた村民達もようやく状況を理解したのか、堰を切ったように逃げ出した。だが化け物の足は速く、たちまち追いつかれ、武器も鎧もない彼らは無惨にも食い尽くされた。
視界に入る人間を食い尽くした化け物の群れは、時折意味のない呻き声を発しながら、ゆっくりと徘徊を始めた。その中には和服や具足を纏った人間も大勢混じっていた。




